25 決意
ヨハンは用意された食事一品一品にいちいち感動して騒いだが、しかし食べるのは早かった。サラが半分を食べる間に、おかわりまで平らげて、「後は任せる」と言い残して上の階へあがった。
セイファもさっさと食べ終わる。食事という行為を楽しもうという雰囲気は感じられなかった。料理にこだわりを見せた後だけに、ちぐはぐな印象を受ける。
サラが食べ終わると、発酵茶が出てきた。なかなか良いものだ。華やいだ香りに、深い味わい。ヨハンもイスヴィラ人だというから、発酵茶にはこだわりがあるのかもしれない。
「黒豆茶を出してあげたいところですが、あれは勝手に使うと怒るんですよね」
「あれ?ヨハンって黒豆茶飲むんですか?」
「んー・・・別の人間が」
「ガリアス人ですか?」
「・・・ええ」
歯切れが悪い。
ヨハンは隠れ住んでいるわけだから、部外者に口外したくない事のひとつやふたつあるだろう。サラは追求をやめた。
「ごちそうさまでした。本当においしかったです」
「お粗末さまで」
まだお茶を飲み終わらないサラの傍らで、セイファはすでに片付けに取り掛かっていた。新しい食材を取り出したりもしているから、夜食の下ごしらえも始めるのだろう。
「セイファ」
「なんですか」
彼は振り返らない。
「あの、・・・あの日のこと」
「・・・・・・」
「あの時も、作ってくれましたよね。スープ」
「ああ・・・それですか。すみません、勝手に材料使って」
「いいえ。おいしかったです、ごちそうさまでした。外に出るのも億劫だったので、助かりました」
あの日、サラは自宅前で泣き崩れた後のことはほとんど覚えていない。
というか、あまり思い出したくない。
さして親しくもない、年下の青年に、ぐちゃぐちゃの泣き顔を見られているのだ。記憶を辿ろうとすると、羞恥心やら自尊心やらが全力で邪魔をする。
ただ、次の日。昼も近くなって起き上がり、台所に作り置きしてあったスープの存在に気づいた。暖めて食べたら、泣けるほどおいしかった。きっと一生記憶に残り続ける味だった。
セイファが緩慢に片づけを再開する。
「・・・もう、大丈夫なんですか」
「はい」
大丈夫だと思う。
まだ油断すると、鮮血の光景がフラッシュバックしそうになるが、きっと時間がゆるやかにそれを融かしていく。
それに、忘れ去ってはいけないものだとも思う。
あれは、サラが守るはずのものだった。集約された形、象徴だ。
俯いてしまったサラの鼻腔を、ふと特徴的な深い焙煎香がくすぐった。
「あれ?黒豆・・・・・・」
「ま、当分来ないでしょうから、少しくらいいいでしょう」
セイファは手に湯気の上がるポットを持っていた。
粗く挽かれた黒豆茶に注がれた熱湯は、フィルターで濾され、下に落ちる。
「お砂糖とミルクは?」
「ストレート以外は邪道ですっ」
「へぇ、ほんとにガリアス人ですね」
発酵茶を入れていたものより深いカップで提供された。世間で言う、黒豆茶用の茶器である。この狭い台所に食器の種類は豊富とは言い難いのに。
「入れ物にこだわるのは黎逢人ですよ」
「黎逢人ですから」
「・・・・・・え?」
セイファはミルクをたっぷり注いだ黒豆茶にさらにシロップを垂らしている。邪道だ。見ていていらいらするくらい邪道だ。この深い香りが台無しではないか。
この香りはこだわった焙煎でなければ出ない。イスヴィラでよく手に入ったものだ。
などと考えていたのは一瞬。
「セイファ、イスヴィラ出身ではないのですか?!」
「はい?今更・・・・・・言ってませんでしたっけ?」
「その顔で黎逢人?!」
「このグローバルな時代に顔で差別しないでくださいよ」
冷静な声に、サラは我に返った。
確かにセイファの言うとおり、顔立ちで国籍を判断できたのは昔の話。
国境を無視して人材が集められた研究所では、「国際結婚」という単語すら死語なのだ。
「母がイスヴィラ人。父が黎逢人で、研究者。国籍は一応まだどっちも持ってますよ」
「じゃあ、イスヴィラ人でもあるんですね」
「育ちが黎逢なんで、イスヴィラへの帰属意識は薄いんです。国籍のおかげで大学入学がスムーズだったことには感謝してますけど」
平面世界の国際法は、多重国籍を二十五歳まで認めている。二十五歳以降はそれぞれの国で扱いが違ってくる。セイファはまだ選択を迫られていない年齢だ。
「それで黎逢語もイスヴィラ語も堪能なんですね」
「別に、家庭ではイスヴィラ語使いませんでしたよ。ただ、昔は『自分はイスヴィラ人でもあるんだ』って思いが強くて、ヨハンたちに教えてもらったんです」
「あれ?そうなんですか?」
「そうなんです」
サラは黒豆茶を飲みながら相槌を打った。
しかし、これはおいしい。茶の品質はもちろん、淹れ方がうまいのだ。
「黎逢人というわりに、発酵茶にはこだわりますよね」
「イスヴィラでおいしいのは発酵茶じゃないですか。ガリアスに行ったら黒豆茶にしますよ。これはおいしいから飲みますけど」
「でも、こんなおいしいものに砂糖とミルクだなんて・・・・・・」
「砂糖は入れてません。シロップです。入れてみますか?」
「けっこうです」
「黒豆茶専用のシロップですよ。よく合います」
「・・・・・・専用?」
「イジェあたりの文化みたいです。典型的なガリアス人が、これだけは認めると言いましたよ。どうですか?」
そのガリアス人は、きっとこの黒豆茶をここで飲む人のことだろう。
サラは少し悩んだが、好奇心が勝った。
「じゃあ、ちょっとだけ」
中央世界に見られがちな優美な曲線を描いたビンに、琥珀色の液体が入っている。傾けると、ゆっくりと垂れた。シロップを受け入れたカップの中身は変わらず闇色だ。
「・・・・・・あ、おいしい」
「それはよかった」
「なんでしょう、甘いのに甘くないといいますか・・・味がまろやかになりました。お茶の味を邪魔しない甘さってあるんですね!これ、どこで売ってるんでしょう」
「さあ。あちこちほっつき歩いてるのが買って来たんで、場所はちょっと」
「ラベルも何もないですね。容器は中央のものに似ていますが。やはりイジェですかね」
「今度会えたら聞いておきますよ」
「連絡取れないんですか?」
「どこにいるかわかんないし、野垂れ死んでる可能性もあって・・・・・・」
「・・・・・・」
「なんなら、分けましょうか?たくさんあるし、一応次回も買って来いって言ってますし」
「いいんですか?ぜひぜひ」
「なんか入れ物があったかな。・・・まあいいや、片付けついでに探します。カップはもういいですか?」
「はい、ごちそうさまです。私が洗いますよ」
「そうですか?じゃあ、お願いします」
食器を集めて流しに持っていく。調理道具はすでに洗われていたから、食器の大まかな汚れだけ落として、洗浄機へと入れていく。
セイファは調理台の前に立ち、料理を再開する。
「こんなサイズの洗浄機、よく見つけましたね。普通、この規模の台所に収まらないでしょうに」
「改造したんですよ、友人が。機械に強いのが、一人いるんです」
「へぇ」
思えば、インスタント食品で生活しているヨハンに、これは無用の長物だ。
「そのお友達も、ラボ・チャイルドですか?」
「・・・・・・」
セイファが苦い顔をした。
これが地雷なのだろうか。――ヨハンが言ってしまうまで、セイファはそれを隠し続けていた。
研究所への出入りができること、年下で美大生だというのにサラの教官に任命されていること。思い返せば、すべてラボ・チャイルドだったからという理由をこじつければなんとか納得できる。
「すみません、あの、良くないことを聞いたのでしたら、無視していただいて構いません」
「・・・・・・ラボ・チャイルドって」
「・・・はい」
「面倒なんですよ。同時期のやつに有名なのがいるから余計に。研究職以外を選ぶと、なんで研究しないんだって言われるし、ちょっと喋ればさすがラボ・チャイルド頭のつくりが違うとか嫌味言われるし、研究所からは半強制的に所属を迫られるし」
「た、たいへんですね・・・」
「そりゃあ僕らは研究者を親に持って、その親の頭の良さをもらって、いい教育受けてますよ。特に僕ら同期は・・・・・・先進的な、教育受けた、と思います。でも、」
セイファはそこで深く息を吸い込んだ。
けれど続きの言葉は聞こえてこなかった。
彼は、淡々と食材に向き合うだけ。小麦粉を量り、ボウルにふるいいれ、棚に所狭しと並んだ小瓶の群れから迷うことなく三つを取り出して、中身をスプーンで量って小麦粉に合流させる。
「何を、作るんですか?」
「ちょっとした、ケーキでも作ろうかと」
「けいき?」
「ケーキ。パウンドケーキにしようかと・・・・・・」
「でもこれ小麦粉ですよ?!」
「ケーキの原材料です」
「そうじゃなくて!作れるんですか?!」
「まあ、それなりの手間はありますが、結構簡単に。本格的なものとは違ってきますけど」
昨今、家庭用の全自動製菓機も珍しくないのに、手作りとは、驚愕である。
「洗い物が終わったなら、米を出してもらえます?そっちの入れ物に・・・」
「米!お米があるんですか?」
「あるんです。僕は黎逢人ですから。ヨハンも好きだから、夜食にしようかと」
「うわ、黎逢米だ。すごい」
学生時代を黎逢で過ごしたサラにとっても、黎逢食は馴染みある味だ。
狭い台所のどこに炊飯器があるのかと思っていたら、米が入っていた場所の隣から出てきた。すぐに炊飯器に移せる。洗米は自動だ。
「なんてワンダーランドな台所・・・・・・」
「感心してないでスイッチ押してください」
炊飯器に限らず、この台所全体の収納は、実によく出来ていた。狭い中でも効率的に動けるように配備されている。誰がこの構造を作ったのかしらないが、ラボ・チャイルドの一人なのだろう。計算し尽くす、理系の執念がうかがえる。
やることがなくなったので、セイファのケーキ作りをなんとなく眺める。
手際がいい。立ち姿が様になっている。まさに主夫だ。
「・・・ヨハンのこともそうなんですが」
唐突に、セイファは話し始めた。手の動きは止まらず、振り返りもしない。
「はい?」
「色々あって、当時の仲間の何人かは、研究所から身を隠しています。この天文台には、そういう人間が出入りしています」
セイファの声音は固い。
こんなにも彼が警戒しているのに、――なぜ、イーニアス・イーサムは初対面のサラにここを教えたのだろうか。それを考えていたとき、ふともう一人のラボ・チャイルドを思い出した。
「レナラストも、その『色々』のせいで失踪したんですか?」
問いかけに、セイファが振り返る。
「レナラストも、同時期のラボ・チャイルドだったと聞きました。彼女も・・・」
「彼女は、違います。・・・ヨハンが、喋ったんですか?」
「はい。あの、ごめんなさい、勝手に聞いてしまって。ちゃんと秘密は守ります」
ケーキの生地は型に移された。
すでに暖められていたオーブンのなかに入れて、時間を設定。
セイファは道具を簡単に片付けてから、台所から出てきた。エプロンをはずす仕草に主夫の貫禄を感じる。
「あの、セイファ」
「なんですか」
セイファはテーブルを挟んでサラの向かいに座った。作業に疲れたのか、背もたれに体重をあずけている。
「セイファは、レナラストの、無実を、証明したいのではありませんか?」
セイファが瞠目した。視線はこちらを向いていないのが幸いだと思った。彼にとって触れて欲しくないことかもしれない予想は最初からついていたから。
「昨今のテロは、その多くがレナラストの名を借りて行われています。しかし彼女はまったくの無関係です。――中には、レナラストが仲間にいると言うテログループもありますけど、嘘ですよね?少なくともセイファたちは、信じていない」
セイファは呆然といった表情で、頭を抱えた。
「私は芸術のことはわかりません。ただ、レナラストの作品はどれも素敵だと思いました。それをテロの理由にするなんて、あまりにも無粋です。レナラストと親しいあなたと、同じ気持ちを共有できる、とまでは言えませんが、少なくともテロリストたちの行為には怒りを覚えます」
美術館の爆破では、多くの死傷者が出た。
重傷者の応急処置をしているとき、絶望感に何度となく襲われた。
助からないかもしれない。――きっと、助からない。
でも、ほうっておくことは出来ない。そんなことしたら、己を許せなくなる。
なぜこんな苦しい思いを抱えなければならないのだと考えたときに、怒りの矛先はテロリストへと向く。
「私は、テロリストにも、一種の正義があるのだと思っていました。――この世界は、平面に押し込んでしまったぶん、大きな歪みが生じていますから。テロはその歪み。テロリストにはテロリストの事情があって、彼らだって苦しんだ結果、ああいった過激な行為に及んだのだと。しかしそのせいで善良な市民が巻き込まれていいわけがありません。システムがダウンすれば爆破に巻き込まれるどころではない数の人々が不幸になります。システムを守り、市民を守る、そのために特殊警備隊があるのだと、――そう思っていました。でも、」
学生時代に、何度も考えた。
卒業して研修をしているときにも考えた。
学友たちと喉が痛くなるほどに討論を繰り返し、いろんな意見を聞いて、――そうして時間をかけて出したはずの答えは、ここに来てあっという間に否定された。
だからと言って、今改めて自分の導き出したこの正義が絶対的だとも思えない。
再びあの惨劇に向き合うことに、まだ一抹の不安が残っている。
それでも。
「レナラストを理由にする彼らのテロリズムは、彼らのエゴイズムに過ぎません」




