七話 後ろに御用心
名無しの権兵衛の背中を狙うべく、忍び達は気がつかれないようを後をつけていた。その中には当然忍びもいる。
名無しの権兵衛は現在今日の分の【ツジキリ】を終え一人で帰宅しようとしているところだ。時刻は夕方過ぎであるため日は落ちあたりは暗くなっている。街灯はついているが名無しの権兵衛が歩いている近辺は薄暗いところが多々ある。
忍び達にとっては絶好の機会だ。
隙をついて名無しの権兵衛を人通りの少ない裏路地に連れ込もうとした時、忍びの内の誰かが肩を優しく叩かれる。
「こんばんは。」
後ろから声がして振り返ると、一瞬強い光が忍び達を照らし、後ろを向きその光を直視した忍びは目が眩んでしまった。
「なるほど、これが忍び。言われてみれば確かにそれっぽい格好ですね。」
そこにいたのは忍び達を撮影するために旧式のカメラを構えている右目にガーゼの眼帯をつけた男性が立っていた。どうやら先程の光はカメラのフラッシュだったようだ。
常に周りに気をつけていたはずなのに、易々と後ろを取られた事に忍び達は驚愕する。
「何者だ。」
「あ、申し遅れました。私、菊一 文太と申します。以後お見知り置きを。」
そう言って男性、文太がお辞儀をすると先程のフラッシュで目が眩んだ忍びの胴体から血が吹き出し、何が起こったのかわからないまま倒れてしまった。
「私ここ【火の島】でカメラマンを務めておりまして。この島での試合やお客様の笑顔を撮影するのが仕事なんです。」
血を流して倒れている忍びの事を気にせず文太は笑みを浮かべながら自己紹介をし始める。その姿は忍び達にとても不気味に見える。
「き、貴様!」
忍び数人が文太を取り押さえようとした時、その全員が喉や胸から血を吹き出し倒れる。
「カメラマンの他にもお仕事をやっているんですよ。島の警備をしたり、お客様の案内に列の誘導もしたり、あなた達のようなお行儀の悪い人達を懲らしめたりしているんです。」
口ぶりからしてこの状況は文太の仕業のようだが、文太はカメラを手にしたままその場から動いていない。にも関わらず他の忍び達は体のあちこちから血を吹き出して次々と倒れていく。
そんな中、一人だけ無傷のものがいた。忍びだ。忍びだけが見えない攻撃を防ぐ事ができた。
他の忍び達は倒れたまま。他に人がやってくる様子はない。僅かな時の間にこの場に立っているのは文太と忍びの二人だけとなってしまった。
「凄いですね。本当にお強い。あっそうだ。あなたに会ったら聞きたい事があったんです。」
文太は忍びの殺気にはお構いなしに質問を投げかける。
「どうしてそんなに我慢をしているのですか?」
「…は?」
忍びにとって予想外の質問で思わず声が出てしまう。それに構わず文太は喋り続ける。
「事情は知りませんが、私の方から図々しく進言します。ここでは我慢など不要です。自分でしっかりと責任を取れるのであればここでは何をしてもいいのです。ここは殺しの他にも様々な娯楽がありますし資源も豊富。あなたほどの実力者であれば大抵のものが手に入りますよ。」
ベタ褒めだ。文太は微笑みながら殺気をぶつけてくる相手の実力を認め、褒めている。
「あなたはとても強い。だからこそ、疑問に思うのです。どうして理不尽な目にあっても我慢をするのですか? その人達はあなたにとってそんなに大切な人なんですか?」
そう言って倒れている忍び達に目を向けるが、すぐに忍びの方に視線を戻す。
「そんな風には見えませんけど。」
それすらも笑顔で言いきる文太に忍びは戸惑う。
普段の忍びならば話を黙って聞く事などなかった。しかし今、文太の話を大人しく聞いている。今まで感情を押し殺してきた忍びは文太の話に心が揺れている。
「好きでもない人のために我慢するなんて。あなた、とっても可哀想な人ですね。」
それを聞いて忍びはカッとなり、感情を見せる。
「お前に、お前に何がわかる! 初めて会ったお前が!」
「そうですね。確かに私には細かい事情はさっぱり分かりません。だけど、私にはあなたが今の環境に不満があるように見えます。」
「ふま、ん?」
「違うのですか?」
答えられなかった。
そんな事忍びは今まで考えこなかった。物心ついた頃にはすでに忍びとしての鍛錬を行っていて辛い事など日常茶飯事だった。周りから罵詈雑言を浴びせられても理不尽な対応をされてもそれが当たり前だと思っていた。そう、思い込もうとしていた。今まで考える事すらしなかった。
文太の質問を、何一つ答えられなかった。
「…んー。今は答えられないようですね。まぁ、いいでしょう。答えは後日、改めて聞きましょう。今日のところはあなただけは見逃しますけど、どうします?」
「…分かった。今回は、撤退する。」
文太の提案に忍びはほんの少し思案した後、逃げる事を選択する。倒れている他の忍び達をどうしようかと考えを巡らせる。
「大丈夫ですよ。」
その時、文太はそう言って微笑む。
「この人達は、まぁ未遂ですから後で病院に運びましょう。あなたは気にせず帰って大丈夫です。」
「そう、分かった。」
その言葉が真偽かどうかあまり気にせず、立ち去ろうした時文太は待ったをかける。
「あぁ、待ってください。あなたのお名前はなんですか?」
「…名前?」
「仮のものでもいいですよ。またお会いした時に名前が分からない、というのは少し困りますからね。」
言うべきかどうかほんの少し悩んだが、文太に自分の忍びとしての名前を告げる事に決めた。
「…アキノ。」
「アキノさん、ですね。今度はちゃんと試合を申し込んでくださいね。【合戦場】では闇討ちはご法度。あなたの上司にもその事をちゃんと伝えておいてくださいね。」
手を振る文太に背を向けそのまま何事なく立ち去る忍び、アキノ。
その背中が見えなくなるまでその場に立っていた文太に声をかけるものが現れた。
「珍しいねー。仕事熱心な君があんな事をするなんて。」
文太が声がした方に顔を向けるとそこにいたのは学生服を着た中性的な顔立ちの若者だ。若者はニコニコと笑いながら文太に近づく。
「いつもなら容赦なく捕まえるのに。」
「アキノさんについては以前の【ツジキリ】を見て思うところがあり少々お節介を焼きたくなったものでつい。」
「いいのかなー。職務怠慢だって怒られない?」
「クリムゾン様はこれくらいでは怒りませんよ。それにあなたにとっても面白い展開になりそうだからいいじゃあないですか。見逃してください。」
「面白くなるのか。それなら仕方がないね。よし、今のは見なかった事にしよう。」
「ありがとうございます。」
文太は目の前にいる若者に対して礼を言うが、その言葉には社交辞令のように感情が込められていない。
若者はそれに気にする事なくより一層笑う。
「いいよいいよ気にしないで。だってオイラはここで一番偉いカミサマなんだから。あっこれが例の忍び? まだ生き残ってたんだなぁ。」
そう言って若者、【合戦場】の主、カミサマが上機嫌な様子で地面に転がっている忍びを指で突っついている姿を横目で見ながら若者からは見えないよう文太は不機嫌そうな表情を浮かべながら忍び達を病院に運ぶ手筈を整えるために携帯端末を取り出した。
◆◇◆◇◆
一人で拠点に戻ってきたアキノ。
[どうしてそんなに我慢をしているのですか?]
文太の言葉が頭から離れない。
そもそも、アキノにとって我慢をする事は当たり前のことだった。それが当然だと思っていた。文太に指摘されるまで我慢している自覚などなかった。
少し離れた所から頭領と流浪ぶっ殺すの会の幹部達の下品な笑い声が聞こえてくる。名無しの権兵衛の殺し方を話し合っているのだろうとアキノは予想する。
「名無しの権兵衛を殺したって意味ないのに。」
アキノはぽつりと独り言を呟く。それを聞くものは誰もいない。
アキノは別に流浪に恨みを抱いていない。頭領に命令されたから名無しの権兵衛と戦ったり闇討ちしようとした。そこに自分の意思などない。
「…あれ? 私、自分のために行動した事あったっけ?」
思い返してみても、アキノが自分のためだけに行動した事は食事と睡眠と短時間の休憩を除くと何も無い。常に誰かに命令されて行動してきた。そこにアキノの意思はない。
[好きでもない人のために我慢するなんて。あなた、とっても可哀想な人ですね。]
また、文太の言葉が頭の中に思い浮かぶ。そして、ふと思う。
「私、何であの時怒ったんだろう。」
いくら自問しても答えは出てこなかった。
今はまだ。