一瞬を、誰かが見ていた
翌朝、僕は玲奈先輩へ、昨夜Sと話したことを伝えた。
二人の力を重ねる方法だけでなく、どちらかが止めたくなった時に止められるかも知りたい。その話を白峰主任へ取り次いでくれた先輩は、昼休みに僕の教室へ来た。
「主任から返事。今ある記録では、止め方までは分からないそうよ」
「そうですか」
「治療と記録の整理を先にする。新しく出して確かめる話にはしない」
――それは分かってる。
パンを持ったまま頷いていたら、向かいの美月が首を傾げた。
「何の話?」
「救助の時に、ちょっと変わったことが起きたんだ。詳しいことはまだ調べてる」
「身体がしんどくなったやつ?」
「うん」
「じゃあ、先に治そうね」
美月は僕のパンを指した。話してばかりで、袋も開けていなかった。
食べ始めると、教室の後ろから倉田が来た。
「真白。先生が呼んでる。三枝先輩も」
先輩の端末が、ほとんど同時に鳴った。画面を見た彼女が、僕の机へ目を戻す。
「食べてからでいい。事故調査の担当者から、位置関係を確かめたいと連絡が来た」
「工事現場の?」
「ええ。それと、不審なものが見つかってる」
パンの味が、急に遠くなった。
◇
放課後、学校と医療側に確認を取ってから、玲奈先輩と事故現場へ向かった。僕たちが立ったのは立入禁止の柵の外、担当者が安全を確認した場所だった。
昇降機は撤去され、歩道には新しい養生板が敷かれている。あの日、金属板が落ちた辺りに、白い印が残っていた。
図面を示され、僕は最初にいた場所と、退避した方向を答えた。Sにしか分からない部分は、本人の伝言だと分けて伝える。
確認が終わると、管理局の技術担当が写真を取り出した。
「事故については、今のところ支持部と制動の問題を調べている。能力による誤作動や、外部から制御された形跡は見つかっていない」
「じゃあ、僕たちを狙って起こしたわけでは……」
「現時点では、そう判断する証拠はない。ただ、調査中にこれが見つかった」
写真には、指二本ほどの幅の黒い箱が写っていた。昇降機の中ではなく、向かいにある街灯の点検口から出てきたものだという。
「通常の照明とは配線が別で、独立電源を持っていた。もう回収して、電源と通信部は外してある」
玲奈先輩が写真を見る。
「出力機能は?」
「今確認できた範囲では、観測と通信だけだ」
担当者の端末から、白峰主任の声がした。
『箱に残っていたのは周辺の能力反応だ。事故を起こすための機器というより、そこで起きたことを拾っていたらしい』
画面が、保存記録の複製へ切り替わる。
S系統とM系統。二本の反応が短く重なった部分に、時刻が添えられていた。
僕は柵の向こうの白い印を見た。あそこから右へ飛んだ時だ。
『救助時刻と一致する。ただ、これだけで二人が何を考えていたかまで分かったわけじゃない』
「この記録、管理局から渡したものですか?」
『違う。君たちの説明も、これまで残した拒否の記録も送っていない。箱が自分で観測したものだ』
――勝手に、見てたんだな。
Sの声が低くなった。
その直後の記録には、見覚えのある表示が残っていた。
【SEPARATE RESPONSE REQUIRED】
「転送はされましたか」
玲奈先輩が聞く。
「事故のあと、一件の送信が確認できた。受信先から戻った応答も一部残っている。経路を挟んでいて、相手の場所まではまだ追えていない」
「止めたのは、この一台だけ?」
「今のところは。周辺の点検を広げている」
僕は鞄の持ち手を握り直した。
あの一瞬は、僕たちのものだと思っていた。痛かったことも、怖かったことも、それでも助けられて嬉しかったことも。別の場所では、同じ一瞬が数字になって運ばれていた。
「これから、何をされるんでしょう」
『まだ分からない。まずは残っている応答を読む。相手へ新しく何か送って、続きを聞くことはしない』
主任の言葉に頷いてから、僕は写真を伏せてもらった。
「今日は、ここまでにしたいです」
「分かった。帰ろう」
玲奈先輩は先に歩き出さず、僕が柵から離れるのを待ってくれた。
◇
通学路を変更することは、学校から美月や倉田にも伝えられた。二人とは、確認の取れた合流場所で一緒になった。
「今日はこっちだって」
美月がいつもとは別の道を指した。倉田は角まで歩き、僕たちが来るのを待っている。少し後ろには管理局の付き添いがいた。
「水族館の方にもあったの?」
美月が聞く。
「そこで見つかったとは聞いてない。今日説明されたのは、工事現場の近くだよ」
「そっか。じゃあ、サメを疑う理由はないね」
「最初から疑ってないよ」
――当たり前だろ。
鞄のサメが歩くたびに揺れる。倉田が一度だけこちらを見た。
「助けたところまで、見られてたのか」
「能力の反応は、たぶん」
「嫌だな」
その短い言葉で、ようやく僕も息を吐けた。
(S。あれ、やらなければよかったと思う?)
――思わねぇ。
返事はすぐだった。
――俺らが助けた奴、ちゃんと生きてんだろ。
(うん)
――見てた奴のためにやったんじゃねぇよ。
僕は鞄から手を離した。握っていたところに、持ち手の跡がついている。
救助を後悔しているわけじゃない。ただ、嬉しかったことへ別の意味を貼りつけられるのが嫌だったのだと、少し分かった。
「足、疲れた?」
美月に聞かれ、僕は首を振りかけてから、少しだけ、と答えた。
角の先のベンチで短く休むことになった。倉田が道の先を見て、「こっち、意外と遠いな」と言う。美月が地図を開き、Sは内側から近道を指摘した。
(その道、今日は通らない方だよ)
――じゃあ、ちゃんと座って休め。
僕は背もたれに身体を預けた。サメが鞄の上へころんと倒れたので、尾をつまんで向きを直す。Sはそれを見届けてから、今度は隣の店のメニューへ口を出し始めた。




