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Ⅷ
「セイファ、大丈夫ですか?」
「・・・・・・だいじょ・・・・・・っ!」
言葉が途切れた。ごぽっ、という音が、彼の喉とも腹ともつかぬ場所から聞こえてきて、吐瀉物がコンクリートの床に散らばった。その臭いにサラもえずきそうになったが、唾液を飲み込んでやり過ごす。幸か不幸か、眼鏡を壊されたのではっきりとは見えないため、影響は最小限だ。
セイファが咳き込み、荒い息を繰り返す。
数分前にサラが渡したハンカチで彼は口を拭うが、すぐにまた込み上げたもので汚れてしまう。
いつまで続くだろうか。そろそろ戻すものも尽きたと思うのだが。
「セイファ」
「・・・すみません」
「いえ、いいですよ」
背中を撫でながら答える。
(でも、本当、いい加減に回復してもらわないと何も出来ずに事態が悪化するわ)
サラ自身も心拍数は上がっているし、呼吸も努めて整えなければ乱れそうになる。
だが、サラは確かに冷静だった。
捕まったサラとセイファがいるのは倉庫のような場所だ。移動した距離を考えると、おそらくはイスヴィラ市街。ばらばらにされなかったのは幸いだ。きっとここは仮のアジトで、準備が整い次第移されるのだろう。できればそれまでに解決したいと思うが、あちらだって早くウルダン基地のお膝元を出たいと思っているはずだ。
出入り口には、顔の下半分を隠した見張り。やはり若く、二十代の男性だ。サラが話しかけてもまったく答えてくれない。時折迷惑そうな視線をこちらに寄越す。緊張感はなさそうだ。
(まあ、吐いてるのとそれを介助してるのを見張るって、暇よねぇ)
おかげでサラも、見張りに対して気を張らなくていい。
と思っていたら、乱暴にドアが開けられた。
入ってきたのは、天文台で二人を拉致した男だ。彼は隅でうずくまるセイファを見て、目を丸くした。
「何やってんだ?」
「吐いてます」
サラは簡潔に答える。
「車がやばかったか?」
「さあ・・・」
本人の名誉のためにぼかす。
「こんな時に、のんきにゲロってるとは、うらやましいこった」
「はあ・・・大いに同意したいところなのですが・・・あの、お水をいただけません?」
「知るか」
あっさりと断られた。もとよりテロリストに優しさなんて期待していなかったが。
もうこちらに興味をなくしたらしく、見張りに声をかけている。
「ちょっとこっちに来て手伝ってくれ。――ああ?あれになんか出来ると思うか?」
問われた見張りがセイファを見て、「まあ、そうだけど」とつぶやく。サラでさえ、同意しか出来ない。
「そうだ、もう一つ」
一度はこちらに興味を失ったはずの男がこちらに向かって来た。驚きつつも大人しくしていると、腕をつかまれ、首と後頭部のつなぎ目あたりをぐいっと押された。
「いった!なにすんですかっ!」
「研究所の人間はここに機械、埋め込んでるって聞いて」
「誰があんな手術しますかっ規制もあんのに!」
埋め込み型のB.M.I.のことを言っているようだ。脳からコンピューターへ指示を出すタイプのインターフェイスは一般にも出回る手軽さだが、その逆は脳に直接機械を埋め込むことになるので、規制もあり、普及していない。
一般人に比べて研究所内では普及していると言われているが、実際に割合を押し上げているのは管理維持部の面々だ。
「眼鏡壊しといてまだ足りませんか!」
「捨てろといったのに捨ててなかっただろ」
「多少ハイテク積んでるだけで、長距離通信機能はありませんでしたよ!買ったばっかりの最新式だったのに!こっちはド近眼なんですよ!」
思わず怒りに任せて文句を言ったら、わき腹を蹴られた。
「あんたさ、立場忘れてね?」
すぐ口がきけないほど痛かった。加減していたようだが、あざくらいは残りそうだ。
起き上がろうとしたら、さらにもう一発。今度はみぞおちに入れられて、文字通り悶絶した。
「これで大人しくしてるだろ。行くぞ」
ドアの閉まる音がして、倉庫内は静かになった。
「・・・・・・大丈夫、ですか」
咳きこみながらセイファが言う。
「・・・・・・セイファに聞かれても、なんとも答えづらいですが」
今度こそちゃんと起き上がる。ずきずきと痛みが続くのはわき腹のほうで、肋骨の状態が気になった。
「吐き気は、治まりました?」
「気分は悪いんですが、吐くものがもうないので」
「一応聞きますが、食中毒ですか?」
「・・・・・・」
セイファは目を逸らした。昼は学食、夜はサラと同じものを食べたのだから、食中毒は考えにくい。――極度の緊張がもたらした、神経性嘔吐だろう。
「・・・・・・昔から、時々、あるんです」
「そうでしたか。もう出すものがないなら、移動しませんか?少し横になったほうがいいですよ」
「・・・そうですね」
さすがに嘔吐物の近くでこれ以上過ごしたくない。悪いものを誘発しそうだ。
セイファは今にも倒れそうな足取りで、顔色も死人に近い。
横になることを提案したものの、出来る場所は床しかない。すでに日は沈んでいるし、季節的にも夜は冷える。
見回した倉庫の中は、棚が整然と並ぶだけ。暖をとれるものは見当たらなかった。
「寒くないですか?」
「・・・気分悪いんで、ちょうどいいです」
「それはよかった」
サラはセイファの傍らに座る。
「・・・あなたは、落ち着いてますね」
「そうですね。スプラッタ見せられたわけでもありませんし」
「蹴られた場所は?」
「うーん・・・肋骨は、いっちゃったかもしれません」
「・・・・・・すみません」
「でも、加減していたようです」
にこりと笑って見せれば、セイファもやつれた顔でどうにか笑う。
「そういえばセイファ、護身術もできたんですね」
「・・・ええ。役に立ちませんでしたね」
まさか「そうですね、下手なことされても迷惑です」とも言えず、無言でやりすごす。
「僕たちが、受けた教育は、特殊警備隊が研修でやるものと近いんですよ」
「そうなんですか?ああ、だから教官に」
「ええ。将来、こうなってしまう可能性があるって、最初からわかってましたし、マルティは僕らしか管理できませんから。護身術と、テロ関連の知識一通り、システム管理維持の教育も受けてます。ラボ・チャイルドやってるあいだは、ずっと続いてました」
そこでセイファは呻いて、顔をしかめた。
「まだ吐き気が?あの、無理しないでください」
「いえ・・・・・・気がまぎれるので」
「そうですか・・・ええと、じゃあ、せっかく勉強したのに、どうして美大へ?付属大学ならセキュリティもばっちりですし、研究員になった後も、安全ですし・・・」
「・・・・・・あんまり、好きになれなくて」
「マルティのことで、ですか?」
「たぶん、それもあります、けど・・・」
「セイファ、けっこう研究職向いてそうに見えますよ」
妙な部分に拘ったりする性質は、研究者によく見られる。生活していくうえでは他人との軋轢の原因になるが、研究に対して発揮されると長所に早変わりするのだ。
「・・・自分でも、そう思います。技術部とか、仕事内容は嫌いじゃないし・・・でも、進路考えた時、びっくりするくらい、頭が真っ白に、なったんです。研究所が用意してくれた進路に、やりたいことがなかった」
「それで、芸術をやりたいって気づいたんですね」
サラは自分が研究の道へ進もうと決めたときのことを思い出して、微笑んだ。この面倒な青年にもそんな岐路があったのだと、そう思った。
――しかし、セイファの表情は固かった。
「・・・・・・芸術なら、出来ると思った」
「ええと」
「レナが作り出すものが好きで、あれを自分の手でも生み出せたらと、思いました。それもあったけど、芸術なら、耐えられると思ったから」
「耐えられる、って・・・」
「僕は、これ以上、世界に対して、責任を負いたくない。少し考えるだけでさえ、頭の芯が凍りつく。僕の失敗が、誰かを、殺すかも・・・しれない」
「セイファ・・・」
「わかってたのに。わかってた・・・」
セイファがまた呻いて、口に手を当てる。
「セイファ!」
すでに胃が空だから、吐けるものがなく、セイファは咳き込み、えずきを繰り返す。
「・・・僕だって嫌です。でも、やつらは、手段を選ばない。どうせ殺される。なら、」
(ああ、そうか。だから――)
ようやく理解できた。セイファがここまで追い詰められているのは、自分の立場を知っているからだ。それでいて、覚悟ができていないから。
「・・・一人なら、逃げられますか?」
「セイファ!だからやめてください」
「戦闘訓練は、すでに終了してますよね。あなたの成績は、把握してます。僕よりもかなり上です。装備は?」
「え?ええ・・・身を守れるようなものは、取り上げられた中に」
「何が残ってます?」
「セイファ!お願いですから、嫌なこと考えないでください。それに、聞かれていないとも限りません」
見張りがいないとはいえ、油断できない。こちらを喋らせるためにわざと姿を見せていない可能性だってあるのだ。
「セイファ。彼らが私まで一緒に連れてきたのは、互いを互いの人質とするためです。ばらばらになるのは得策とは言い難い。例え私が一人で逃げて助かっても、セイファには確認するすべがありません。彼らの手の内で生かされていると嘘を教えられたら無意味でしょう?」
「・・・・・・はい」
意外にも素直に同意された。
「今は、とにかく、隙を窺いましょう。体力を回復してください。眠ってもいいですよ」
セイファは逡巡したようだが、吐息で返事をした後に目を閉じた。
B.M.I.(Brain-machine Interface/ブレインマシンインターフェイス)
:ブレインコンピューターインターフェイス(B.C.I.)とも。肥満度をあらわす指数ではありませんのでご注意。




