できたことと、できることは違う
病院へ着いてからも、Sが表のまま診察を受けた。
頭痛と吐き気に加え、転がり込んだ時に打った腕、僕が最初に棒を受けた脛も診てもらう。身体の傷より、原因の分からない頭痛が続いていることを気にされ、安静にするよう言われた。
枕へ頭を戻すと、Sが内側でぼやいた。
――言われなくても、今は動けねぇよ。
(分かってる)
しばらく休んだあと、玲奈先輩が救助された作業員の無事を知らせに来た。続いて白峰主任と牧野さんが顔を出す。二人とも椅子を寄せたけれど、検査を増やす話はしなかった。
「答えられる範囲だけ、聞いてもいいですか」
牧野さんに聞かれ、Sは目を開けた。
「ああ。長ぇのは無理」
「途中でも止めます。まず、Speedを使う前のことから」
Sは、退避口を開けるために柵を壊し、そこから得たSPで加速したと話した。落下する金属板を見た時にもSpeedは続いていて、横へ飛んだあとには使い切っていた。
「Momentumを使おうとしましたか」
「してねぇよ。俺の能力じゃねぇ」
いつもより少し強い声だった。
「湊が、右へ押すって言った。俺は曲がろうとしてたけど、あれだけじゃ足りなかった」
牧野さんは言葉を区切って記録した。
「分かりました。湊さんの経験は、ご本人に確認できる時に伺います」
「今、俺から聞いてやれねぇの?」
「伝えることはできます。ただ、Sさんが経験したことと混ぜないようにしたいので」
Sは少し考え、それ以上説明を足さなかった。
「……なら、今はここまで」
牧野さんが端末を閉じた。Sも目を閉じ、深く息を吐いた。
◇
交代したのは、吐き気が落ち着き、診察の区切りがついてからだった。
僕へ戻っても頭の奥は痛い。起き上がろうとしてやめ、枕へ戻る。
(S、大丈夫?)
――いる。頭いてぇ。
短い返事を聞いて、水を一口飲んだ。牧野さんは僕が話し出すまで待ってくれた。
「僕が使ったのは、最初に脛を打った時のMPです。交代する前から持っていた分で……Sが表へ出てから増えたものじゃありません」
「いつ、使おうと思いましたか」
「Sが曲がりきれないって言った時です。右側が空いていたので、そこへ押せればって」
言いながら、あの時の靴底の感覚を思い出す。
「Sに止まってほしかったんじゃないんです。そのまま動いていてほしかった。僕が表へ出るんじゃなくて、僕の力だけ、あそこへ届けばと思いました」
その先をどう説明すればいいのか分からなかった。考えただけで、いつでも内側から使えるようになったわけではない。
「今、同じことをしてと言われても、できる気がしません」
「今はしなくていい」
白峰主任が、椅子へ座り直した。
「三枝の携行記録と現場映像を照合した。加速が続いている区間に、M系統の出力も記録されている。二人の説明とも矛盾していない」
胸が鳴った。
――やっぱりか。
「じゃあ、成功したんですか?」
僕が聞くと、主任はすぐには頷かなかった。
「人を助けた。その結果は確かだ。二つの出力が重なったことも、今ある記録は支持している」
主任はそこで、僕の震えが残った指先を見た。
「ただ、『次も安全にできる』という結論は出せない。何が起きたかを整理するのと、もう一度起こすのは別の仕事だ」
「もう一度は、今の身体では駄目」
玲奈先輩が言った。僕は頷いたけれど、嬉しさまで引っ込めることはできなかった。
できた。そのことは嬉しい。
でも、次に誰かが落ちてきたら同じ方法で救える、と考えるのは違う。手順も分からず、使ったあとには、こうしてベッドから起きられなくなる。
「記録だけ、後で見せてもらってもいいですか」
「もちろん。今日は休んで」
主任が立ち上がると、Sが内側で小さく息を吐いた。
――もう一回やれって言われなくてよかったな。
(うん。でも、ちょっと期待してた)
――俺も。
似たようなことを考えていたのが分かり、僕は枕に顔を寄せて笑った。少し響いて頭が痛んだので、それ以上はやめた。
◇
翌日は学校を休んだ。
診察を受け、無理をしないことを条件に登校したのは、その次の日だった。教室へ入ると、美月が僕の鞄より先に歩き方を見た。
「今はどのくらい?」
「吐き気はない。頭はだいぶまし。脚は急がなければ」
「じゃあ、荷物はここ」
椅子を引いてくれたあと、美月は鞄のサメへ目を移した。
「Sは?」
――いる。
「いるよ」
「そっか」
美月は何が起きたのかを詳しく聞く代わりに、僕が休んだ間のプリントを渡してくれた。ニュースには工事現場の事故と救助のことが出ているけれど、僕たちの二つの力についてまで公表されてはいなかった。
倉田が横を通りかかり、机へノートを置く。
「今日、提出するところ。写すなら今のうち」
「ありがとう」
「あと、無茶すんなよ」
それだけ言って行きかけた背中が、一度止まった。
「……あの板落ちた時、本当に死ぬかと思った」
僕はすぐには答えられなかった。自分で感じた速さや衝撃とは別に、外から見ていた倉田の顔を初めて考えた。
「僕も、怖かった」
「なら、覚えとけ」
「うん」
ノートのページが折れないように開いた。倉田はそれを確かめると、自分の席へ戻った。
◇
その夜、電気を消してからも、しばらく眠れなかった。
(もう一回、やってみたい?)
僕が聞くと、Sは少し間を空けた。
――やりてぇよ。でも、今じゃねぇ。
(僕も)
――あの頭痛、もう一回食らいてぇか?
(それは嫌)
僕は枕の位置を直した。痛みは弱くなっているけれど、あの瞬間を思い返すと、身体が少し固くなる。
(急に僕の力が出て、怖くなかった?)
――怖かった。
意外なくらい素直な答えだった。
――でも、お前が押すって言ったから、来るのは分かった。
(僕も、君のSpeedが続いてるのは分かった)
できた理由の全部には、きっとならない。それでも、自分たちが何を聞いて何をしたかは、忘れないうちに残しておきたかった。
――次は、どうやったら止められるのかも聞こうぜ。
(止める方?)
――どっちかが無理だと思ったら、ちゃんと止められねぇと困るだろ。
僕は頷きかけて、暗い天井へ向けた顔を枕へ戻した。
(それ、明日主任に伝えよう)
――今は寝ろ。
(うん。おやすみ、S)
――おう。おやすみ。
返事を聞いて目を閉じた。どうすればもう一度できるのかという考えも、その夜はいったんそこまでにした。




