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Ⅵ
何かの気配。人とは違うが、人と似ている。
しかし目を開けるのが億劫だ。自分独りであるはずの寝室に、他に気配があると言うのはなかなか危機的状況だが、眠気には負ける。気配に気づいてから起きたのではどうせ無駄だからという冷静さもある。
「ヨハン」
涼やかな少女の声が響いて、ヨハンはまどろみから一気に覚醒した。
「ヨハン、おはよう」
「・・・・・・おはよう。で、ニアスはどこだ?」
目の前には美しい少女の顔。
世の中には美少女と称される女の子がたくさんいるが、これに勝る者は無いだろう。
この少女が比べられるべきは、歴史に残る名画に描かれた美少女たち。画家の手によって神聖な域にまで高められた美でなければならない。
というのも、これが人工物だからである。
「ニアスはあっち!」
自分ではなくイーニアスを呼んだことに、少女――少女型アンドロイドであるユニは、へそを曲げたようだ。見た目にふさわしい言動だが、寝起きのヨハンにとっては面倒としか思えない。
上着を肩にかけて寝室を出た。
ドアを開けた先、――リビングとでも言うべきか――小汚いソファには、発酵茶を飲む幼馴染の姿があった。
「おはよう」
「ニアス・・・あのなぁ」
「一応、ユニのことは止めたんだけど」
「そういう話じゃない」
彼はシステム研究所の研究員だ。言わずもがな、テロの対象。しかも彼は、無駄に有名だから、なおさらに。
ヨハンはイーニアスの向かいに座った。ユニはヨハンの隣に。どうやら甘えているらしい。
「何時だ」
「朝の十時」
「くそ!あと二時間あったのに」
「ねぇ、台所のケーキ、食べてよかった?」
「どーぞ。セイファの手作り」
「だと思った。相変わらず器用だね」
「手先ばっかりな」
本当に手先だけだ。中身はこどもで、世間が凪いでいても溺れかける。
「ところでソファに足を上げるのはどうかと」
「セイファみたいなこと言うな」
片膝を抱えているだけだ。それほど見苦しい格好ではない。
「俺、お前に色々言いたいことあるんだけど」
「私も、色々とあるよ」
「私もある!ねえ。ヨハン、」
「ユニ。頼むからしばらく黙っててくれ」
なぜ人工知能がこどものように会話をさえぎるのだ。
普段は「よい出来だ」と自画自賛するところだが、今は寝起きだ。不機嫌の頂点だ。
「サラ・サフラテスになんでここを教えた」
「んー・・・なんとなく」
「迷惑だ。俺一人ならともかく、他にも所在を知られたくないやつらが出入りしてるんだ。お前が研究所に残ったのは、そりゃお前の自由だ。同じように、所属を拒んだのは俺たちの自由だ」
「別に、強制的にこっちに所属してもらおうとか、そんな魂胆であの子にここを教えたわけじゃないよ。そんな回りくどいことする必要ないからね」
「ああそうだな、お前が上に言っちまえばそれまでだ。――で?」
「この話をする前に、危機感を覚えてもらおうと思って」
ずきずきと、頭が痛み出した。
いつものことだ。寝起きには必ず軽い頭痛がある。今日はいつもよりも早く、そして予想もしない方法で唐突に起こされたから、少し酷い。
慣れた痛みだが、どうしても判断能力が落ちてしまう。それがわかっているのに、複雑なことを聞かなければならないらしいと思うと憂鬱だ。
「何かあったのか」
「メイリーフが拉致されたそうだよ」
「はぁ?」
幼馴染の一人の名を出されて、ヨハンは眉根を寄せる。
「誰に、だ」
「テロ組織の一つ。〈創世の蒼〉と名乗っているそうだ」
「けっこうでかいとこだ。中央世界中心に活動してて、外とも繋がってると噂されてる」
「へぇ、そうなの」
「世間のこともお勉強しとけ。――で、なんでメイリーが」
メイリーフは彼らと同じ場所で学んだ幼馴染。世間一般で言う、もとラボ・チャイルドだ。現在はヨハンと同じく身を隠し、生活している。
あれを頭脳としてテロ組織が迎え入れたならば脅威になりうる。が、「拉致」されたメイリーフが大人しく従うはずもなく、内部崩壊させられるのがオチではないかと思われる。メイリーフは、核ミサイルのスイッチを手にした三歳児のような人物なのだ。
「研究所はどうやってそんな情報を掴んだんだ」
メイリーフは身を隠していた。それは主に研究所から逃れるためだ。
「拉致されて、自力で脱出して、研究所に保護を求めた。カダロイ基地からの情報だ。私もまだ直接連絡を取ったわけじゃないが、ウルダンはその知らせのせいで騒然としているよ」
「待て」
メイリーフは身を隠していた。拉致されても自力で脱出できた。それなのに、わざわざ研究所に保護を求めた。――現地の国の政府にではなく。
「たまたま人質になった大勢の中の一人だとか、ただ単にあれが賢そうだからとか、そんな理由で拉致されたわけじゃない、のか?」
「私やレナと同期というのがまずばれていたらしい」
「それじゃ弱い」
イーニアスは確かに有名だが、それだけだ。
レナ――世間で言うレナラストがその同期だったと騒がれたこともあるが、テロ組織がわざわざ拉致する理由にはならない。当然だ、彼らの多くは、破壊行為の言い訳にレナラストを使うだけで、レナラストの人生に興味を持っていないのだから。
「シールド・システムに、私たちがアクセス権を持っていると知っていたんだろうね。まだ詳しい情報は入ってきてないけど、少なくともハルゲン局長はそう考えてる。私も、話を聞いてそう思った」
ヨハンは頭を抱えた。もとより痛みに苛められている頭だ。
「いったいどこから・・・・・・」
「わからない。これから調べるだろうけれど、私が言いたいのはそこじゃない。メイリーフが、わざわざ研究所に保護された理由は、わかるだろう?」
「わからんでもない・・・」
メイリーフはテロ組織から自力脱出できた。保護される先を、わざわざ研究所に選んだ。自身を守るだけならば、おそらくそんな必要も無かったのに。
答えは簡単だ、同じように身を隠している友人たちにこのことを知らせるためである。
音信不通の者もいるが、あちらからならば時にふらりと連絡を寄越す。情報があれば、身を守ることも出来るし、研究所に保護を求めることも出来る。
「ヨハン。保護を求めてくれ」
「やだなぁ・・・」
「ヨハン」
「そりゃやだよ。俺はメイリーみたいにすばしっこいわけじゃないからな、一度保護されたら、脱出できない」
保護されて脱出と言うのもおかしな話だが。
「命に関わる。君だけじゃなく、この世界の多くの人の命だ」
「もし捕まったら大事になる前に自分で死ぬよ。そこんところは安心してくれ」
「ヨハン!」
「俺は生半可な気持ちで天文学を選んだわけじゃない」
ぎゅっと手を握られた。黙れという言いつけを守ってか、無言のままユニが見上げてきた。
「ユニ。大丈夫、簡単には死なないから」
「でも、危ないの。メイが捕まるくらいなんだから」
「まだ、俺たちの持つアクセス権が原因だと確定したわけじゃない。メイリーからの連絡を待っても遅くないんだ」
「でも・・・」
「それよりも、セイファだ。あいつのほうが、身を隠していない分危ないぞ。そのうえ研究所に出入りしてる。あいつには知らせたのか」
「まだ。緊急事態が起きたから、施設には近寄るなと言ってあるらしい」
「はあ?保護しろよすぐに!」
「大丈夫だよ。特殊警備隊員を傍につけてあるんだから」
「新人の?」
ヨハンは小鼻をふくらませて聞き返す。
「新人の。知っている?彼女、レティの推薦なんだよ」
「・・・・・・」
「レティ、今黎逢で新人研修受けてるんだ。サラ・サフラテスとは同期入所だって」
別の幼馴染の名を出されて、ヨハンは口を噤む。
レティ――レティーシャが推薦した人物だから、イーニアスはサラにここを教えたのだろうか。レティーシャの人を見る目が確かかどうかなんて、ヨハンは知らない。
「ねえ、ヨハン。私がサラ・サフラテスにここを教えたと聞いて、私のことを疑ったよね」
「そりゃあな」
「裏切ったんじゃないかって、思っただろう?」
「おい、ニアス」
イーニアスは穏やかな表情のままだ。ヨハンは猛烈に腹が立った。
「お前の神経は疑ったが、それ以上は無い。お前、人を何だと思ってる」
「ごめん。怒らせたいわけじゃない。危機感を持って欲しかっただけ」
――確かに、危機感を抱いた。
イーニアスのことだから意図があるのだろうとは思ったが、一方で、こうも簡単に他人に知られる要素があるのだと思い知った。
「でもね、ヨハン。今後、あの場に居た誰かが裏切らないという保証はどこにもない」
「ニアス」
「これからも、単純に、信じていられる?」
腕を組み、幼馴染を睨みつける。
「どういう意味だ」
「私たちがアクセス権を持つと知っている人間は、そんなにいないよ。知っている者のうち、研究所に属していないのは、あのときの面々だけだ」
「サンジュかマヌーかセイファを疑えって?それともレナか?――ばかばかしい。研究員が裏切る可能性だってある。どこかから、偶然少しだけ洩れた情報が、推論を可能にする場合だってある」
「そうだね」
「可能性を知っておくのはいい。でも、論じるのは無駄だ。ましてや、誰かの裏切りだなんて。――帰れ。不愉快だ」
ヨハンが吐き捨てると、イーニアスはやはり表情を変えぬまま立ち上がった。その動作を不安そうにユニが見上げる。
「ニアス、帰るの?」
「帰るよ」
「嫌!ヨハンと遊ぶ!」
「だめだ。これ以上は迷惑になる」
「自動通信も場所特定の機能も切ってあるのよ!ニアスの位置情報だってごまかしてあげてるのに」
「そうだね、でもだめだよ」
やわらかい口調だが、決して許可せぬ響きがある。
ユニは助けを求めるようにヨハンの腕をとる。
ヨハンはうんざりしたため息をついた。
「ユニ、俺は眠いんだ。寝させてくれ」
「もうお昼よ!」
「あと一時間ちょっと寝られる。俺は一晩中起きてなきゃいけないんだ。観測は集中力がいる。寝不足じゃあだめなんだよ。わかるな?」
「・・・・・・」
不満げで、悲しげな表情。それすら美しく、つい見惚れるほどだ。面倒だという感情はあるが、しかし最後の最後で突き放せない。
「ユニ、観測データを預けるから、解析してくれないか」
「解析?」
「そう。ここにある観測データは俺一人が一生かかっても解析できないほどの量なんだ。このデータは将来のために蓄積しているんだけど、でもせっかくなら生きている間に一つでも多くの謎を解き明かしたいじゃないか。それを、手伝って欲しい」
ユニの精神年齢はこどもだが、これを再現するために最先端の技術をふんだんに使ってある。小さなスーパーコンピューターといっても過言ではない。
有用だから研究所のシステム維持に使えばいいのに、地位を得たイーニアスはかたくなにユニの使用を拒んでいる。
使っていないものがあるならば、使えばいい。
「ユニ、頼むよ」
「・・・わかった。次はちゃんと遊んでね」
「ユニが解析してくれたらその分暇ができるからな。存分に遊んでやるよ」
「約束よ!」
「はいはい、約束」
少女はすでに立ち上がっていたイーニアスの腕に、ぶらさがるように飛びついて喜びを体で表現する。――あれはやめさせなければ、危ない。ユニの体重は成人男性並みにあるのだから。
イーニアスが軽く手を上げた。
「じゃあね」
「ああ」
「ユニにはもっと厳しくしてね」
「お前が言うな」
ドアが閉まり、二人の姿が消える。
ヨハンはソファの上で体を横たえた。
「誰かが、裏切る・・・?」
疑ったことなど無かった。信じているなんて言葉を使うまでもなく。
だから、皆がそうなのだと、勝手に思っていた。
額とこめかみで、痛みが脈打つ。
眠気はやって来ない。




