第四章『最初の介入』
最初に「助けられるかもしれない」と思ったのは、四体目の死体だった。
若い女だった。
駅前の歩道に、横たわっていた。
目立った外傷はない。だが右手だけが、不自然な角度で曲がっている。骨折――いや、違う。握っている。何かを掴んだまま、離せなかったような形だ。
「転倒、ですかね」
後ろで誰かが言った。
俺はしゃがみ込み、その手元を見た。
空だ。
何も持っていない。
だが、確かに“握っていた痕跡”だけが残っている。
「三日後、ここで転ぶかもしれません」
椎名の声が、いつものように静かに落ちてくる。
「……ここで、か」
「可能性は高いです」
俺は立ち上がり、周囲を見回した。
駅前の歩道。通勤時間帯には人通りが多い。だが今は、規制の影響か、まばらだ。
路面は平坦。特に危険な箇所はない。
それでも、転ぶ。
そして死ぬ。
「防げる」
気づけば、そう口にしていた。
椎名がわずかにこちらを見る。
「どうやって」
「簡単だ。三日後、この場所にいればいい」
「それで?」
「転ぶ前に止める」
自分でも驚くほど、単純な答えだった。
だが、だからこそ確実だと思えた。
「……やめた方がいいと思います」
椎名はそう言った。
否定ではない。忠告でもない。
ただの事実のような言い方だった。
「理由は?」
「これまでに成功例がないからです」
「じゃあ、最初になる」
沈黙。
ほんの一瞬だけ、椎名の視線が揺れた。
初めて見る、迷いのようなものだった。
「……好きにしてください」
三日後。
俺は朝からその場所に立っていた。
時間は、死体が発見されたのと同じ七時前。
空気は冷たく、妙に澄んでいる。
何度も周囲を見回す。
歩いてくる人間、一人一人を確認する。
やがて、その女が現れた。
間違いない。
服装も、髪型も、顔も。
写真で見たままの女だ。
心臓が強く打つ。
足が、自然と前に出る。
女はスマホを見ながら歩いていた。
足元は見ていない。
そのまま進めば、俺の位置を通り過ぎる。
そして――
その瞬間。
女の足が、わずかに滑った。
「危ない!」
俺は叫び、腕を掴んだ。
女の体が、前に倒れかける。
だが、俺が支えた。
完全に、支えきった。
転倒は、しなかった。
「大丈夫ですか」
女は驚いた顔でこちらを見て、それから小さく頷いた。
「す、すみません……ぼーっとしてて」
「気をつけてください」
「はい……ありがとうございます」
女は何度も頭を下げて、そのまま去っていった。
その背中が、人混みに紛れて見えなくなるまで、俺はその場に立ち尽くしていた。
……終わった。
胸の奥に、じわじわと何かが広がる。
安堵。
それと――
確かな手応え。
振り返ると、少し離れた場所に椎名が立っていた。
いつの間に来ていたのか、気配はなかった。
「……見てたか」
「はい」
「防げた」
言葉にすると、実感が増した。
「これで、わかっただろ」
俺は一歩、彼女に近づく。
「未来は変えられる」
椎名は、しばらく何も言わなかった。
ただ、こちらを見ている。
その目は、相変わらず静かで――
どこか、わずかにだけ、悲しんでいるように見えた。
「……そうですね」
やがて、彼女は小さく頷いた。
その肯定に、なぜか引っかかりを覚えた。
だがそのときの俺は、もうそれ以上考えなかった。




