第三章『観測者・椎名』
椎名澪という女は、最初からそこにいたわけではない。
少なくとも、俺はそう思っている。
最初の死体が見つかったあの日、あの場所に“自然にいた”だけだ。
だが今では、彼女はこの町の中心にいる。
死体が届く場所に、必ずいる。
誰よりも早く、誰よりも正確に、それを確認している。
まるで――
その役割を与えられているかのように。
「記録、見ますか」
そう言われたのは、三体目の死体が届いた日の夕方だった。
場所は臨時対策本部。市役所の一室だ。
「記録?」
「はい。これまでのすべてです」
椎名が差し出したファイルは、驚くほど整然としていた。
日付、場所、状態、死因予測、実際の死因。
そして、すべてに赤い印がついている。
一致。
「全部か?」
「今のところは」
「一つも外れてない?」
「はい」
即答だった。
ページをめくる手が、少しずつ重くなる。
これはデータじゃない。
未来の確定リストだ。
「……あんたは、平気なのか」
気づけば、そんなことを聞いていた。
「何がですか」
「これを見続けることが」
椎名は少しだけ考えてから、答えた。
「慣れますよ」
「慣れるなよ」
思わず吐き捨てるように言うと、彼女は小さく首を傾げた。
「では、どうすればいいんですか?」
答えられなかった。
沈黙のあと、椎名は静かに言った。
「私は、もう見ていますから」
「何を」
一拍の間。
「自分の死体を」
その言葉は、やけに軽く落ちた。
だが意味は重かった。
「……いつだ」
「三日後です」
「じゃあ、なんでここにいる」
「三日後までは、生きていますから」
当たり前のことを言われたのに、納得できなかった。
「怖くないのか」
「怖いですよ」
即答だった。
だがその声に、揺れはなかった。
「でも」
椎名は、わずかに視線を落とす。
「もう見てしまったので」
それ以上、言葉は続かなかった。
その日の帰り道、俺はやけに周囲を気にしていた。
車の音、信号、歩いてくる人影。
すべてが“死に繋がる可能性”に見える。
ふと、思った。
もし。
もし俺が、自分の死体を見たら。
俺は、どうする?
避けるか。
受け入れるか。
それとも――
何も選べないまま、その通りに死ぬのか。
夜、自宅に戻っても、眠れなかった。
テレビをつけても、内容は頭に入らない。
スマホを見ても、同じ画面を何度もスクロールするだけだ。
そして、ふと気づく。
俺はこれまで、何かを“選んだ”ことがあっただろうか。
仕事も、結婚も、離婚も。
流されるように決まっていっただけだ。
だからかもしれない。
俺の未来だけが、まだ届いていないのは。




