24 封印学問
天文学は、封印された学問のひとつだ。
もちろん基本的な知識は中等教育までに習う。だがそれ以上の学者を育成する地盤は弱い。外界には残されているというが、平面世界よりも事情の悪い場所のことだから、期待できない。
ヨハンという青年がどの程度天文学に精通しているのか、サラは判断の基準を持たない。ただ、年代ごとにきれいに並べられた観察記録のファイルが、散らかり放題の室内で異彩を放っていた。
ヨハンの星に対する姿勢を見せ付けられたような気がする。
「望遠鏡はコンピューター制御で、指定した星を追えるようになってる。大気の揺らぎもある程度補正できるんだ」
「大気の揺らぎ?」
「大気にもムラがあって・・・・・・えーっとね。大気のある地球から、宇宙にある星を見上げるって、喩えるなら、水底から外の世界を見るようなものなんだ」
「ああ、なるほど」
「星がまたたく、っていうでしょ?きらきらってなるやつ。実はあれが揺らぎ」
「そうなんですか?!そうか、なるほど!」
「旧世界では、大気外にも望遠鏡を置いていたんだよ。揺らぎの問題もないし、大気に吸収されてしまう波長まで観測できる。地上から見るのとは比べ物にならないくらい、くっきりとした画像がとれる」
素人相手の説明に慣れているのか、彼はよどみなく語る。相手が理解していることを察してより専門的なことを出して、と興味を持たせるのがうまい。
天文台の心臓部、巨大な天体望遠鏡をのぞくことができる部屋は、知的好奇心を存分にくすぐった。所狭しと並べられたコンピューターと計器。無機質なのに、わくわく感が詰まりに詰まっている。
モニターに映された天体の画像は、不思議が織り成す芸術だ。
「すごいです。これでもすごいのに、旧世界はもっとすごかったんですね。想像もつかない!」
「どうだろう。どっちが進んでいたかは、分野によるよ」
「まあ・・・システム維持関連以外は、進みませんよね・・・・・・」
「もしシステムのない世界で、好きなことやっていいって言われたら、何研究する?」
「うーん・・・・・・考えたことないかも」
「だめだよ、時代に頭が侵されてる。自由な発想が失われるよ。封印されようがされまいが、俺たちが興味を持って追究することをやめたら科学の歩みは止まるんだ」
「うううっ・・・・・・確かにおっしゃるとおりっ」
「旧世界の終り頃、科学は華やかだったんだ。システム維持のためだけに科学が存在している今とは違う。科学とは、疑問を解決するためのツールだった。自由な研究が発展を支え、世界を動かしていた。システム維持のための科学は、科学であって科学じゃない。奴隷にも等しい」
研究所に所属し、その仕事の意味を知っているサラは何も言えなかった。研究所のやっていることとヨハンの主張はどちらも正しい。それなのにぶつかり合う。
夕刻になると、早くも明るく輝く星をいくつか見せてもらった。
夢中になって画面を見ていたのだが、ふとヨハンが何も語らなくなったことに気がついた。
そろそろ研究の邪魔になるのかもしれない。去ろうと思って彼を見遣ると、どうもそういう雰囲気ではなかった。
「サラちゃん、セイファは君とうまくやってる?」
「え・・・・・・うまく?」
唐突に心の内の澱みを言い当てられて、ついつい正直な感情を表に出してしまう。
「やってなさそーだね」
ヨハンは笑う。
「セイファってさぁ、いちいち完璧主義だし潔癖症だし、面倒でしょ?」
「ええ、そうですねじゃなくて、いえそんな面倒とか直接的な表現を使うほどではありませんが」
「ははっ、遠慮しなくていいよ。でもさ、そこんとこあんまり気にしないでやってよ」
「そこんとこ、って・・・・・・」
「自信たっぷりに喋るし、確かに言ってることだいたい正しいだろ?でも、それって机上論というかさ、知識だけなんだよ」
「机上論・・・・・・なんですか?」
「うん。理論学者タイプ。頭ん中で先に全部考えて、結論出せちゃうの。俺は実際にやってみた方が手っ取り早いし意外な結果も出てきて面白いと思うんだけど、ま、本人の持って生まれた性質かな」
サラは素直に感心した。この青年は懐が深い。相手を面倒だと言いつつも、ちゃんと理解して受け入れている。
「他人へ過剰に期待しすぎなんだよねぇ。自分自身がなんでも出来ちゃうから他人も出来ると思いこんでるところもあるし。相手がそれを出来ないと、自分が嫌いだから本気でやってくれなかった、とか思っちゃうみたい。自意識過剰だよね。好き嫌いの問題じゃねーよとかね、いろいろツッコミどころはあるよ」
思い返せば納得の連続である。
「めんどくさ・・・・・・じゃなくて、ええと、そうなんでしょうか・・・・・・」
「めんどくさい子だよ。ガキなの、ガキ。そう思って接してやってよ」
ヨハンはくすくすと笑っている。
こんなにおおらかな友人を持ちながら、なぜセイファは己の短気に気がつけないのかわからない。
「ヨハンは・・・・・・」
「ん?」
「ああ、いえ。ふと思い出したのですが・・・・・・もしかして、レナラストもラボ・チャイルドだったのではありませんか」
「そうだよ。一年だけだったけど、黎逢でね」
「やっぱり」
「親の都合で、いきなり移住になったって戸惑ってた。あの子の場合は外の学校に通うことも出来たんだけど、本国の公立校でもなじめてなかったし、そもそも黎逢語が出来なかったから、晴れてラボ・チャイルドの仲間入り」
「え、でも黎逢で、黎逢語できないって・・・・・・研究所の中でも困りません?」
「学習室に預けられてるこどもたちは国籍さまざまだから、どんな国から来てもたいてい一人は同じ母語の相手にめぐり会えるんだよね。レナはイスヴィラ出身だからぜんぜん困んない。第二言語としてのイスヴィラ語の地位はまだまだ強いし、イスヴィラ出身者は俺も含めて何人かいたし」
「はぁ・・・・・・どこよりもボーダーレスな学校なわけですね」
「うん。おもしろい人間が育つのも、今思えばうなずけるよ」
サラは、セイファの口から飛び出したガリアス語を思い出す。たった一言だったが、イスヴィラ語話者にありがちな訛りがなかった。あれは、幼少期にガリアス語を母語とする人間が近くにいたからなのだろう。
「ま、レナは結局黎逢語をマスターできないうちに帰国したけどね」
「ああ・・・・・・」
セイファも言っていた。彼女はろくに黎逢語を喋ることができず、周囲が彼女に合わせた、と。
「イスヴィラ語話者っていうのは良かったね。そのうえにレナは、ノル語も多少喋ってたから、黎逢語を覚える必要もなかったというほうが正しいかな。母親の母語がノルだったんだって」
平面世界において、ノル語を母語とする者が最も多い。イスヴィラ語、黎逢語は第二言語としての地位が高いのだ。
「それに・・・・・・あんまり人と喋ろうとしない子だったしね」
「そうなんですか?」
「勉強なんてそっちのけで絵を描いてる子だった。じゃなければ、小さい子達と粘土遊び。俺、同い年だったけどあんまり喋ったり遊んだりしてないよ。通訳を頼まれることは多かったけど」
「へえ・・・・・・」
芸術家にはありえそうな話だ。
ただ、ヨハンの口ぶりからして意外にも彼女が孤立していなかったように感じ取れた。少々毛色の変わった友人、と言ったところか。
「セイファは、やたらレナラストにこだわっているような気がするんですが」
「レナってなんでか年下ウケよかったんだよね。非言語コミュニケーション成り立つからかも。セイファだけじゃない、あの子くらい年下の子達はみんなレナをすごく慕ってた」
「非言語、ですか・・・?」
「遊びのレベルが近かったんだ。彼女、粘土がやたら好きでね。細密なお城とか作ったり、壁に貼り付けて立体的な絵を作ったり。出来上がるもののレベルは、さすがに他のチビたちとは違ったね。――彼女と年が近いと、作品に感心することはあっても、一緒に粘土こねたりはあんまりしないから。そういう差だろうね」
「そうだったんですか・・・・・・」
それでもまだ、セイファのレナラストに対する思い入れを納得できない。
「あの・・・、連絡は、取り合ってないんですか?」
ヨハンは悲しげな色を浮かべて微笑んだ。それだけだった。
レナラストは世間から姿を消した。そして絵だけが発表されて、世界中が熱狂し、混乱したのだ。
かつての友が、おそらくは意思に反して起こした騒ぎに、彼らはきっと心を痛めた。今も衰える兆しが見えないテロリズムにも、日々複雑な思いを抱くのだろう。
下の階から、セイファの声が聞こえてきた。
「ごはん、出来たよ」
それを聞いて、ヨハンは表情から悲しみを消し去る。
「行こうか。セイファの飯、食べたことある?うまいんだよ」
「俺はねぇ、セイファって主夫が向いてると思うんだよねぇ」
天文台の小さな台所で作られたとは思えない色とりどりの料理が並ぶ。
焼いた魚の上には酸味のきいたソース、つけ合わせはジャガイモとアスパラガスとニンジン。サラダはオリーヴオイルと塩と胡椒だけの味付け。キャベツたっぷりのスープ。使われている材料も調味料もシンプル、調理法だって難しくないのに、美しく整った見た目と味が作り出されていた。
ヨハンはうきうきと声を弾ませながら料理を次々に平らげてゆく。
「ね、セイファの飯ってうまいでしょ」
「はい・・・なんか、セイファが料理上手って、意外性があるようなないような・・・ものすごく、・・・反応にとまどいます」
「あはははは!嫉妬?そんなの気にしない気にしない。物事はなんだって、できる奴がすればいいんだよ。で、セイファは主夫向き!」
「主夫はともかく、重度の味覚障害とかない限り、最低限はすべきだよ。最低限は」
上機嫌のヨハンに対し、冷たいセイファ。あまりこっちに話題を振ってほしくないので、サラはどちらとも目を合わせないようにする。
サラだって、最低限の家事くらいできる。しかし人に手料理を食べさせるのは躊躇する。
戸棚にはお湯を注ぐだけの、冷凍庫には電子レンジで暖めるだけのインスタント食品常備。冷蔵庫の中といえば卵とハムと牛乳くらい。そもそも研究所の敷地内には食堂がある。バランスの取れた定食には何度もお世話になっている。
インスタント食品を箱で、ダース単位で購入し、それ以外ほとんど食べないヨハンよりは幾分かましだが、似たり寄ったりである。
「難しいことはしなくて良いんだよ。確かに一人分の食事作るのってつまんないし。たとえばジャガイモなら、潰してサラダ、油で揚げる、薄く油ひいて焼く。味付けはソースなのか塩胡椒なのかマヨネーズなのか。これだけでレパートリーは五つ六つだよ。ぜんぜん難しくない」
「いや、面倒なんだよ。難しいんじゃなくて」
「どこが。電子レンジでチンしたって食える状態になるのに」
「レンジでチンしてマヨネーズかけたジャガイモと、レンジでチンしたら本格世界のキッチン、どっちをとるかって話」
「冷凍食品の手軽さと本格ぶりは認めるけど、ヨハンは普段カップ麺ばっかりのくせに、何言ってんの」
「ばれた?実は今日何食べるかって選ぶのも面倒なんだよな。食って考え始めたらキリがないだろ。栄養価に味、量、材料に調理時間に手間・・・って。だから一切考えないことにしてる」
「うわあ・・・」
「だから、誰かが料理してくれるなら何の文句もない。このアスパラうまいね!」
「インスタントとそんな変わんないよ。茹でるだけで食える状態になる」
「スープ絶品!」
「スープの素使ってるんだよ」
「え、嘘。おいしいのに?」
「少し手を加えれば、独特の安っぽさや後味の悪さは消せるんだよ。これだとハーブの効果が大きいかな」
「ハーブとか持ってきたのか?」
「出てすぐのところ、植えてるの。台所にハーブリースも作っておいたよ。乾燥させたのもあるから、そっちはハーブティーにして飲んで」
「やっだぁ!まめー!通い妻ー!」
「酒は入れてないはずなんだけど、大丈夫?」
主夫に向いているかもしれない、とサラも思う。
誰かを補助するような役が向いているのだ。目的しか見えない人の傍で、細やかなところまで目を届かせる隙のない秘書タイプ。
彼の性格はともかくとして、料理に関しては見習わねばならない。
何事も、体が資本。健康の基本は食生活。
――しかし栄養面できっちり計算された食堂の定食、あれでもいい気がする。




