35
静まった部屋で――もとより図書館なので静かだが――、自分の端末を操作し、改めて今までの調査資料を表示してみる。
これが、初仕事の結果。
調べていく過程で、不慣れであることは実感したが、今現在悪い気分ではない。
ただ、人が殺し殺されを目の当たりにした事実は、どうにも拭いようがない染みとなっている。この先、ずっとこれに関わっていくのだ。――そこまで考えて、ふと気づく。
自分はもともと、研究者を目指してはいなかったか。
科学の話が好きで、気がついたら進路を理系にしていて、成績が良いからと研究所の付属高校へ送り込まれた。そして研究所に就職したら、特殊警備隊へ配属された。
すべての部署と連携しなければならない特殊警備隊は幅広い知識が求められる、エリート中のエリート。とは言われているが―――
(嫌いな仕事じゃない。けど、私は、もっと、自分で手を動かして、実験を繰り返すほうが好き、かも)
すべての部署と連携するのかもしれないが、すべての部署の仕事を体験できるのかと言ったら違う。事実上、テロ対策の部署だ。
時計を見ると三十分が経過していた。これくらい時間をあければ良いだろう。嫌な思考を止めて、荷物をまとめて図書館を後にする。
そのとき、耳元のスピーカーが通話の着信を知らせた。
サラの眼鏡のレンズは、ディスプレイにもなる。太陽光が強い時は見えにくいという弱点があるものの、端末を取り出さなくていいので便利だ。視線でも操作できるため、両手がふさがっていてもいい。
――セイファからの着信だった。
先ほど分かれたばかりなのに何事だろうか。通話を開始する。
「セイファ?どうかしましたか?」
スピーカーからは返答がない。
ただ、違和感があった。
傍を通り過ぎる車の音。
そして。
『本当によかったわ。ここで捕まらなかったら、アパートで待ち伏せするしかないもの』
女声が聞こえた。気が強そうで、語の終わりにほんの少し艶が見え隠れする声音。
聞き覚えがある。どこで、だっただろうか。――『待ち伏せ』と言った?ストーカーだろうか。
(イヅモ・カスカベ記者)
ふいにその名が浮かんでくる。セイファが、彼女に付きまとわれていると言っていた。
『僕のアドレスをどこで手に入れたんだ。回答によっては警察呼ぶからな』
セイファのとげとげしい声が聞こえる。
ここまで聞いて、合点した。セイファは記者に内緒でサラに電話を寄越している。サラがこれに鉢合わせることが無いようにという配慮。そしてセイファの身に何かあれば、サラが研究所に連絡するなり、サラ自身が助けるなり、すぐに行動できる。
最初の車のエンジン音はマイクをオープンにしているせいだ。普通は端末が持ち主の声を判別して優先的に集音するが、記者の声をはっきりと拾えるように機能を切り替えたのだろう。
『ユハナくん・・・ナターリアくんよ。怒らないであげてね。こればかりは緊急事態だったから許して欲しいわ』
セイファが舌打ちをする。
『それで?そこまでして何の用だ』
サラは端末に向かって、通話の録音を指示する。これは数十秒前までさかのぼって記録できる機能がある。
『テロリストがあなたの身柄を狙っているわ』
セイファが沈黙した。
サラも息を呑む。
『私だって、普段だったら手段を選ぶわ。でも今回は多めに見て頂戴』
『意味がわからない。なんで、あんたはそんな、』
『あなた自身に狙われる覚えがないのなら、お手上げね。なんでマキくんなのか、ってところは、私もわからないし、彼らもわからないようだったわ』
『彼ら?』
『大して害のない、自称テロリストよ』
『はあ?!なんで警察に言わないんだ・・・!』
『害がないからよ』
『そう言って、あんたは前も!』
『ねえ、私のことを勘違いしていない?私が彼らから得られる情報なんて、街の片隅から聞こえる噂程度なのよ。彼らって、本当に、なんにも知らないの。美術館テロのことは残念だけれど、あれだって市内に爆薬を持ち込んだやつがいる、程度の話しか知らなかったわ。直前に、実行犯から遺言のようなメールが来て、それで研究所に情報を売りつけただけ。出し惜しみしたつもりもないのよ』
『そのメールのこと、研究所には言ったわけ?』
『あら、私の通信記録は全部調べられたわよ。件のメールは、そうね、知らなければ流してしまうくらいに、なんでもない書き方をしていたから気づかなかったのかしらね?』
セイファがまた舌打ちする。サラも舌打ちしたい気分だ。実行犯からのメールは、おそらくアドレスが誤魔化されていたから、研究所が少々調べても見つからなかった。初めから記者がそれを言っていれば、すばやい調査がなされたはずだ。
『マキくんだって、わかってるでしょう。私が接触できるテロリストなんて、ちょっと偏った思想にかぶれた若者よ。流行り病みたいなもの。時間がたてば、目が覚めるわ。将来ある彼らを警察に突き出して経歴に疵をつけるなんて、かわいそうでしょう。取り締まるべきは、彼らの背後にいる巨大なテロ組織よ』
『その巨大なテロ組織が、将来ある若者を利用してるんだ。殺人をさせて、そのうえ実行した本人さえ死なせる』
『そうなってしまうのは少数派。運が悪かっただけよ』
『あんたとは根本的に考え方が合わないらしい』
『そうかしら。私とマキくん、結構似てると思ったんだけど。冷たいわね』
『黙れ』
『本当、冷たいわねぇ。こうして親切にも情報の押し売りに来たっていうのに』
『押し売り、ねぇ』
『当たり前でしょう。私は情報で食べてる人間よ』
『命に関わりそうな情報だから、高くつく、って?』
『安いものだと思うわよ。あなたの身柄は無事、自称テロリストたちも経歴がきれいなまま。お得じゃないの』
『僕は奴らの分まで払ってやるほど気前よくない』
『それは後から自分で回収してちょうだいな』
今度はため息が聞こえる。
『レナラストの、何が知りたいんだ』
『今度、時間をたっぷりととってくれない?一言二言で語りきれる存在じゃないでしょう?』
サラはひやひやしながらセイファの反応を待つ。
『確かに、そうかもね。レナは―――』
耳をそばだてていたサラだったが、ふいに悪寒を覚えて周囲を見回した。
場所は、ちょうど人通りの少ない建物の影。すでに授業も終わった時間だから当然だ。
なのに、サラの前後から、計三人の学生らしき男性が近づいてきていた。
ただの通行人である可能性も考慮して、なんでもない風を装っていたが、彼らは期待を裏切ってサラの近くで立ち止まった。
サラは建物が背後になるよう、さりげなく一歩下がった。
「何か、御用でしょうか?」
学生たちはこわばった顔でサラを見つめている。一人が、口を開いた。
「あんた、システム研究所の人間だよな」
「はい?」
言っている意味がわからない、と返す。ここで馬鹿正直に告げる研究者がいたら見てみたい。
「これで合ってるんだろ」
「いいからさっさとしろよ」
学生同士でこそこそ喋っている。意見すらまとまっていないようだ。呆れてしまう。
「俺たちと一緒に来い。拒否したら、殺す」
そう言いながら彼らのうち一人が取り出したのは、黒く仇光りするもの。――自動拳銃だ。
銃口を向けられたものの、サラは必要以上の緊張はしなかった。
(狙いが定まってないわ)
最初から思っていたことだが、彼ら、まったく慣れた様子がない。
『・・・どうかしましたか』
耳元で、怪訝そうなセイファの声が聞こえる。まだ通話が途切れていないのだ、なんて運のいいことか。
眼鏡のレンズに映し出された画面を頼りに、視線で端末を操作する。これでセイファにも現状がよく伝わることだろう。
「すみませんが、ご用件を先にお願いします」
「研究所の人間なんだろ」
「はあ、そうは言われましても、身に覚えがありませんし、あったとしてもご用件を聞かないことには・・・」
「うるせぇよ。黙ってついて来い。話はそれからだ」
要領を得ない。
(これ、さっき記者が話していたテロリストと関係あるのかしら)
何も知らない様子といい、悪事に慣れていないところといい、いかにも『自称テロリスト』といった感じがする。
『すぐ行きます。通話は繋げたままにしてください』
セイファの張り詰めた声が耳元で聞こえた。
銃を構える学生が、残る学生たちに顎で示すと、二人はサラとの距離を縮めた。
サラは彼らとの距離を確かめ、来るべき時にとる行動をシミュレーションする。
中途半端な緊張感が崩されたのは、次の瞬間だ。
耳障りな電子音が、ピピピピと響いた。静かだから聞こえただけで、決して大きな音ではない。しかし学生たちは大いに動揺した。
獲物であったはずのサラを前にして、あっさり視線を外し、銃を降ろし、おどおどと周囲をうかがう。
「やっほー、サラ。元気?何してんの?」
「ナターリア!」
小柄な青年が、建物の影から姿を現す。その顔には、腹黒さが垣間見られる笑み。
「やだなぁ、ナンパ?女の子にそんな風に迫ったって、嫌われるだけじゃん?」
「ナターリア・・・・・・」
「わかってるよな、あんたら。今、学内警備に通報したから、警備員来るの時間の問題」
拳銃を持っていた学生は、手の中にあったそれを今思い出したのか、あわててナターリアに銃口を向けた。さすがにナターリアはちょっと動揺したが、しかし優位であることは忘れていない。
「だぁからぁ、さっさと逃げたほうがいいんじゃないって、提案してやってるっていうのに」
学生たちは互いをうかがい、そわそわし始めた。
(ダメね。犯罪出来るようなタイプじゃないんだわ)
サラは一つため息をついて、完璧に背中を向けている学生たちと間合いをつめた。
一人が振り返った時には、もう遅い。銃を持つ学生の手を掴んで捻り、ある一点に力を込める。銃はあっさりと地面に落ちた。その合間に、二人の学生は逃げ出している。
銃を持っていた学生の手を離してやれば、彼も脱兎のごとく逃げ出した。
残されたのは、銃とサラとナターリア。
「サラ!大丈夫だった?!」
さっきまで余裕綽々の表情を取り繕っていたナターリアが、泣きそうな顔でサラに駆け寄る。
「ありがとうございます、ナターリア。おかげで助かりました」
「何さっきの・・・!」
「ええと、すみません、やることがあるのでちょっと待ってくださいね」
「え・・・・・・」
端末を取り出して、音声入力に切り替える。
「この五分間に二メートル以内にまで接近した通信端末の識別コードを取得、表示」
[所属コードを提示してください]
「所属コードE-02668-b2」
[所属を確認しました。サフラテス・サラ準研究員。権限がありません]
「権限はマキ・セイファ客員特殊技能者、ランクBに準ずる」
[認証完了。表示します]
端末の画面には数字の羅列が表示される。端末の識別コードは四つ。余分なものがひとつある。
「ナターリア。本名ってなんていうんですか?」
「え?ええと、イラリ・ユハナ」
「表示する識別コードから、イラリ・ユハナのものを除外。残りを保存。このデータをドライヴ・レコードの動画情報とともに、マキ・セイファおよびシステム研究所管理維持室に緊急回線で送信」
ここまでやって、サラは一息ついた。ほかにやるべき事がないか、彼らを追う証拠になるものがないか今一度考えて、すべてやり終えたことを確認する。
情けない顔をしているナターリアににこりと笑いかけた。
「大丈夫ですよ」
「サラ、でも、銃持ってる相手に、あんなの危ないよ」
「慣れていないふうでしたから、ああしたんです。素人の行動って予測しづらいんで、下手に持たせておくのもどうかと思いまして」
がちがちに固まった素人の指は、いつ引き金を引いてしまうかわからなくて恐ろしいのだ。
「でも、ナターリア、どうしてあのタイミングで?」
「ああ、ええとね・・・・・・」
落ち着いてきたナターリアは表情をゆるめ、自分の端末を取り出す。
画面には、インスタント・メッセンジャーのタイム・ライン。様々な人からの発言が並んでいる。
[今見た。図書館の近く]
[俺もさっき会った。なんであいついんの?]
[何の話?]
[ナタがお探しの子は図書館]
[ありがと]
[去年辞めたやつらが学内にいた。基礎デザイン科のやつと、彫刻科のやつ。もうひとりは知らね]
他にも会話が入り乱れているが、サラが意味を拾えたのはこの程度。
「俺、結構アナログな情報網持ってんの」
余裕を取り戻したのか、ナターリアはいつもの顔でにこりと笑う。
「なるほど、よくわかりました。あの時も、そうなんですね?」
ナターリアが喫茶店にいたサラを見つけたのは、これのおかげだ。問いかけに対してナターリアは笑顔のまま首を傾げたが、肯定の意味だろう。インスタント・メッセンジャーにはメッセージをやり取りできる人数が表示されていて、その数は、三百六十一人。
話しているうちに、セイファが血相変えて走ってきた。
「セイファ!」
「無事でしたか」
冬の湖面のごとき青年があわてる姿は、なかなか珍しくて面白い。不謹慎ながら、心の中で少しばかり笑ってしまう。
「ええ。今、セイファの端末に画像とか色々と送ったところです。勝手ながら、セイファの名前を借りて、研究所にも連絡しました」
「いえ、連絡はすばやいほうがいいですから・・・画像って?」
「前回遭遇したテロを教訓に、カメラ付き眼鏡に替えたんです。もうモンタージュなんてまどろっこしい真似させませんよ」
「お手柄です」
顔を強張らせていたセイファが、少し表情を緩めた。
「彼らが所持する端末の識別コードも取得しました。不正端末でしょうけれど。彼らが手放していない限り、研究所なら現在地を特定できるはずです」
セイファと、そしてナターリアがうなずいた。
「手放してないだろうね。そんな危機管理できるやつらじゃなさそうだったし」
「ナタリー」
セイファが咎めるようにナターリアを呼んだ。呼ばれたほうは、肩をすくめる。
「わかってる。関わるなって言うんだろ」
「ああ」
「いいけど、あれはどうする?」
ナターリアが示した先には、学内警備員の姿。
「彼女が絡まれたとでも言ってくれ」
まさか銃が転がっている現場でそれはないだろうと思ったが、セイファはすでに回収していた。
「了解。――すみませーん、わざわざ。騒ぎ起こした奴ら、逃げちゃったんですよぉ。強引にナンパしてたから、止めるために呼んだんですけどね」
「ああ、そうでしたか。そちらのお嬢さんは、無事ですか?」
「うん、手を掴まれただけだって。お騒がせしましたぁ」
ナターリアが人当たりの良い笑みで言えば、警備員からも笑顔が返ってくる。二人のやり取りの背後で、セイファの端末が着信を知らせた。セイファは警備員から距離をとり、小声で応答する。
心がざわめくのを感じながら、サラは三人の学生が逃げて行った方向を見つめた。




