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窓からは、手入れの行き届いた中庭が見える。休憩用のテーブルと椅子が何セットか――これも学生がデザインしたらしく、セットごとに色も形も素材すらも異なる――置かれている。普段のこの時間帯ならば、すべてのテーブルが埋まっていてもおかしくないのだとセイファは言う。
今日は違った。
一つの席に、男女が向かい合って座っている。そしてその傍に、カメラを構えた男性が一人。
さらに二メートルほどの距離を空けて、周囲には人垣が出来ていた。
席に座っている男性には、見覚えがある。――ナターリアだ。その向かいに座るのは、記者のようだった。暗く濃い色の赤毛を結い上げている。一房だけ頬にかかっているさまは、艶やかという言葉を思い出させる。
サラは窓際に椅子を置き、それを見下ろしていた。
「すごいですねー、ナターリア。あれ、トゥレ出版のロゴですよね?総合メディアの大手じゃないですか。そんなところからインタヴューされるって相当ですよ」
先ほどセイファに見せられた像のことがあって、言葉にはそれほど強い感情はこめられていない。
「ナタリーは有名って言ったじゃないですか。――ていうか、世間に疎いのかと思ったら、社名がさらっと出てくる程度には詳しいんですね」
「いちいち馬鹿にしないでください。認可されている会社の規模と名前は教科書にだって出てきますよ」
「へえ、教科書で習うんですか?」
これには本当に驚いたようだった。驚かれたことに、サラは驚く。
「ええ?これって専門教育じゃないです、よね・・・?ええっと、うん、確か中学の時点で出てきています」
少なくとも平面世界内で、基本的な教育内容は統一されている。セイファの出身地域だけ違った、ということはないだろう。
「ふうん。ただの民間企業のくせに、教科書に載るんですね」
「えっと、情報を取り扱うには、認可が必要なんです。で、認可されているのは十三社くらいで」
平面世界が成立したとき、システム研究所は混乱に乗じて「混乱を防ぐための報道規制法」を成立させた。当時とはいくらか形を変えているものの、基本的に同じなのは研究所による「認可制」である。
「へえ・・・・・・わざわざ認可なんてするんですか」
「あたりまえです。好きに情報垂れ流しにさせたら、世界は混乱してしまいます。旧世界では自由報道がまかり通っていたといいますけど、・・・まあ、時代が変わったってことですよ」
「でもこれで規制されているとしたら、中途半端ですね。おかげでレナラストが流行るし、テロは増えるし。その影響で、僕は平和な大学生活を壊されました。もっと徹底的にすればいいのに」
「それはそれで、超前時代的ですよ。ナンセンスです」
しかし意外だ。これまで関わってきた印象から、セイファは「お勉強がよくできる子」だとサラは思っていた。首をかしげ、セイファのほうを見る。
――と。
「動かないでください」
ぴしゃりと言われる。
――サラは窓際の椅子に腰掛け、セイファのモデルをやっていた。
教室内にはサラとセイファ二人きり。積み上げられたスケッチブックや、石膏の像、描きかけのキャンバス、――雑然としている。
セイファはスケッチブックを組んだ膝に乗せて、せわしなく手を動かしている。先ほどから、五枚ほど紙を変えた。何枚描くつもりなのか、疑問だ。
「・・・ちょっと疲れてきました」
「たった十五分ですよ」
「慣れてないんですよ」
「がちがちに緊張するからです。授業を受けてるくらいのつもりで動かなければいいんです」
「おお、なるほど!」
そこまでは良かったのだが、今度は会話が途切れた。
サラがため息をつくと、
「表情が暗くなりました。最初と同じ雰囲気でいてください」
どうしようもない要求をされた。
「・・・私をモデルにして楽しいですか?」
「いえ。べつに。だからって誰でもいいわけじゃないし」
「そうなんですか?」
「嫌いな見た目だったらモデルにしませんよ」
「・・・・・・」
見た目だけ認められたのか。まったくうれしくない。
「レナラストは男をモデルにしたスケッチを元に、美少女を描きました」
「え?」
「僕らは表面だけを見ているんじゃないんです。――もちろん、目に映るなにかであるのは確かなんですけど。多面的・・・そうだなあ、極端なものがキュビズムじゃないですかね、僕はそういうのやってないですけど」
「キュビズム?」
「見たものを、基本的な構成要素に分解・・・断片化して、もう一度構成するんです。ああいう感じ」
セイファが指したのは、描きかけの油絵だ。サラの素人感覚で見ると、人物がパーツごとに、パズルのように継ぎ接ぎで描かれているように思える。難解ともいえる。
「視点を変えること。一点から見てはわからないものを、別の点から見る。人間は二つの目で対象を捉えて距離を把握する、これを思えば難しい作業じゃない。――科学にも必要でしょう?」
「ええと?」
「たとえば光は粒子でありながら波であること」
「二重性の話ですか?」
光は粒子性と波動性、ふたつの性質を持っている。古典力学の常識に照らし合わせれば、――というか、人間の日常の感覚と照らし合わせても、納まりの悪い話だ。
「小さな単位で構成される光にさえ二重性があるのだから、人間にだって多面性があって不思議じゃない。そのたくさんある面の一つを、強調して描く。もしくは継ぎ接ぎする。つまり僕らは実験をしている。光の波動性を証明する実験、粒子性を証明する実験。それを繰り返して、本質を読み解く。世界を知ろうともがく」
ぼーっと描きかけの絵を見ていたサラだったが、ふいに強い視線に気づいた。この部屋には二人きりなのだから、言うまでもなくセイファのものである。
モデルは動くなと怒られるかと思ったら、セイファはスケッチブックを置いた。
「その窓」
「へ?」
「レナラストの作品です」
「・・・・・・?」
「肘をどけてみてください」
言われたとおりにしてみると、金属の窓枠に傷がついていることに気づく。――傷が連なり、絵になっている。ほんの一部ではあるが、まるで額縁の装飾のようだ。
「いたずら、ですか?」
「伝説によると、課題を提出しろと迫られ、その場で描いたとか」
「これを提出?」
あきれて窓枠を指すと、セイファは首を横に振った。
「窓枠を額縁に見立てて、外の風景を自分の作品だと言ったそうです」
「ふえ?」
サラは外を改めて見る、――が、よくわからない。立ち上がってみてもよくわからない。首をかしげていると、セイファがサラの肘を掴み引き寄せた。
「うわわわ」
「この辺からですよ」
「うーん・・・?」
窓枠を意識する。そして、それに切り取られた風景。
(ああ、なるほど)
なんと形容すべきか、すぐにはわからなかった。ただ、納得できた。
「ええと・・・・・・なんだか、ポストカードみたいです」
特別に美しい何かがあるわけではない。建物、中庭、門、遠くの街、山並み・・・――。
「写真家に言わせれば、バランスがいいそうです」
「へえ・・・おもしろいですね、レナラストって人」
「おもしろいで済んだら、世界は平和だったんですが」
「・・・・・・まあ、同感です」
その瞬間はうなずいたけれど、肯定してしまった己自身に疑問が残った。澱のように、心の奥底に。
レナラストが絵を描かなかったとして、本当に世界は平和だっただろうか。
「あの、セイファ」
とっさに言葉にならないそれを、どうにかして伝えようとしたが、すぐにセイファにさえぎられた。
最悪の言葉をもってして。
「ウルダン基地にはおそらくテロリストへの内通者がいます」
「え」
「館長・・・ハルゲン局長は何も言いません。これは僕の予想でしかない。ただ、基地に対するテロの数とその内容を聞く限り、ほぼ確実です」
「そんな話、ここでしていいんですか・・・?」
周りに人はいない。・・・と思う。
だが、盗聴器の類ならば簡単に仕掛けられる。
すると、セイファは冷笑した。
「わかりませんか?おめでたいですね。――あなたがもしテロリストなら、この話を聞いて何かしらの行動に出るはずだ、ってことです」
「・・・・・・っ!」
反射的といっていい。言葉を理解した瞬間に、サラはセイファのほうを振り返りながら、彼を突き放した。
「・・・・・・!」
気持ちが言葉にならない。
最悪だ。
睨み付けると、意外にもセイファの口から謝罪がこぼれ出た。
「・・・今のは、言い過ぎました」
少し、苦しげだ。
彼が自分の間違いを認める、その事実にサラは驚いた。
「・・・え、」
「一片も考えなかったといえば嘘になりますけどね。悪いけれど、その可能性を僕は捨てません。――内通者について、さっき話したことは全部事実です。だからこそ、あなたを近づけるわけには行かない。あなたがテロリストならもちろん、テロリストでなかったとしても部外者であるあなたは疑われやすい。関連施設はぴりぴりしてます。あなたは大人しくしているべきだ」
「あの、」
「あなたの要求どおり、システムに関連するさまざまな知識に触れる機会をできるだけ作ります。ものすごく回りくどいですけどね。だけど今あなたにできることなんて、その程度です。その程度を馬鹿にせずに、――しっかり学んでください」
サラは言葉を頭の中でゆっくりと理解しながら、やがて目を伏せた。
(なんだ、結局できることなんてないのね)
どのように役立たずであるか説明されたせいだろう、頭の回転はひどくゆっくりとしている。
自分がどんな感情にあるのかさえ、認識できない。
「・・・どうか、しましたか」
セイファが怪訝そうに言う。
サラはゆっくりと首を横にふった。
「いえ・・・・・・何も。――でも、今日は、帰らせてください」
自分で言って、サラは自嘲しそうになった。帰らせてくださいと許可を求めなくたって、セイファはサラのことなど関知しないのに。
「・・・どうぞ」
セイファはそれだけしか言わなかった。
(ほら、私になんて興味がないでしょう?)
どうしてだろう。
とても苛々している。