第五章『別の死』
その知らせは、夜に来た。
「相沢さん」
電話の向こうで、高木の声が震えていた。
「……出ました」
嫌な予感は、最初からあった。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「誰だ」
一瞬の沈黙。
「今朝の……あの女性です」
頭の中で、音が消えた。
「場所は」
「駅前から少し離れた路地です」
現場に着いたとき、野次馬はすでに規制線の外に集まっていた。
ざわめきが、やけに遠く聞こえる。
中に入る。
一歩、二歩。
そして――
足が止まった。
女は、壁にもたれるようにして座り込んでいた。
首が、不自然な方向に折れている。
目は開いたまま、何も映していない。
そして右手は――
何かを、強く握りしめていた。
俺は、ゆっくりと近づく。
その手を見た。
中にあったのは、小さな鍵だった。
「……違う」
思わず、声が漏れた。
朝の死体は、何も持っていなかった。
空だった。
なのに、今は違う。
「違う……はずだ」
後ろから、足音が近づく。
椎名だ。
「同じですよ」
その一言で、思考が止まる。
「どこがだ」
「“握っていた”という事実が」
俺は振り返る。
「でも中身が違う!」
「関係ありません」
即答だった。
「重要なのは、結果です」
椎名は、女の手元を見ながら言う。
「彼女は、何かを握ったまま死んだ」
それだけ。
それだけが、一致していればいい。
「……そんなの」
言葉が出てこない。
「じゃあ、俺がやったことは何だ」
助けた。
確かに助けたはずだ。
転ばせなかった。
死なせなかった。
なのに。
「結果は変わっていません」
椎名は静かに言った。
「経路が変わっただけです」
その言葉は、あまりにも冷たかった。
「ふざけるな……」
怒りなのか、恐怖なのか、自分でもわからない。
「だったら何のために――」
「意味はあります」
椎名が、初めて言葉を遮った。
「あなたは今、“理解に近づいている”」
その目は、まっすぐだった。
「未来は変えられないわけではありません」
一拍。
「ただし、観測した範囲からは逃げられない」
意味が、ゆっくりと染み込んでくる。
朝、俺は見た。
あの死体を。
あの形を。
だから――
「……決まってたのか」
「はい」
短い肯定。
「あなたが見た時点で、その死は確定しています」
その瞬間、背筋に氷のようなものが走った。
見たから、死んだ。
俺が見たから。
俺が、知ったから。
女は、その形で死んだ。
足元が揺れる。
初めて、“やってしまった”という感覚が襲ってきた。
助けたつもりだった。
だが実際には――
俺が、この死を固定した。
夜風が、やけに冷たかった。




