23
テロ現場を間近にした衝撃は、セイファのことも揺さぶった。表面を取り繕うことには慣れたが、体の芯の重みは簡単になくならない。それを早く振り切るために、気分転換をしようと思った。
イスヴィラ市街からバスを乗り継ぎ、さらに徒歩、合計一時間と二十分をかけてたどり着いた先は、時代に置き去りにされた天文台である。
錆の浮いたドアをノックして、返事も聞かずに開け放つ。
普段なら、中でヨハンが「よぉ」と挨拶するはずだった。
「え・・・・・・?」
天文台は無人だった。
それだけならいい。しかし違った。
中は、嵐が通過したのかと思えるほどに荒らされていた。
血の気が失せた。
ヨハンは片づけが苦手な男だが、研究の効率が下がらないギリギリのところを常に保っていた。
研究所に見つかって、つかまったか。
それともまさか、変な事件に巻き込まれただろうか。あんな男でも、一応ハイスペックな脳みその持ち主だ、悪事へ利用すれば効果的だろう。
警察に届けるべきなのか、研究所に連絡するべきなのか迷った。
とにかく一度状況を整理して、待ってみて、それから――
真っ白になる寸前の頭で必死に考えていたセイファの背後で、のんきな声がした。
「おーい、いらっしゃーい」
あわてて振り返ると、百メートルほど向こうで、自転車に乗って手を振るヨハンの姿がある。荷台と前籠にはインスタント・ヌードルのロゴが入った段ボール箱。
セイファは眩暈を起こしてその場に座り込んだ。
脳ごと揺さぶられているかのようで、気分が悪い。感覚が薄らぎ、考えることすらままならない。
「セイファ?」
ヨハンの声が、すぐ傍から聞こえてきた。
「おい、セイファ、大丈夫か?」
「・・・・・・うん」
過呼吸になりそうなところを気合で治めて、覗き込んでくる幼馴染を見上げた。
「いや、びっくりして、安心した」
「何だ?何をそんな・・・・・・」
ヨハンが絶句した。
セイファは彼の表情の変化の仔細を追えなかったが、予想はつく。
「・・・・・・セイファ、暴れた?」
「そんなわけないだろう。空き巣じゃないのか」
「こんな寂れた天文台に何があると思ってるんだよ」
「観測機器は無事なの?あれは高値で売れるだろ。そのままで難しくたって、ばらせばいくらでも買い手がつく」
「うーん・・・、とにかく入れよ。あ、これ持つの手伝って」
「無理」
今眩暈を起こしたばかりの人間に、何を言うのかこの幼馴染は。
ソファの上に散らかっていた紙を適当にまとめて場所を空けて、セイファは横になった。その間に、ヨハンは散乱した物を蹴りながら端に寄せ、室内を見回る。
結局、何か盗まれた様子はないという結論に至った。
紙媒体の観察記録があちらこちらにいったことは痛い損失だが、すべてディジタル・データでも保存されている。もとより散らかっていた場所だから、改めて嘆くようなことはないのだ。
「カップ麺が減ってるかも?ホームレスでも来たのかな」
「こんな不便なところに?来ないだろ」
最寄りのバス停からでも三十分以上歩かなければならない立地だ。星の観察を邪魔する光源がない代償である。
「うーん、機器が無事だからどうでもいい」
ヨハンは早くも片づけを終了した。――ヨハンの言う「片付け」は物を寄せてスペースを作ることを指す。それ以上は「大掃除」である。
「で、今日はどうしたんだ。学校、ある日じゃないのか?」
「自主休校」
「ふうん。なあ、さっき市街まで行ってたんだけどさ、美術館、あれ、なんなの」
「自爆テロ」
「マジで?はやらねーことやるなぁ」
「まったくだよ」
「・・・・・・館長に、いろいろ手伝わされたか?」
「うん」
「おつかれ」
「・・・・・・うん」
この一言を聞きに来たのかもしれない。泣きそうなほどに、安堵した。体の中心に居座っていたものが、どれほど重かったのか、思い知らされる。
(こんなもの、続けられない)
昔はできると思っていた。けれど、時を経るにつれて己の適性のなさを痛感する。
ラウドは「俗世に留まるのはやめておけ」と言う。研究室の奥で、世間の移ろいなど知らずに研究に没頭すればいい、と。だが、セイファはきっと自分のやっていることの意味を考えてしまう。自分の仕事と、それの至らなさを。
「疲れてんなら、寝てろよ。晩飯がインスタントになるけど」
「うん」
ヨハンは優しい。昔からだ。人の心の機微を読んで、その時その人にふさわしいものを与える。
安堵感がまどろみに変わっていく。
意識を現実世界に引き戻したのは、ノックだった。錆びかけた金属製のドアは、耳障りな音を立てて来客を知らせている。
セイファはソファから身を起こして時計を確認した。二時間も経っている。
「はーい、だれー?勝手に入ってー」
ヨハンは大声で返事をする。コンピューター画面からは一瞬も目を離さない。
ここに来るのは気の知れた友ばかりだから、という期待感もあった。
だが、なぜかドアは恐る恐る、ゆっくりと開いた。
「あの、こんにちは・・・・・・」
ドアからのぞいた顔を見て、セイファは絶句した。
「あ、セイファ!あの、ここって何ですか?お邪魔して本当に大丈夫です?」
「何で、いるんです?」
寝る前の眩暈の続きが起こりそうだと思った。
そこにいるのは、サラ・サフラテスである。
「話せば長いんですけど、入っていいですか?うわ、これ踏んで大丈夫です?踏まないと歩けないんですけど、他に方法あります?」
「ああ、踏めば良いですよ、どうせゴミだし」
「え、ちょっと待ってセイファ!誰が来てんの?」
ヨハンが立ち上がって様子を見に出てきて、見慣れぬ女性の登場に目を丸くする。
「セイファの知り合い?」
「あー・・・うん」
まさかこれが研究所の新人で、今セイファが預かっている人だとは言えない。研究員はテロの対象。いくら相手が友人でも、軽々しくそれを口外するなど非常識だ。
「まあ、いつまでも開けてたら冷えちゃうし、入りなよ。足元のものは脇に除けてくれたら良いから」
ヨハンは相手に見当がついているのかいないのか、あっさりと入室許可を出す。
「踏めばいいですよ。いっそ踏まれて壊されたら片付ける気にもなるだろうし」
「いやああっ、それは勘弁!」
サラは顔引きつらせながら、物を避けながら入ってきた。さらに室内を広く見回して、眉根を寄せる。
「ここ、・・・ものすごいですね」
「そうですね。今、初めてあなたと気が合ったんじゃないかと思います」
「セイファ・・・・・・この場でなら、人類の大半と友好的になれますよ」
サラの意見にセイファは深くうなずいた。
納得していないのはヨハンだけだ。
「いや、だって空き巣に入られたばっかだから仕方ないじゃん」
「えええ?!空き巣ですか!それは大変です!警察に連絡を!」
「あらやだごめん、こんな純粋な子がいるなんて。良心がめっちゃ痛む。ほら良く見て、大して荒れてないし」
「え、嘘なんですか?これって荒れてないですか?」
「この人が純粋かどうかはさておき、これで片付いてると思ってるヨハンの感覚には大いに問題があるよ」
「片付いてるとは思ってないけど、生活臭があるってくらいだろ?」
「昔なじみがみんな気にしないからって、一般的感覚を忘れすぎ」
世間一般の感覚ではかなり散らかっていると表現できるレベルだ。
ヨハンの感覚に呆れる一方で、サラの感覚が一般的であったことにセイファは心から安堵した。
ヨハンは釈然としないようだったが、それよりもサラのことが気になるようだ。
「ていうか、え?この子誰?カノジョ?」
「違うよ」
「え、カノジョじゃないなら、もしかしてもしかする?」
「・・・・・・」
ヨハンは察しがいい人間だ。だから否定も肯定もせずにいれば、知らぬ振りをしてくれる。
人が良い彼はそれを承知してくれたが、しかし納得できない部分もあるようだった。
「・・・あのさ、セイファくん。俺は一応隠遁してるんだよね、知ってるよね?」
「知ってる、ごめん」
「誰から逃げてるか知ってる?」
「すげー知ってる、けど待って。僕、ここ教えてない」
「でも行動記録残るでしょ?あとであの子の端末勝手にいじるよ?いじるからね?」
「それは仕方ないけど・・・」
「あのぅ、セイファ?ここって・・・・・・」
二人でこそこそ話していたら、サラはその居心地の悪さに耐えられなくなったらしい。おずおずと話しかけてきた。
セイファは役目を放棄した。
ここはヨハンがどうにかするだろう。それくらい余裕でできる男だ。
「うーん、なんて言ったもんかな。女の子なんてマヌーが来て以来で緊張するなぁ」
「マヌー来たんだ。元気だった?」
「散々散らかして行ったよ」
「ああ、なに?空き巣とか言って、散らかしたのはマヌーか」
セイファの納得に、ヨハンは力なく笑った。
そして気を取り直してサラに向き直る。
「はじめまして、お嬢さん。俺はセイファの昔なじみで、ヨハン・アルクメネ」
「サフラテス・サラです。セイファのこと、昔から知ってるんですか?」
「うん。でも、外で俺のことは話題に出さないでね。一応ここに隠れ住んでるんだ」
「不法占拠でね」
「え、不法占拠ですか?」
「あははは、うん、そう。それ以外に手がなくてさ。ホームレスみたいなもんだね。必死こいて生きてるわけだよ」
住所をまともに届けたら、すぐに研究所からお迎えが来ると思われる。だから逃げ隠れしている幼馴染たちは、住所不定の無職だ。中には生死不明の行方不明者もいる。
サラはそんなこと知るはずもないから、「そうなんですか?」と首を傾げつつ納得しようとしているが。
「でも、なんでそんな生活を?」
「んー・・・、俺は天文学がやりたくてね。でも、封印学問じゃん?研究所のほうからはそんなもんしてないでシステムの維持にその頭脳を提供しろと脅迫されてるもんで、身を隠して研究するしかないんだ。だから、密告しないでね」
「そ、そんなことしません!」
「ありがと」
ヨハンは詐欺師みたいに素敵に微笑んでいる。そういえば女の子に対して驚くほど気の回るやつだったとセイファは昔を思い出す。
サラは、畑違いとはいえ同じ研究者であることに親近感を覚えたらしく、いっきにヨハンに対する態度が柔らかくなった。
「セイファとは、学校か何かが一緒だったんですか?」
「あれっ?セイファに聞いてない?俺もあいつも、ラボ・チャイルドなんだ」
「ヨハン!」
止める間もなく、ヨハンは暴露した。ヨハンは「なんで黙ってるんだ?」と心底不思議そうだ。
「ま、さっきのに補足すると、ラボ・チャイルドゆえに、研究所に所属を迫られてるんだよ」
サラがしばし間をおいた後、ポンと手を打った。
「・・・・・・ああ、なるほど!イーニアス・イーサムはそれでここを!」
イーニアスの名に、セイファもヨハンもぎょっとする。
そういえば、サラがこの天文台を知っていた理由を聞いていない。
まさか。
「イーニアスに会ったんですか?!」
「え?ええ・・・セイファならここにいると、端末に地図情報を送ってくれました。正確には、ユニっていう少女型が」
「ユニ・・・・・・」
「あいつか・・・・・・」
セイファとヨハンは、今度はそろって脱力する。
「今朝家を出たら、その少女型がいて、セイファのことを知っているのかと言い出して・・・・・・なんだろうと思っていたら、イーニアス・イーサムがその子を迎えに来ました。それで、こういう流れに」
ユニの行動には驚かされたが、しかし、その光景は鮮明に目に浮かぶ。なんせセイファもヨハンも、ユニの製作者なのだから。
「・・・ニアスのやつ正気か?」
「すぐに館長に連絡する」
「待てよ、ここで連絡すんな。発信場所があっちに知れる」
「・・・・・・」
起動しかけた端末を閉じる。
なにがどうあれ、二人の接触は互いにとって危険だ。ヨハンは研究所に居場所が知られる可能性が生まれるし、サラは研究員だと外で知られるきっかけになるかもしれない。
イーニアスがサラにここを教えた意図は全くの不明だ。欠片も予想できないので、ものすごく迷惑に思ってしまう。
セイファが思い悩んでいたら、ヨハンがあっさりと答えを出した。
「まあ、せっかくここまで来たんだし、ゆっくりしていきなよ。こっちは観察の邪魔さえされなければ構わない。女の子が同じ空間にいるのは華やかでいいしね」
「いいんですか?あの、私、天文学は専門外なんですけど、普段どういうことをしてるんですか?ものすごく興味深いですっ」
「興味持ってもらえるなんてうれしいね。ああ、今日泊まりでも大丈夫?夜までいてくれたら、望遠鏡で星を見せてあげられるし」
「見たいです!」
「好きな星とかある?惑星は?」
「土星!土星見えますか?!」
「見えるよ。なんと、今年は土星がきれいに見える年」
「きれいに見える?」
「土星って輪があるでしょ。あれの傾きが十五年周期で変わるんだけど、見栄えがいい年悪い年があるんだよね」
「へえええ!」
ヨハンが案内を始めて、セイファは取り残された。
サラは次々に質問して、ヨハンを喜ばせている。
(どうすれば)
ヨハンへの信頼と、サラの安全と、研究所の秘密保持と、――そんなものがごちゃ混ぜになって、思考を乱す。頭が痛い。イーニアスとユニに恨み言のひとつも言いたくなる。
そんなセイファの内心を知ってか知らずか、ヨハンは気軽に言う。
「あ、晩飯の用意よろしくー」




