聞こえないを、いないにするな
観測機器の説明を聞いた翌日、校外学習の感想を書く時間があった。
「提出は一枚でいい。Sも書きたいことがあれば、余白を使ってくれ」
担任に言われ、僕はプリントを見る。一番印象に残った展示の欄へ、水槽トンネル、と書いた。
――サメ。
(展示名じゃないよ)
――サメがいたトンネル。
「何で止まってるの?」
美月に聞かれて説明すると、前の席の倉田が振り返った。
「両方書けばいいだろ。裏、空いてるぞ」
――それでいい。
表に僕の感想を書き終え、裏側へSの言葉を聞きながら書く。
『サメがでかかった。また行く』
代筆だと分かるように添えると、美月が肩を震わせた。
「短い」
――大事なことは入ってるだろ。
「本人は十分だって言ってる」
「じゃあ、先生の返事が楽しみだね」
僕は紙を裏返し、ひとまず自分の誤字を直した。
◇
放課後は、学校の応接室で説明を聞いた。玲奈先輩と白峰主任、それに機器を調べた技術担当が来ている。
机の上に置かれたのは、保存データの複製を表示する端末だった。回収した箱は解析区画にあり、ここには持ち込まれていない。
「昨日の記録の続きが読めた」
主任が画面を開く。
工事現場で観測された二系統の重なりと、【SEPARATE RESPONSE REQUIRED】。その後に、二つの欄が現れた。
【ROUTE A:UNRESOLVED】
【ROUTE B:UNRESOLVED】
「ルート……経路、ですか」
「機械はそう呼んでいる。ただ、何が通る経路なのかは、まだこの欄だけでは分からない」
主任が技術担当へ視線を向けた。
「送信後に受け取った応答の一部も復元できました。今ここへ届いた通信ではなく、回収前に保存されていたものです」
新しい行が表示された。
【SEPARATION DATA INSUFFICIENT】
――分けるための情報が足りねぇ、ってことか。
Sの声を聞くより先に、背中が冷えた。
「僕たちを分けるんですか?」
「そこはまだ言えない。二つの反応が混ざっているから、データとして分けたいだけかもしれない」
白峰主任は、重なっていた波形を指した。
「『分離』という名前の処理があることと、二人に何をするつもりかが分かったことは別だ。ただ、この応答を見落としたままにしていいとも思わない」
玲奈先輩は画面を見たまま聞いた。
「出力機器につながった証拠は?」
「まだありません。回収した箱自体には、身体へ作用する出力機能は確認できませんでした」
「追加の点検は?」
「周辺で同じ観測型を二台。電源と通信部を分離して回収済みです。校内では、今のところ見つかっていません」
僕は椅子の肘掛けから手を離した。知らないうちに指へ力が入っていた。
「相手が欲しがっている情報を、僕たちが出さなければ止まりますか?」
「その保証はない」
主任の返事に、胸が沈む。
「ただ、求められた通りに反応を見せて調べる方法は取らない。箱に残った記録と、外部班が確認した通信から追っている」
――足りねぇなら、足りねぇままにしとけよ。
(主任たちも、そのつもりだよ)
僕は頷いて、言葉が詰まっていた喉へ水を流し込んだ。
説明が終わると、先輩は帰り道の変更をもう一度確かめた。行き止まりにならないこと、途中で休めること、連絡が取れること。地図に引かれた道は長くなったけれど、僕たちが不審な箱を探して歩く道ではなかった。
◇
帰宅後、僕は感想文を机の隅へ置いた。清書して明日出すことになっている。
(やっぱり自分で書きたかった?)
――別に。今日は、お前が書いたのでいい。
(言葉は合ってる?)
――合ってる。でかかった。
僕は笑って紙を裏返し、数学のノートを開いた。
しばらくすると、Sが符号の間違いを指摘した。直そうとして消しゴムを取ったところで、応接室で見た表示が頭に戻ってくる。
分離のための情報が足りない。
紙の上の数字までぼやけて見え、僕はペンを置いた。
(もし、君の声が聞こえなくなったら、どうしよう)
言い終えてから、そんなことを聞きたかったわけではないと思った。答えが分からないのは、Sも同じだ。
けれど、彼は僕の言葉を聞いていた。
――まず人呼べ。
(人?)
――玲奈でも白峰でも。お前一人で、分かんねぇことを始めんな。
僕は机の上の電話を見る。
――身体傷つけて、俺が出るか確かめようとか、そういうのはなしだ。
(しない)
今度は、すぐ答えられた。
(怖くなっても、先に連絡する)
――ああ。あと、聞こえねぇ時に、俺の返事まで勝手に決めんなよ。
僕はノートの端を指で押さえた。
Sの声が聞こえなくても、本人が何かに賛成したことにはならない。昔から見てきた空欄が、急に自分たちのものへ近づいた気がした。
(君もね。僕の声が聞こえなくなっても、もういないって勝手に決めないで)
少しだけ間が空いた。
――お前、いそうだもんな。黙ってても。
(どういう意味?)
――内側で、言おうかやめようか悩んでそう。
確かにそうかもしれなくて、言い返せなかった。Sが小さく笑う。
――その時は待つ。勝手に決めねぇよ。
僕も頷いた。
電話を手の届く位置へ寄せて、またペンを持つ。式を直して次の行へ進んだところで、Sが早速口を挟んだ。
――そっちも符号。
(まだ書いてる途中!)
抗議しながら、僕は書きかけの横棒に縦の線を足した。Sはしばらく黙って、続きを待っていた。




