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食事とその片づけを終えたら、セイファはまた料理を始めた。料理が気楽だ、と言っていたが、どうやら現実逃避に近いものがあるらしい。
「今度は何を?」
「クッキーを・・・、最低限しかないので、シンプルなものになりますけど」
「クッキーの型がないですよ?」
「生地をやわらかめにして搾り出してもいいし、スプーンで適量をすくって天板に乗せるだけでもいいんです。細長く生地を形成して、冷凍庫で固くして、切ってもいいんですよ」
「へえ、そんな方法があるんですか」
マーガリンと砂糖を混ぜて、卵が入って、それから小麦粉。材料は非常にシンプルだ。
サラは邪魔にならないよう、食卓のほうで情報収集をする。やはり規制対象になったようで、ネットワーク上から倉庫爆破のニュースは消えていた。やることがなくなれば、どうしても、先ほどのメイリーフとセイファの会話を思い出してしまう。
「セイファ」
「なんですか」
「セイファは、どうしてテロ組織に狙われるんですか?」
「・・・・・・」
ヨハンの天文台で、聞いたこと。
イヅモ・カスカベ記者がもたらした情報。
そしてメイリーフの発言。
「セイファと同時期に、所内学習室にいた幾人かが、狙われる対象なんですよね。それは、レナラストも、関係あるんですね?」
「・・・・・・」
「セイファ。正しい情報がなければ、正しい行動はできません」
前にも同じようなことがあったな、とサラは頭の片隅で思う。ヨハンの天文台の、小さな台所で、セイファに問いかけた。
セイファは調理の手を止めず、案外あっさりとした口調で答えた。
「マルティバースへのアクセス権、と呼ばれています」
「・・・マルティバース?」
「手伝ってもらえます?クッキーの生地の形成」
「え?やったことないんですけど・・・」
「大丈夫でしょう。これ、広げて持ってください」
セイファに手渡されたのは、食品用のビニール袋。そこにボールの中にあった生地を流しこむ。口を輪ゴムでしっかり止めて、それから隅をひとつ、切り落とした。
「こうやって、搾り出すんです」
セイファが鮮やかに円形を作る。「こんな風にしても良い」と、星、ハート、鳥、と芸を披露してくれた。
「おおおっ、やってみたいです!」
「はい、どうぞ」
やってみると、意外に力加減が難しい。天板をすべて埋めるには、時間がかかりそうだ。
セイファは空いた手でオーブンを暖め、黒豆茶を淹れる準備を始めた。同時に、話も始める。
「ユニを覚えてますか?」
「イーニアス・イーサムと一緒にいた少女型ですよね?」
「ええ。正式に刻まれた名前は、ユニバースといいます。それと対になっているアンドロイドがあって、そっちを、マルティバース」
「ああっ!ハートにならなかった!」
「・・・・・・」
「すみません聞いてます!」
「いいですよ。あんまり重々しく話したくないための、クッキー作りなんで」
「はあ・・・あの、クッキーの、形が、」
「そっちもいいですよ。初心者にしては上手いほうです。ニアスの絶望的不器用さに比べたら、天才的です」
「・・・・・・ええと。さっきのお話で、メイリーフさんも、確か、マルティへのアクセス権と言ってましたよね?あれのことですか」
「そうです。あの二体を作ったのが、七十年度、黎逢シュシン基地の、所内学習室に所属していた内の一部。全部で十二人、います。僕やメイリーはその中にいました」
「・・・ということは、ヨハンやイーニアス・イーサムも、レナラストも?」
「はい。三人とも製作の中心です。ヨハンがリーダー、プログラミングはニアスで、レナはあの造形を」
「あれも、レナラストの作品でしたか・・・・・・」
確かに、綺麗な人形だった。それでいて、とてもリアルだった。見れば見るほどに、人間ではないかと疑うレベルで。
世に出回るアンドロイドも、整った顔立ちではある。しかしそれは人形的な整い方なのだ。ほとんど人と同じような作業ができるまでになっているのに普及しない理由は、その半端なリアルのせい――いわゆる不気味の谷現象ではないかとも言われている。
「機械的な部分は別の、サンジュってやつがやってますけどね」
先ほども聞いた名前だ。確か、行方不明だ、と。
「ニアスも、サンジュも、レナも、こだわりが強くて、他人の意見をなかなか受け付けないこどもでした。それを上手くまとめてるのがヨハンで。だから、製作者といってもあの四人以外はちょっとばかり手伝っただけです」
「ヨハンって、こどものころから器が大きかったんですねぇ・・・って、ああ!大きさがっ」
「分厚くすると、火が通りにくいので気をつけてください。――ヨハンは大人受けもよかったですよ。あのときの面々では、研究所が一番逃したくなかった人材でしょうね」
話を聞きつつ、手元に集中するのは非常に難しい。どうにかこうにかすべて形成し終えて、天板をオーブンへと移す。
話の続きは、黒豆茶を飲みながら。
「対のアンドロイドと言いますが、中身も造形も異なります。特に中身はそうです。ユニバースは一般に出回るアンドロイドと同じで、擬似人格のあるパーソナル・コンピューターという位置づけですが、マルティバースはもっと高度です」
「高度、といいますと?」
「ニアスが言うには、・・・シールド・システムの連結を支えるプログラムを参考にした、と」
「れん、けつ?」
「平面世界を成立させる時、問題になったのは、各国のコンピューターの規格が微妙に異なっていることでした。シールド・システムは巨大で複雑ですから、本来ならば特化したコンピューターを用意するべきです。けれど時間が足りず、代わりにコンピューター同士の疎通をスムーズにするプログラムを開発したそうです」
「ああ、なるほど」
サラもシールド・システムの概要は知っている。
規格の違うコンピューター同士の通信を助け、各コンピューターの制御を補助してシールド・システム向きに変えるようなものだったと聞く。
恐ろしいことに、今も一部では使われ続けている。予算と人手が回らないという理由で。
「つまり、マルティバースは、なんの準備もなくシールド・システムの維持を担うことができる、ということですか」
「ええ」
「うわあ、天才って最初から天才なんですねぇ・・・・・・」
七十年度にラボ・チャイルド、ということは十年前。イーニアス・イーサムは十五歳だ。
マルティバースの性能の詳しいことはわからないが、日々エラー音に怯えるという管理維持部の人間からすると、魔法のアイテムに近しい存在ではなかろうか。警備をするサラだって、たとえばテロでコンピューターが損傷した場合にそれがあれば便利だろうと予想がつく。自ら移動してくれるのは、非常にありがたい。
(・・・って、あれ?もしかして)
「あの、ユニには会いましたが、マルティバースは・・・もしかして」
「・・・ええ。黎逢のシステムの一部が壊れた時、その修繕に使われました。今も繋がっていて、その接続を切ることは出来ません」
「その上に、マルティバースへのアクセスは限られた人間しか出来ない、と?」
「そうです。門外漢の僕が、しょっちゅう基地に呼ばれて使われたり、あなたの教官なんてものを引き受けているのも、すべてそれが原因です」
意外なことに、セイファは微笑んだ。研究所に関わることを迎合しているようには見えなかったのに。
「マルティを引き渡すことに、僕たちは唯々諾々としていたわけではありません。こどもらしく泣いて地団駄踏んで抵抗したり、こどもながらに色々と、マルティでは不足だとか、世界のためとはいえマルティを僕らから取り上げるのは違法で、強制する場合はメディアへばらすことも辞さないとか、テロ組織にシステムの全容をばらすとか、脅してみたり」
「うわあ・・・・・・」
面倒なこどもたちである。
「まあ、脅し文句を並べていたのは主にメイリーですが」
「ああ・・・」
「最終的に、一番抵抗していたはずのニアスが、首を縦に振ったんです。びっくりしましたね、裏切られたと思った。でも、全然そんなことありませんでした。ニアスはあの二体の根幹を作ったせいか、愛情も人一倍でした」
オーブンが、時間の経過を知らせた。セイファはクッキーのやけ具合を確かめるために立ち上がる。そういえば、甘い匂いがし始めていた。
オーブンをあけると、熱気とおいしそうな匂いがふわりと伝わる。
「ニアスはマルティにアクセスできる者を僕ら製作者に限定したんです。書き換えようとすると、強制修了。それがわかったのは、マルティがシステムに使われた後のことです。テロと言ってもいいくらいの、爆弾でしょう?」
セイファが天板を取り出した。どうやら完成したようだ。
クッキーを皿に移し、そして食卓へ。
「これが、マルティバースへのアクセス権。そして現在マルティバースの管理下にあるものをひっくるめて、マルティバース・システムと呼びます。このマルティを介せば、シールド・システムそのものにもアクセスできます。もしマルティの管理下にエラーがあった場合、僕らでなければ解決できません。同時に、システムを害したい者からすると、僕らはとても都合がいい。僕らを脅してマルティバース経由でシステムを害するか、僕ら全員殺してしまえばいいわけですから。だから僕らはマルティがシステムから解放されない限り、研究所の監視下に置かれるか、犯罪者みたく身を隠すか、どちらかしかないんです」
セイファがいびつな形のクッキーを一つつまんだ。
「どうぞ。味は、悪くないはずですから」
「あ、はい」
ハートを作ろうとして失敗したものを食べてみる。
「わあああっ、おいしいです、すごいです!」
「出来立て補正があるので」
「なんだか手作りの価値を理解できたような気がします!」
「それはよかった」
セイファの手際を見る限り、複雑な工程はなかった。労力もそれほどかかっていない。コツや手順を教えてもらえば、出来るようになる、――気がする。
「ニアスがアクセスを限定するような書き換えをしなければ、こんな状況にはなりませんでした。でも、そうしなければ、僕らはきっとマルティを忘れるしかなかった。色々考えましたけど、少なくとも僕は、ニアスに感謝してる」
イーニアス・イーサムは、システムに致命的な惰弱性を、故意に作ったことになる。研究所側が道理の通らない強制をしたためだとは言え、一歩間違えれば罪に問われる。
セイファたちも、将来の選択肢を著しく制限され、命の危険にさらされる。
と、考えるものの、それよりもクッキーが気になる。二枚目へと手を伸ばす。シンプルな味が、黒豆茶によく合うのだ。
「あ、セイファ。セイファの端末、メールが来ているのでは?」
「え?ああ・・・」
調理台に置きっぱなしになっていた端末が点滅している。調理中、材料の分量のメモを見るのに使っていたのだ。
セイファが手を伸ばして端末を取り、操作を始める。
「まさかまたメイリーじゃないだろうな・・・」
口調に心底迷惑そうな色がにじみ出ている。確かにあのメイリーフはあまり関わりたくない人物だ。
端末を見つけるセイファの顔がすっと引き締まった。どうやらメイリーフではなかったらしい。
「なにを・・・・・・」
引き締まった顔が、どんどん険しくなる。
とても声をかけられる雰囲気ではなく、サラは不安を誤魔化そうとクッキーを食べた。
おもむろに、セイファが立ち上がった。椅子にかけていた上着を羽織るので、サラは驚いた。部屋は充分に温かい。セイファは、外に出るつもりなのだ。
「セイファ、外はちょっと」
「あなたはここにいて下さい」
「だだだ、だめですよ!」
先ほどテロリストに狙われているかもしれないという情報があったのに、無防備に外に行こうとは、自殺行為だ。
セイファの上着の裾を掴む。同時に、彼がテーブルの上に置いた端末の画面が目に入った。
「セイファ!端末忘れてます・・・!」
先ほどまで手に持っていた端末を、放置して出て行こうとしていた。
「端末・・・・・・」
セイファが取るより先に、サラは端末を掴む。表示されているのは電子メールだ。差出人は、イーニアス・イーサム。その内容は、先日発生したシステムの不具合と、サイバー攻撃について。ただの報告書に見える。
「返してください」
「嫌です。セイファ、どこに行くつもりなんですか」
「急を要しています」
「この報告書のどこに、急を要すると書いてありますか」
「そういう意味にしかとれない。少なくとも、僕には」
「これは、イーニアス・イーサムからの、個人的なメールですよね?」
「・・・・・・」
「研究所からここで待機するように指示されているでしょう?しかもあなたは、私の教官です。私の安全を確保するという仕事を請け負っている。それを放棄するんですか?」
「・・・早く、行かないと」
「イーニアスからと見せかけた、テロリストからのメールである可能性も捨てきれません」
「それはありえない」
「何を根拠に言っているのか知りませんが、セイファがこのまま無理やり外に出ると言うなら、私はすぐに研究所にそれを報告します」
「・・・・・・」
サラの手の中で、端末がふいに震えた。画面には、新たなメールが着たとの知らせがある。
「セイファ、研究所からです」
端末を差し出すと、彼はゆっくりとした動きで受け取る。まだ平静を取り戻していない。受け渡す時触れた手は冷たく、彼の顔からも血の気が引いていた。
メールに目を通していたのは数秒のことだ。間もなく彼は、その場に座り込んでしまった。端末を床に投げ出し、両手で頭を抱えて、沈黙する。
「セイファ・・・?」
「・・・・・・」
泣いているのか。ただ考えているのか。
「セイファ」
「・・・・・・頼むと言えば、あなたはついて来てくれますか。いえ、ほんの一時間、見逃してくれるだけで良い。正しい情報を与えると言えば、――」
搾り出すように、彼が言う。




