成功例なんて呼ぶな
「成功例かもしれない」
その言葉が頭から離れなかった。検査が終わって。管理局を出て。三枝先輩と駅まで歩いている今もずっと胸の奥に刺さっている。
「先輩」
「何」
「白峰主任って」
少し迷う。
「信用できる人なんですか」
三枝先輩の足が止まった。ほんの一瞬だけ。
「……職務上は」
「それ、信用してない人の言い方ですよね」
「真白君」
先輩がこちらを見る。
「余計なことを調べないで」
「でも」
「今のあなたには危険だから」
その言葉で少しだけ腹が立った。
(S)
――言え。
珍しく背中を押された。
「それ」
僕は言う。
「僕のために言ってますか?」
三枝先輩が黙る。
「それとも」
少し怖い。でも続ける。
「管理局にとって都合が悪いからですか」
空気が変わった。先輩の表情から。ほんの少しだけ。迷いが見えた。
「……両方」
意外だった。誤魔化されると思った。
「白峰主任は能力研究の専門家。知識も実績もある」
「でも?」
「でも」
三枝先輩は言葉を選ぶ。
「能力者を人間として見るより、現象として見るところがある」
それ。分かる気がした。僕を見て。珍しい。興味深い。成功例。ずっとそんな言葉ばかりだった。
――やっぱ嫌いだ。
Sが言う。
(うん)
「だから」
三枝先輩が続ける。
「あなたたちが研究対象として扱われる可能性はある」
「研究対象……」
嫌な響きだ。
「拒否できますか」
「通常検査なら」
通常なら。
「通常じゃなかったら?」
先輩は答えなかった。それが答えだった。
◇
翌日、教室へ入るといつもと空気が違った。僕にとって。というより。学校全体がざわざわしている。
「昨日駅前やばかったらしいな」
「能力者が暴れたって」
「またガス爆発じゃないの?」
「ガス爆発で地面割れるか?」
政府の隠蔽工作。早くも怪しまれている。僕は席へ向かう。すると机の横に朝倉が立っていた。
「おはよう」
「お、おはよう」
――挙動不審。
(うるさい)
「昨日さ」
朝倉が少し声を落とす。
「駅前にいた?」
心臓が跳ねた。
「え」
「見間違いかもしれないけど」
朝倉はスマホを見せる。SNS。誰かが撮った動画。遠い。画質も悪い。でも、そこに一瞬、映っていた。僕。
「……似てるね」
「似てるよね」
「他人じゃないかな」
「制服も同じだけど」
逃げ場がない。
――全部言え。
(無理だよ!)
――めんどくせぇ。
朝倉が僕を見る。
「最近」
少し間。
「何か隠してる?」
直球。僕は答えられない。三枝先輩から。話すなと言われている。でも、嘘を重ねるのも嫌だった。
「……言えない」
僕はそう答えた。朝倉が目を丸くする。
「言えないことはある」
「そっか」
怒ると思った。でも、朝倉は少し笑った。
「じゃあ聞かない」
「え」
「言いたくなったら教えて」
それだけ。簡単に僕は拍子抜けした。
(S)
――何だ。
(こういう人もいるんだね)
――意味分かんね。
(無理に聞かない人)
――……。
Sは何も言わなかった。その時、教室の後ろで机が倒れた。
ガタン!
みんなが振り向く。男子生徒。昨日、僕を殴っていた三人の一人。顔が真っ青。
「大丈夫?」
誰かが近づく。その瞬間。
「触るな!」
彼が叫んだ。教室が静まる。
「……え?」
彼は自分の腕を押さえている。震えている。
「痛い……」
嫌な予感。ものすごく。嫌な予感。
「どこが?」
僕が立ち上がる。
「来んな!」
彼が叫ぶ。腕。袖。その下。何か。赤黒いものが浮かんでいる。血管?違う。光っている。
「真白」
彼が僕を見る。怯えた目。
「俺……」
そして。袖をめくった。注射痕。一つ。二つ。三つ。息が止まる。高瀬さんと同じ。
「昨日」
彼の声が震える。
「知らない奴に」
僕の身体が固まった。
「腕刺されて」
教室。まだ誰も意味を理解していない。でも、僕は分かってしまった。
「全員離れて!」
叫んだ。
「え?」
「いいから!」
朝倉が驚く。
「真白君?」
男子生徒の身体が大きく痙攣した。
「う、ぁ」
床。机。空気。全部。震える。
――来るぞ。
S。
(分かってる!)
爆発。いや、能力。何か分からない。でも、起きる。
「伏せて!」
その瞬間、男子生徒の周囲から。大量の金属が飛び出した。机。椅子。
ロッカー。
窓枠。教室中の金属が一斉に彼へ引き寄せられる。
「きゃああ!」
悲鳴。僕は朝倉を突き飛ばした。金属製の椅子がこっちへ飛んでくる。避ける?後ろ。
クラスメイト。
受ける。いや、
――考えろ!
Sが叫ぶ。
(分かってる!)
Momentum。飛んでくる物。運動エネルギー。受けるだけじゃない。僕は机を蹴った。机が滑る。飛んでくる椅子へ激突。衝撃。その一部が僕の身体へ伝わる。Momentum。溜まる。直接食らわなくても。
「できた……!」
――喜ぶな!
次。ロッカーの扉。速い。
(S!)
――代われ!
意識。切り替え。世界が遅くなる。S。身体を滑らせる。一つ。二つ。三つ。飛んでくる金属を避ける。でも、クラスメイトがいる方向へ向かう物だけは机を蹴る。椅子を押す。軌道を変える。
「邪魔だ!」
Sが叫ぶ。
「全員廊下出ろ!」
朝倉が動いた。
「みんな! こっち!」
生徒たちを廊下へ誘導する。
(助かる)
――後で礼言え。
Sが走る。教室の中心。男子生徒。金属に囲まれている。苦しそうだ。
「真白……」
彼が言う。
「助けて」
その声。胸に刺さる。昨日、僕を殴っていた奴。昔から。何度も僕に嫌なことをした。
――見捨ててもいいぞ。
Sが言う。僕は黙った。
――こいつはお前を殴った。
(うん)
――お前の物捨てた。
(うん)
――笑った。
(うん)
――今なら。
Sの声は静かだった。
――何もしなくても、誰もお前を責めねぇ。
僕は彼を見る。泣いている。怖がっている。僕と同じ。痛くて。どうすればいいか分からなくて。助けてって。言っている。
(S)
――何だ。
(僕)
少しだけ。迷った。
(許してないよ)
Sが黙る。
(昨日までのこと)
僕は自分でも驚いた。今までなら。
「別に気にしてない」
そう言っていた。でも、違う。痛かった。嫌だった。怖かった。
「やめてほしい」って。
ずっと思ってた。
(だから)
僕は言う。
(助けたからって、許すつもりはない)
Sが小さく。笑った。
――それでいい。
(でも)
僕は続ける。
(助ける)
――分かってる。
Sが前を見る。
――じゃあ。
「やるぞ」
僕たちは同時にそう思った。Sが加速する。Speed。金属の軌道を全部見る。全部避ける。いや、避けながら。位置を調整する。男子生徒の正面。
(今!)
――代われ!
交代。僕。Momentum。今まで机越しに受けた衝撃。床から伝わった振動。全部。溜まっている。能力を拳へ。
「うおおおっ!」
地面を殴る。爆発ではない。振動。教室の床を通して。金属全部へ一瞬、軌道が乱れる。男子生徒の集中が切れる。金属が床へ落ちる。
ガシャアアアン!
静寂。
「はぁ……はぁ……」
男子生徒が膝をつく。僕もその場に座り込む。
「真白……」
彼がこっちを見る。
「ごめん」
何に対する。ごめん?今のこと?昨日までのこと?分からない。僕はすぐには答えられなかった。だから、
「今は」
言う。
「助かってよかった」
それだけ。言った。許したわけじゃない。でも、見捨てなかった。その二つは両立していい。僕は初めて。そう思えた。その時、三枝先輩が教室へ飛び込んできた。
「真白君!」
「先輩」
「状況は」
僕は倒れている男子生徒の腕を見る。注射痕。三枝先輩も気づいた。表情が変わる。
「また……」
違う。今回。もっと怖い。高瀬さんは駅前。偶然の被害者に見えた。でも、今度は僕と同じ学校。僕と同じクラス。そして、僕と関係のある人間。
――狙われてる。
Sが言った。僕も同じことを思った。偶然じゃない。誰かが僕たちの周りへ人工覚醒をばらまいている。三枝先輩が低い声で言った。
「真白君」
「はい」
「今日から」
先輩は教室を見渡す。
「あなたの周囲を、重点警戒区域に指定する」
その言葉で僕ははっきり理解した。もう。能力者の世界が僕の日常へ入り込んできたんじゃない。逆だ。僕の日常そのものが能力者の戦いの中へ飲み込まれ始めていた。




