第十章『小さな成功』
結果を確認したのは、翌日だった。
踏切の事故は、報告されなかった。
死体も、届かなかった。
名簿にも、変化はない。
あの男の名前は――
消えていた。
「……消えた?」
思わず声が出る。
目の前のリストを、何度も見返す。
昨日まで確かにあった名前。
踏切で死ぬはずだった男。
それが、どこにもない。
「はい」
椎名が隣で答える。
「存在しなかったことになっています」
頭が追いつかない。
「そんなことが……」
「起きます」
淡々とした口調。
「観測されなかった未来は、確定しません」
椅子に座り込む。
全身の力が抜ける。
「じゃあ……」
顔を上げる。
「やっぱり、変えられるんじゃないか」
声が、少しだけ震えていた。
だが、それは恐怖じゃない。
希望だ。
「見なければいい」
言葉が、自然に出てくる。
「見なければ、固定されない」
単純だ。
あまりにも単純な答え。
だが、それでいい。
「これなら――」
救える。
誰も死なせずに済むかもしれない。
初めて、そう思えた。
椎名は、何も言わなかった。
ただ、こちらを見ている。
その目は、相変わらず静かで――
そして、どこか遠い。
「……違うのか」
俺は問いかける。
椎名は、少しだけ間を置いてから答えた。
「間違ってはいません」
肯定。
だが、完全ではない。
「ただ」
一拍。
「それを続けることは、できません」
「なんでだ」
「人は、見てしまうからです」
その言葉に、思わず息が詰まる。
「見ないようにすればいい」
「無理です」
即答だった。
「人は、知ろうとします」
静かな声。
「大切なものほど、確かめたくなる」
その瞬間、脳裏に浮かぶ。
玄関のドア。
娘の顔。
「……」
何も言えなくなる。
「あなたも、いずれ見ます」
椎名の声が、やけに近く聞こえる。
「見てはいけないものを」
その言葉は、予言のようだった。
だが今は、まだ違う。
まだ、間に合う。
「それでも」
俺は立ち上がる。
「やるしかないだろ」
振り返る。
「見ないで、全部守る」
その宣言は、あまりにも無謀で――
だからこそ、強かった。
椎名は、わずかに目を伏せた。
「……そうですね」
否定はしない。
だが、肯定もしない。
その曖昧さが、逆に不安を残した。
それでも。
そのときの俺は、確信していた。
未来は、まだ救える。
そう思っていた。




