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Ⅲ
エアノストラ芸術大学は、今日も色とりどり、さまざまな格好の人間が行き交う。ファッションショーを見ているかのようだ。芸術家の卵たちは、独特な雰囲気を振りまいている。その雰囲気こそが、奇抜なファッションやぼろきれファッションを違和感なく着こなせる理由だろう。
大学キャンパスは、大変解放的だった。――部外者を入れるのをあれほど嫌いながら、内部に閉塞感がないのは不思議だ。壁には絵、校舎はデザイン的、複雑に設計された噴水があり、幾何学に造られた庭がある。
唐突に、大音量で音楽をかけ始める学生集団が出現する。彼らは音楽に合わせて、ペンキで壁に絵を描き始めた。大きなシンバルの音に合わせて、黄色と銀の色を含んだ大きな絵筆が壁にたたきつけられる――!
これはパフォーマンスも含めて、芸術なのだという。見ていて楽しい。
そんなキャンパス内を、サラは闊歩していた。
――あなたの言い分を、一部受け入れましょう。
セイファはそう言って、サラに一枚のカードを渡した。
レナラストの絵が飾られた、あの埃っぽい部屋でのことだ。
――お待たせしました。大学の出入りを許可する身分証です。これで、自由に歩き回れますよ。
サラはそのときの気持ちを忘れられない。
直前に自分を低く悪く言って駆け引きしたのはなんだったのか。サラは自分を貶めるまでもなく、この身分証を手に入れられたのだ。セイファはそれを察してか、あえてのそっけない表情を保っていた。
――これ、申請から発行まで一週間以上かかったんです。失くさないでくださいね。
最後に嫌味がついてきた。セイファと『仲良く』やっていくに程遠いことが明確となっただけだ。
(でも門前で待ちぼうけはないわ!嫌味がてら、付きまとってやるんだから!)
本来の目的を忘れつつあるサラである。
ちょうど昼時で、学生たちが学食や芝生のうえでランチタイムを楽しんでいた。
学食はここに隣接する調理専門学校の生徒が仕切っているそうだ。この大学の姉妹校である。
せっかくだから学生気分でも味わおうか、と心がはずむ。学食なんて、久しぶりだ。
学食の入り口で何を食べようか迷っていると、肩を叩かれた。振り返れば、小柄な青年がにこにこと笑っている。――ナターリアだ。
「ナターリア!」
「どうしたの、こんなところで。学内見学申請でもしたの?」
「はい。この通り」
「これから食事?」
「ええ。学生気分を味わおうかと」
「一緒に食べようよ」
「いいですか?じゃあ、おすすめ教えてください。何食べようか迷ってて」
「サンドウィッチがいいよ。ドリンクのセットにするなら、発酵茶だね。学食と思えない、いいお茶出してくれるよ」
「私、黒豆派なんですけど」
「これだからガリアス人は。――イスヴィラの食文化は、発酵茶ありきで発展したんだから、一緒に飲むのは発酵茶」
「うーん・・・・・・」
なにやら同じ事を最近言われたような気がする。――この国ではガリアスならばどこにだってあった黒豆茶が、ことごとく否定される。黎逢ならばなんでもありで、中央世界の乳茶、架国の花茶、北部のオーロラ茶と、あらゆるお茶が出てきた。研究者が世界中から集まるために、そのニーズに答えた結果である。
「確かにガリアス人はこだわりすぎだと思いますけどね、イスヴィラ人もこだわりすぎですよ。世界にはたくさんお茶があるんですよ」
サラは勧められたサンドウィッチのセットメニューを、ナターリアはトマトソースのパスタを頼み、空いていた端の席へと座る。
「それって、おいしい?」
「好みにもよるでしょうけど、私は花茶とか、緑茶とか好きですよ」
「花茶は華やか過ぎて好きじゃないな。緑茶って、黎逢茶のこと?」
「そうです」
「飲んだことないな」
「あ、あとオーロラ茶とかはどうです?」
「だったら、チョコレートミルクのほうが好きだなぁ」
ナターリアが言うとおり、お茶はいいものだった。口当たりも香りもやわらかい。サンドウィッチも、飽きが来ない味だ。
「サラ、仕事はどうなった?」
「うーん。ちょっと進展?かも、しれないです。案内役と、ちょっとばかり話せました」
「ふうん、それでキャンパス内を歩ける、って?」
「そういうことです」
「セイファ、だったよね。案内役」
「・・・・・・?ええ」
そのときナターリアの表情はにこやかなままだった。けれど、目だけは違う。表情がすっと消え去った。――サラは驚いて彼の横顔を凝視する。
セイファもナターリアの存在を気にしていた。
確か、――「ナタリーは、芸術家としても有名だけれど、・・・中身に問題があることでも有名だから。――この際だからはっきり言います。もし次に彼と会っても、気を許さないでください。下手なことを漏らせば、あなたの身の安全が危うい」
身が危うい。――危うい?
(あれ?もしかしてこの状況ってセイファに怒られる・・・?)
少し体温を下げているサラをよそに、ナターリアは話題を変えた。
「で、この大学はどう?楽しいでしょ?よく観光客も来るんだよ。事前に申請が必要らしいけどね」
「ええ――、あっちをみてもこっちをみても、芸術だらけですね。あと、モデルやってくれとか頼まれました。誰でもいいんですかね?おもしろいところです」
「なんかサラを見てひらめくものがあったんじゃないかな?誰にでもは声かけないよ」
他愛ない会話を重ねていく。
イスヴィラに来てからというもの、ろくに喋る相手がいなかったサラにとって、会話らしい会話は久しぶりだ。ついつい、夢中になってしまう。小さな危機感など、あっという間に彼方に飛んでいった。
だから。
「――なんです。せっかくだから、メイユのうわあああああ」
突然背後から二の腕をつかまれ、上へと引っ張られた。バランスを崩して、食べ終わって空になった皿に手を突っ込んでしまう。
「何をしてるんですか」
声に温度があるならば、降ってきたそれは摂氏四度くらいだとサラは思う。
慣れたもので、声を聞いただけで反射的に言い返せた。
「何するんですかっ!」
解放された腕を抑えながら振り返って言う。
「僕の質問が先です」
「食事と会話ですっ。見たとおりでしょう?」
「そんな芸のない回答しか出来ないんですか、本当に軽蔑しますよ?」
「芸人じゃないんですから、気の利いた回答なんてできませんよ!」
「誰も笑い取れなんて言ってないんですけど、どういう思考回路なのそれ」
セイファがわざとらしく額を押さえる。サラは、頭痛がするのはこっちだと言いかけて、己の健康さを思い出してやめる。
二人の言い争いを止めたのは、ナターリアのくすくすという笑い声だ。――その他に、学食に集まる人々の無関心を装った好奇の視線もあった。が、これは要因として小さい。
「ええと、これはですね」
慌ててナターリアに弁明しようとしたサラだったが、そのときすでにナターリアはサラのほうを見ていなかった。
「やあ、セイファ。おもしろい人と知り合いだな」
やっぱり。というのがサラの最初の感想だ。セイファはこの小柄な青年と、知り合いだったのだ。
セイファは冷めた目でナターリアを見下ろして応えた。
「―――、―――――」
(え?)
セイファの口から飛び出した言葉を、サラは理解できなかった。耳には入っていたのだが、久しぶりの響きに頭がついていかなかったのだ。
それは、黎逢語だった。
(ええええええと、)
――失せろ、テロリスト。
それにプラスして、頭が翻訳を拒否するレベルの罵倒の言葉が一語。
「てろ、りすと?」
サラの疑問をよそに、セイファは冷笑を浮かべて喋り続けている。
「――ああ、これが理解できてるなんて痛々しいことこの上ないね。ほら、イスヴィラ人によると?世界の端の小国の言葉なんて、なんの役にも立たない?だったよね?」
――黎逢語は、システム運営に関わる科学者の多くにとっての共通語だ。ただしそれ以外の分野となれば、イスヴィラ語が共通語とされることが多い。これはイスヴィラ人の自尊心を保っている事柄の一つ。ゆえに、イスヴィラ人は黎逢語を遠ざける。
「教えてあげるけどさ、レナラストは黎逢語なんてほとんど喋れなかったよ。周囲が彼女に合わせたからね。――君がイスヴィラ人らしい妙なプライド捨てて習うような言語じゃない、でしょ?」
訳語が見当たらない、黎逢特有の罵倒の言葉が合間に入っている。生まれも育ちもイスヴィラだと言ったナターリアが理解できているかは怪しいが、少なくとも酷い言葉だとは気づいているはずだ。
そんな言われっぱなしのナターリアは硬い表情でセイファを見上げている。
サラがはらはらしていると、ふいにセイファの視線がこちらへと移った。
「行きますよ」
その一言だけ、イスヴィラ語でも、黎逢語でもなかった。サラは驚いて、固まってしまう。そんな反応にかまうことなく、セイファはサラの手を引いてその場を後にする。
去る二人の背中に、――正確にはセイファに向けて、周囲の視線を気にしない大音声が浴びせられた。
「ろくに才能もねえくせに!てめえこそ、こっから失せろ!」
セイファはそれを完璧に無視した。




