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(ガリアス語、だった)
あまりに混乱したためか、サラの頭の中ではそのことが妙にこびりついて、ぐるぐるとめぐっていた。
――行きますよ。
セイファがサラに対して呼びかけたときに使った言葉は、ガリアス語。サラの母語である。
学食を出たセイファはサラのことなど無視して北側の校舎へと歩いていった。いつものことだが、サラは彼の背中を追いかける。
「セイファ!」
止まるとは思っていなかったのに、セイファは立ち止まった。
サラが小走りに彼に追いつくと、彼は摂氏四度の声と表情で応えた。
「・・・・・・なんですか」
「え、いえ。・・・ええと」
そういえば、目的なくついて来ていた。――正確には、途中までセイファがサラを引っ張っていたのだが。
「そうだっ、セイファ、ガリアス語まで喋れたんですか?!」
「ガリアス?・・・ああ、さっきの?」
セイファが軽く面食らいながら、しかし冷静に。
「知りませんよ。挨拶と、いくつか単語がわかるくらいです」
「あ、そうなんですか」
「・・・・・・なんでほっとしたような物言いなんですか?」
セイファの表情が怪訝なものへと変化する。サラは口を尖らせた。
「だって。セイファが三つも言葉喋れるとか言ったら悔しいじゃないですか!しかも私と丸かぶりで三つとか!」
母語、イスヴィラ語、黎逢語。いくつもの言語を操る人間にはめずらしくもない組み合わせだが。一応、三つもの言語を扱えるとなれば自慢になる。
サラはもともと己の特技をひけらかし誇るような人間ではない。しかしセイファと一緒にいると自信喪失することばかり。一つや二つ、勝っているところを見つけてそれに縋らなければ、家から出たくなくなるに決まっている。
「・・・・・・なんてくだらない」
心底嫌そうに、セイファがつぶやいた。
「くだらなくないですよっ!」
「あなたは物事の優先順位を見失いがちです。少なくとも、今気にするところじゃありません」
セイファはやれやれとため息をついて、再び歩き出した。サラは慌ててそれに並んでついていく。
北校舎は昼時のせいなのか、がらんとしている。時折人を見かけるが、急いでいたり、自分の世界に没頭していたり。没頭しすぎて壁にぶつかる人も目撃した。
「僕、あいつには気を許すなと言いませんでしたっけ」
「・・・・・・それは、そうですが」
「それと、目立たないでください。騒ぎを起こさないでください。ここへの出入り許可、取り消されますよ」
「騒いだのはセイファです!」
正当な主張である。サラはおろおろしているだけだった。
「たとえ黙っていても、あいつは目立つんです。傍にいたらあなたも目立つ。――テロの対象のくせに堂々と日の下歩かないでくださいよ」
後半はぐっと声を潜めて言われた。
――システム研究に関わる研究員たちは、テロの対象だ。だから研究員であることを外では明らかにしない。
「・・・最悪です、セイファ」
それに対して、セイファは鼻で笑っただけだ。
「最悪です!あなたとナターリアが仲悪いってのはよくわかりましたけど!それをなんで私にまで押し付けるんですか?!」
「あなたは立場を理解すべきだ」
「はあ?!立場?他人を酷い言葉で罵倒するような人間の指図受けなきゃいけな
いような立場、この世に存在しません!」
――がん!
言葉は返らず、セイファが廊下の用具入れを蹴りつけた。
低く短い音に、サラはびくりと体を震わせる。
セイファはこちらを見ていない。頭をかきむしって、再び用具入れを蹴りつけている。
サラが三歩離れたときに、セイファは射殺すような目でサラをにらみつけた。
「・・・・・・」
だが。
覚悟していたような、言葉も暴力もなかった。
「本当に、調子も予定も狂う。――とにかく、来て」
セイファは短くそう言うと、サラに背を向けて歩き出した。サラは、びくびくしながらもついていく。
(びびびびっくりした・・・)
サラは威圧感のある相手が男女関係なく苦手だ。ヒステリーなら苛々するだけなのだが、特有の雰囲気を発して圧倒してくる相手の前では萎縮してしまう。
セイファにはまったくそれを感じていなかった。彼を例えるならば、静かに侵食してくる冷気である。ところが、さっきの瞬間、彼はサラを威圧した。
知らなかった。怒ると、男性にしては華奢なセイファでも怖いのだ。
すでに「仲良く」なんて諦めていたのだが、急速に彼との関わりを厭う気持ちが大きくなった。
話しかける言葉すら見つからない。落ち込んでいるわけでもないのに、見つける気持ちが湧き上がってこない。
(私が、悪かったっていうの?でもセイファも酷いわ)
一つ廊下を曲がると、北に位置するせいも手伝ってか、薄暗くなった。ふと見上げれば、日陰であることに加えて明かりがついていないのだ。人が通らない場所なのだろうと想像できる。
まもなくたどり着いたのは、とても大きな扉の前。――扉についている窓からは、内部の混沌とした様子が見える。どうやら作品を保管する物置のようだ。
セイファは鍵の部分に学生証をかざして、ロックを解除する。
「・・・・・・ここ、なんですか?」
「キャンパス内に美術館あるの知ってます?」
「はい、午前中に見学しました」
「あそこの作品、年に一度入れ替えるんです。展示していないものがここに。今じゃ有名になった卒業生の作品とか、けっこうあるんですよ」
「はあ・・・そのわりに、その。管理が杜撰とまではいいませんが・・・」
彫刻や絵画、ありとあらゆる芸術の形が保管されている。――のはいいのだが、サラのイメージでは、美術品というのはもっと丁寧に、厳重に保管されているものだった。現実は、イメージに激しく反している。
「それほどの価値はないですから」
あっさりと言い切った。
学生証の認証キーに反応して、物置の明かりが灯る。
「陶芸作品には近づかないでくださいね。価値は低いといっても、壊したら面倒ですから」
――おそらく、嫌味なのだろう。
これまでよりも、腹は立たなかった。妙に冷めた感覚で、「ああ嫌味か」と思うだけ。むしろ相手に壁を作ろうとする自分を嫌だと思う。
「ここには、何の目的で?」
「レナラストの作品もあるんです」
「・・・レナラスト?」
また?
またレナラストだ。テロの爆発的増加の原因と言われている芸術家。しかし、なぜその作品をセイファは見せたがっている――?
「自分で見つけてみます?」
「いえ、わからないと思うので」
「ふうん」
セイファは歩みを止めて、すっと一つの像を指した。
「あれです」
そこに在ったのは、一抱えほどの白い像だった。
髪の長い少女。それが戯れているのは、鳥と魚。それらは波とも風ともつかない、柔らかな曲線の合間にいる。
「かわいい!」
それが、サラが持った第一印象である。
言ってしまったものの、かわいいは相応しくなかったかもと後悔する。
綺麗というほうが近い。こどもの純真さと似た、透明感のある綺麗さだ。
「レナラストが在籍二年目に作ったものです。キャンパス美術館でも人気が高い展示物だったんですけど、ラストブルーが流行ったときにこっちに移されました」
「あー、面倒なことになりそうですもんね」
「残念ながら、間に合わずに面倒なことになったそうです。詳しくは知りませんが」
「・・・・・・そうですか」
本人がその場にいなくてもトラブルを引き起こすとは。現在の治安悪化も含めて、レナラストは世紀のトラブルメイカーとして名を残すに違いない。
「ただ、世間から隠そうって魂胆でここに保管しているわけじゃないんです。今はたまたま、こっちにあるだけで」
「そうなんですか?」
「だって今のキャンパス美術館には、彼女のほかの作品がありますよ」
「へー・・・?」
「――で、こっちを見てください」
「はい?」
今度はレナラストの作品のはす向かい。サラのちょうど背後の作品だ。
こちらも白い像だ。おそらくレナラストのものと同じ素材。
題材になっているのは少年。同じく曲線で世界観が表現されている。少年は座っていて、何かを眩しそうに見上げている。
「これもレナラストのものですか?一対の作品?」
「それ、ナタリーのです」
「う?」
ナタリー――ナターリア。女名を使う、小柄な青年。とても無邪気に笑いかけてくる反面、底知れないなにかを隠している。無邪気なのは嘘ではないと思う。どちらも彼の本性だ。
その彼が、レナラストの作品とよく似たものを創っている?
「あのごめんなさいちょっとあの、うん。・・・あの、気持ち悪いとか思ってないですええ」
一瞬にして合点した。
白で創られた少年は、レナラスト作の白の少女を見ているのだ。少年はつまり、ナターリア自身。そして彼は、レナラストを見ている。
どれくらい見ているのかといえば、――芸術になるくらい純粋に重々しく。
「これ以上は言わなくてもわかるでしょう?」
心なしかセイファの声の温度が下がっているように感じる。サラの心内温度計によれば、摂氏約一度の低下。
目的はこれだけです。口で説明するより早かったでしょう?――と、セイファが言い、二人は保管部屋を後にした。
セイファが扉の前で再び学生証をとりだした。電子音の後に、鍵がかかる。軽々しくて、いまいち信用できない。
ぱっと見た限り、サラの知識と技術であっさり解除できそうだ。伊達に世界最高レベルの大学で学んだわけではない。その気になれば、大学の学生証くらい偽造できたのだ。やらないのは良心から、ではなくて、それを思いつけるような頭をしていないから。つまり、彼女は大変偏った思考回路の持ち主なのであった。
「やっぱり・・・杜撰とはいいませんが、警備が甘くないですか?その電子錠とか、すっごく単純ですよ?保管されているのは、一応問題が起こったくらいに評価されている作品なんでしょう?」
作品自体はきっとセイファが言うように価値の低いものだ。
けれどレナラストの名前が、ことを大きくする。
芸術に詳しくないサラにだってそれくらいはわかった。
「この大学が、キャンパス内に入る人を厳重に管理し始めたのは、ラストブルーの時なんです。それまでは、通常の大学よりもオープンだったと聞いています」
厳重に管理。――サラは、門前で人を待っていただけの自分が通報されたことを思い出す。
「この大学にはレナラストの残した作品がたくさんあるんです。研究所からの圧力が年々強くなる中、これほど簡単に見られる場所もないでしょうね。これを餌に学生を集めている節さえあります。でも、もしこれが一度でも破壊されたり盗まれたりすれば、すべての作品が即公開停止、厳重保管間違いなしです。――意味わかります?」
「この環境を壊したくないなら手を出すな?」
「そういうことです。不安定ながらも、今のところ成功しています」
「・・・それも信頼、ですかねぇ?」
「これ以上の話は、別の場所でしましょう。――もうお分かりだと思いますが、ナタリーのような学生は沢山いますよ」
「わ、わかりました・・・」
さすがに、よくわかった。頭のど真ん中に、言葉よりも明確な理解を叩き込まれた。
ナターリアの作品は、それくらい強烈だった。
セイファはナターリアに向かって「テロリスト」と罵った。その真意を今尋ねることは出来ないが、――もしかしたらナターリアは、サラが研究員だと知れば無邪気に笑いかけないかもしれない。
聞きたいこと、話したいことを今のうちにまとめておこう。セイファがああ言ったのだから、喋る時間はとってもらえる。ちゃんと考えておけば、サラは感情的にならずに理路整然とした話が出来る。そうしたら、セイファを苛立たせることはない。
「午後からの予定は?」
セイファがたずねる。
「特にないです。セイファは、授業ですか?」
「いえ。自主制作を何にしようか、模索、ですかね」
そういえば――セイファもここの学生。ということは、芸術家の卵なのだ。
絵なり彫刻なり陶芸なり、やっているはずなのだが、サラはまだ知らない。興味がないと言うほうが正しい。
「ああちょうどいい、あの部屋にもレナラストの残したものがあります」
またレナラスト。
ナターリアの重々しさを知ったばかりの今、うんざりしているのに。
サラは面倒な気持ちを表に出さないよう細心の注意を払いながら、けれども間抜けで気のない返事をした。
「・・・はあ」
「来ます?」
特に予定がないと言った手前、断れなかった。




