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セイファによれば、そこはぎりぎりイスヴィラ市内である。区画整備され、人の通りも多く賑やかな街とは一転、のどかな山並みと森の風景が広がっている。
平屋の、開放的な造りの家が一軒建っていた。お隣さんまで何キロメートル離れているだろうかとサラは思う。本気で、さっき見た家からの歩数を頭の中で数えてみた。途中で思い出せなくなって挫折したが。
開放的な、と言ったが、それは作業場が広々と外に面しているからだ。
車が余裕で三台並ぶ、車庫のような空間に、所狭しと物が置かれている。一抱えほどもある丸太、大小ののこぎりたち、ナイフ、鑿、――そして削りかけの木の像。
「ピアーっ!」
セイファが叫ぶ。静かな森に声が吸い込まれただけで、返事はない。
「ここ、なんですか?」
「芸術家の工房。――ピア!」
サラは興味深く観察した。彫りかけの像の前には小さな椅子があった。周囲には、削りかすが散っている。
ばん、という音がした。音源を無意識にたどると、作業場から屋内へ直接続くドアが開いていた。そこから、大きな体躯の男が出てくる。
「大声を出すな」
音程も音量も低い声だった。ゆったりとした印象を受ける物言いである。
この人が「ピア」だろう。
縦にも横にも大きい。横というのが、太っているのではなく骨太なのだ。そこにしっかりと筋肉がついている。形成されたその体型は、アスリートではなく職人のもの。五十代、といったところか。
ピアは二人の客人にあまり興味を示さず、作業台の前に座った。もともと小さな椅子だったが、ピアが座るにはあまりに面積が少ないので、サラは不安になってしまった。
「ピア、食べてる?」
「食べているし、夜になったら寝ている。どこかの小娘と一緒にするな」
「風呂は?」
「おとといだ」
「・・・ならいいけど。いろいろ買ってきたから、冷蔵庫に入れとくよ。なくなる前に連絡して」
「ああ。悪いな」
「その、心底ありがた迷惑って感じの言い方やめてくれる?」
「そんなことは、かけらも思っていない」
会話中、ピアはずっと鑿と槌を動かしていた。ちょっとずつ削れていく像は、とても複雑だ。サラの位置からは、人の横顔らしきものが見えた。
「ピア、勝手に入るよ」
「かまわん。なんなら、お茶でも飲んでいけ」
「淹れてくれるなら、喜んでと言いたいところなんだけどね」
セイファはサラに目配せして、一緒に家の中へ入った。
彼は台所へ直行し、ここへ来る途中に買った大量の食糧を食卓台の上にどんと乗せる。
「やれやれ。しまうの手伝ってくれます?適当でいいんで」
缶詰がメインの荷物は、あっというまに片付いた。並べて戸棚に入れるだけだから、簡単だ。
セイファは壁にかけてあった手鍋をとって、湯を沸かし始めている。そして、窓際に並べられたポットとカップを引き寄せ、どこからともなく小汚い茶缶をとりだした。
「あれ、結局お茶淹れるんですね」
「いい茶葉だから。飲むでしょう?」
「発酵茶ですか?私、黒豆派なんですけど」
「ガリアス人は前時代の飲み物にこだわりすぎ。ここはイスヴィラだよ」
慣れた手つきで、三杯のお茶が出来上がる。セイファはひとつをピアに届けて、また台所に戻ってきた。
木でできたテーブルには、なべや皿が作った染みが残る。椅子は三つ。どれにも、思い付きのような中途半端な彫刻が施されていた。
二人は向かい合わせに座り、ゆっくりお茶を飲んだ。
――ゆっくり、ゆったりした気分に浸ったのはセイファだけだ。サラは、慣れない場所で会話もない状況を居心地悪く感じていた。
「あの、」
「なに?」
話題はない。というか、下手なことを口走ったらまた馬鹿にされる気がする。
「・・・ナターリアと私がいるのを見つけたとき、セイファ驚いてましたよね?」
「そうだっけ・・・」
誤魔化すかのように、セイファは視線を左上にそらす。
「あいつは有名だから・・・」
「そんなふうには見えませんでしたよ」
「・・・鋭いなら鋭いと普段から見せてもらわないとこっちも油断するんだけどな」
「隠してるんです、能ある鷹なのでっ」
「胸張らないでください。痛々しいですよ」
サラは反射的に胸をかばった。
「どういう意味ですか!セクハラってやつですか?!」
「違います」
一瞬だけだが、セイファは動揺した。その反応を引き出せたことに、サラは満足する。
が、次の言葉でささやかな満足感など粉砕される。
「ナタリーは、芸術家としても有名だけれど、・・・中身に問題があることでも有名だから。――この際だからはっきり言います。もし次に彼と会っても、気を許さないでください。下手なことを漏らせば、あなたの身の安全が危うい」
「え、どういうことですか?!」
「あなたって聞いてばかりですね。自分で考えられないの?」
「情報が少なすぎますっ!だから今日だって観察を・・・」
「充分あると思うんですが」
「それはあなたの思い込み、あなたの主観に過ぎません!」
「・・・・・・」
唐突にセイファが黙り込んだ。サラがどんなに言葉を選んでも、彼は反論してくるというのにめずらしい。
サラはあせってしまう。
「・・・セイファ?」
「いえ。なんでもないです。僕なりに、反省するところもあったかなと」
「へ?」
「ついて来て下さい。ここに来た目的を、見せましょう」
セイファはお茶を三分の一ほど残したまま、立ち上がった。サラは飲み干して、彼の後を追う。
平屋のそこは、外からの印象より広い。
廊下と部屋の間に、ドアはなかった。布で仕切ってあるか、そのまま出入り口が口をあけている。
セイファが案内したのは、北側の部屋だ。使われていないらしく、埃っぽい。日当たりは最悪で、窓から見えるのは森。昼間なのに、薄暗い。明かりをつけると、その部屋の用途がわかった。
――壁に立てかけられたキャンバス。散乱する絵の具。大小の絵筆。キャンバスには、真っ白なものも、描きかけのものもある。そして一枚だけ、額に入れられ飾られていた。
紫がかった淡い青が、印象的だった。夜明けの色だ。その淡い色に染められた風景が描かれていた。とても幻想的で、絵画の知識がないサラにも「綺麗」とだけは理解ができる。
「――綺麗ですね」
「これを見て何も思わない?」
「え?綺麗ですね・・・?」
セイファに対しては、ダメな回答だったらしい。静かで冷たい圧力を感じる。
このまま冷たく突き放されるかと覚悟したのだが、セイファは苛立ちを飲み込んで改めて口を開いた。
「レナラストを知っている?」
「はい。ラスト・ブルーの人ですよね。幻想三部作がブームのもとで、何を勘違いしたのか研究所へのテロ行為が爆発的に増加したという・・・」
「これは、レナラストの絵。目下話題沸騰中の、三部作の最初の作品」
「え」
改めて、絵を見る。今度は凝視だ。――確か、マス・メディアが散々取り上げていた。付属学校は世間と隔離された場所だったから、興味を持つ機会がなかったのだが・・・・・・
「そう言われればそんな感じで」
「一番有名なのは、真ん中の『蒼穹』だから。これの注目度は低かったですよ」
「はあ・・・、これって、レプリカじゃないんですか?本物?」
「本物」
それが驚くべきことなのは、サラにもなんとなくわかる。レナラストの絵は、世界を揺るがせたのだ。世界中で「ラスト・ブルー」を連呼させ、街を青色に染め、そして勘違いした連中に平面世界を攻撃させた。
その発端の絵が、無防備に民家に飾られている。
「ピアさんって、何者です?」
「研究所の、客員特殊技能者。システム維持に必要な、細かい部品を作ってる」
「彫刻家じゃないんですか?」
「本業は、金や銀の細工師。彫刻のほうが世間にうけたから今はあんな感じ」
「ご職業はわかりましたけど、でも、なんで絵を・・・」
「ピアは、レナラストの父親です。レナラストの本名は、レーナ・ピア」
なんと、父親がいたのか。――当然のことに、サラは妙に驚いた。
レナラストはメディアを通してしか知らない有名人で、しかも画家という日常からかけ離れた存在である。なんとなく、故人と同じ感覚だった。思い返せば、レナラストは若い女性である。サラとそんなに違わない年齢だ。
「この絵を見て、何か感想は?普通に、綺麗とかでいいですよ」
「・・・・・・とても幻想的です。色の濃淡が、すごく素敵ですね。月と、森と、海ですか?綺麗ですけど、冷たさとか、不安みたいなものも一緒に呼び起こされます」
「及第点です。答えを言えば、この絵のタイトルは、『幻想世界』」
「へえ。結構直球なタイトルですね」
「・・・そうでも、ないと思いますよ。これのタイトルは、レナラスト自身がつけたんだ。というか・・・逸話が残っていてそれが由来になったというか」
「逸話?」
「本当の世界はずっと美しい。しかしこれは幻想と言わざるを得ない。――と語ったらしいです」
サラはうまく意味をつかみきれなかった。
幻想的な絵を描こうとしてそうなったわけではなく、己が満足できずに「所詮幻想だ」と投げ捨てた?サラは綺麗な絵だと思うのに、芸術家の目は違うのか。ずいぶんと己に厳しい人だと感想を抱く。
「これを見て、破壊衝動とかおこりました?」
「は?起こりませんよ。どちらかといったら、鎮めるような絵でしょう」
「普通はそうでしょうね。――まったく、テロリストのプロファイリングなんて、不可能にしか思えない」
ぶつぶつとセイファは文句を言う。
そんなセイファの姿から、サラはなんとなく彼の意図を察し始めていた。
サラが配属されたのは特殊警備隊。研究員であるが、システムにあだなすテロリストと直接向き合うことも珍しくない。そして昨今のテロはほぼすべてレナラストが理由に使われる。
「セイファは、私にプロファイリングしろというんですか?」
「できます?」
「やれと言われればがんばりますっ!行動科学の授業は受けたことあります!」
「別に張り切ってやる必要はありません。プロがすでにやっているんで、それの報告書くらい取り寄せます」
あっさりと出鼻をくじかれた。
ランクEじゃ見せてもらえないかもですけど、僕という特例がどうにかしてあげますよ。という嫌味付きである。
「・・・セイファは私よりそんなに、特例が許されるほど研究所やシステムについて詳しいんですか?」
不満がそこかしこからにじみ出る物言いになってしまった。嫌味な相手だから少々はかまわない、と開き直る。
セイファが冷笑する、かと思いきや、――彼は表情を消した。
「ある意味で、あなたよりとても」
華やかな顔が、夜の湖面のような影を帯びる。いけないものに触れてしまった気がして、サラは動揺した。
「く、暗い過去とか気取ってるんですか!やめてくださいよっ」
「残念。そんなくだらない過去ありません。恵まれた家庭に育ったんでね、あなたよりいい育ちですよ」
「はあ?!」
「あなた一般家庭って感じですよね。なんか、品とか優雅さに欠けます」
「さらっと何言ってるんですか!」
「心が自由奔放です」
「だからっ」
「いい科学者の素質を殺されない家庭環境だったみたいですね。うらやましい」
「・・・・・・」
いつのまにか、セイファは笑っている。一癖も二癖もありそうな笑みだが。
(でもやっぱり)
本人は否定したが、過去に何かあったのかもしれない。
(もしくは、また研究所の機密よね)
後者であると仮定すれば、結論として導き出されるのは、己の地位の低さ。
ランクE。準研究員、もしくは研修員。その最低レベルから抜け出るための新人研修はこのありさま。
セイファが少し口をきいてくれたくらいでは、この憂鬱は打破できないのだ。
「何で落ち込むんですか」
「落ち込んでは、ないです。だけど、セイファ。どうして私にこの絵を見せたんですか?それがまだわかりません。――それに、新人研修の教官がどうしてあなたなのかも。それと、研修って言いますけど、何をさせたいんでしょう?」
「全部質問ですか?軽蔑しますよ」
すでに半分以上軽蔑が混じるセイファの声。しかしサラは、言葉が通じた今を逃したくなかった。勢いに任せて、言いたいことを連ねる。
「私、ちゃんとやってきているつもりでしたよ?だけど勉強不足といわれたら、反論できません。確かに私は知らないことが多い。あなたは察しろと言いましたが、研究所は機密だらけで、私程度の頭では少ない情報から察するのも難しいんです。セイファがこれだけ知っていて当然、これだけ頭が回って当然と考えている基準は、とても理不尽じゃありませんか?あなたはすべて自分の尺度でしか物を見ようとしていませんよね?あなたはあなたの感覚が普通と思っているのかもしれませんけれど」
「――完全なる客観は存在しない、って?」
反論ではない言葉が返ってきて、サラは面食らった。面食らいながら、そうです、とうなずく。
「こんな考え方はどうでしょう、セイファ」
その場の思い付きだった。だけれど、成功すると確信を持てた。
少しだけ胸が痛む。目が潤む。
「あなたの前にいるのは、どうしようもない不出来な新人です」
そんなこと、自分の口で言いたくない。
あれだけ勉強して、いい成績とって、そうしたら、出世コースの部署に回された。努力が報われた。自分は能力のある人間なのだろうと思えた。
けれど。
「不出来な新人が、下手な考えをして暴走してたら、上官として困りますよね?いくらあなたにとれる責任がないと言っても」
サラはそこでいったん息をついた。緊張と、泣きそうな気持ちを押さえ込むのに必死で、息ができなかったのだ。
セイファは視線だけで先を促した。
サラは、にっ、と笑ってみせる。演技だ。きっと見破られている。
けれどこの瞬間、サラは流れを握ったことを理解していた。
「――その暴走を防ぐために、あなたはもっと新人のそばにいる時間を増やすべきです。そして、機密に触れない限り、もっと情報を与えるべきではありませんか?」




