第六章『パターン』
眠れなかった。
正確に言えば、眠る気になれなかった。
女の死体が、何度も頭の中で再生される。
朝、転ばなかった姿。
夜、首を折って座り込んでいた姿。
そして、その両方に共通していた“右手”。
握っていた。
何かを。
違うはずなのに、同じだった。
ベッドの上で天井を見つめながら、俺は何度もその光景をなぞった。
どこで分岐したのか。
どこで固定されたのか。
答えは、もう出ている。
見た瞬間だ。
俺は起き上がり、机に向かった。
散らばった資料をかき集める。
これまでの死体記録。
写真、報告書、時系列。
すべてを並べる。
そして、気づく。
「……揃ってる」
小さく、声が漏れた。
すべての死体に、共通点がある。
死因ではない。
場所でもない。
状態だ。
倒れ方、手の位置、視線、体の向き。
細部に至るまで、“一致している”。
だがそれは逆でもある。
一致している範囲しか、確定していない。
俺は椅子に座り直し、ペンを取った。
仮説を書き出す。
1:死体は三日後の状態を示す
2:観測した状態は変更できない
3:未観測の要素は変化する
ペン先が止まる。
「……つまり」
言葉にするのが、怖かった。
それでも、書く。
4:未来は“部分的にしか決まっていない”
胸の奥で、何かが音を立ててはまる。
完全に決まっているわけじゃない。
だが、見た部分は逃げられない。
あの女は、“何かを握って死ぬ”ことだけが確定していた。
中身は、どうでもよかった。
だから。
転倒を防いでも、別の経路でその“結果”に辿り着いた。
拳を握る。
「……なら」
まだ、余地はある。
完全に詰んでいるわけじゃない。
そのとき、ドアを叩く音がした。
「相沢さん」
椎名だ。
「入っていいですか」
「どうぞ」
彼女は静かに部屋に入り、机の上の資料を見る。
「整理しているんですね」
「ああ」
俺は紙を指で叩いた。
「見えてきた」
椎名は何も言わない。
ただ、続きを待っている。
「全部が決まってるわけじゃない」
自分でも驚くほど、言葉ははっきりしていた。
「見た部分だけだ。そこは固定される。でも、それ以外は――」
「変えられる」
椎名が、静かに言葉を引き取った。
「はい」
肯定。
だが、その顔に安堵はない。
「だったら、やりようはある」
俺は立ち上がる。
「“見ていない部分”に介入すればいい」
椎名は、ほんのわずかに目を細めた。
「危険ですよ」
「わかってる」
本当は、わかっていなかった。
だが、それでも進むしかない。
「何もしないよりはマシだ」
その言葉は、自分に向けたものだった。
椎名は少しだけ考えてから、言った。
「では、一つだけ」
「何だ」
「記録してください」
「記録?」
「あなたの行動を」
彼女は淡々と続ける。
「どこまでが“観測”で、どこからが“介入”なのか」
一拍。
「それを間違えると――」
そこで言葉を切る。
「……どうなる」
椎名は、わずかに視線を逸らした。
「境界が、消えます」
意味は、わからなかった。
だがその言葉は、なぜか強く残った。




