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えすえむっ!  作者: 角竜
君と、もう一周
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二周目のトンネル

校外学習の朝、鞄はいつもより軽かった。


 教科書の代わりに入っているのは、しおりと財布と飲み物、それから体調についての学校用の確認票だ。別紙にはSの文字も残っている。


『俺もトンネルを見る。二周目』


――何回確認すんだよ。


(忘れ物がないか見てるだけ)


――紙より財布見ろ。飯買えなくなるぞ。


 バスの座席で鞄を閉じると、隣の美月が窓から顔を戻した。


「S、もう起きてる?」


「朝からずっと」


「じゃあ、クラゲも忘れてないって伝えといて」


――お前も何回確認すんだよ。


 前の席から倉田が振り返る。


「着く前から疲れそうな班だな」


「僕、まだ何も言ってないよ」


「顔がうるせぇ」


 美月に笑われて、僕は窓の方を向いた。バスが曲がると、鞄の中で水筒が小さく転がった。



 最初の大水槽で、僕たちはしばらく動けなくなった。


 青い光の奥を魚の群れが流れていく。群れが向きを変えるたび、一匹ずつ光ったはずの鱗が、銀色の大きな布みたいにつながって見えた。


「あ、今の見た?」


 美月が僕の袖を引く。頭の上を、翼を広げたようなエイが通っていた。


「見た」


――腹、あんな顔なんだな。


(顔じゃないと思うけど)


 その先が、待っていた水槽トンネルだった。


 一周目は僕が表のまま入る。頭上まで水に囲まれると、足元の床だけが妙に細く見えた。魚の影が靴の先を横切り、見上げていた僕は危うく前の人へぶつかりそうになる。


――前も見ろ。


(見てるよ)


――上しか見てねぇだろ。


 注意しているSも、サメが横切った瞬間には黙った。僕は出口まで何度も首を上げ、外へ出たところでやっと息を吐く。


「どうだった?」


「もう一周したい」


「うん。それは知ってた」


 美月は笑って、次の展示の矢印を指した。


 クラゲの部屋では、水槽の淡い光が皆の顔まで青く染めていた。透明な傘が閉じたり開いたりしながら、ゆっくり上へ動いていく。


(どう?)


――遅ぇ。


(感想、それだけ?)


――さっきと同じ場所にいるぞ、あいつ。


「S、何て?」


「一匹、ずっと見てるみたい」


「気に入ったんだ」


――観察してるだけだ。


 美月へ伝えようとしたら、笑いが先に出た。暗い部屋では少し響いてしまい、僕は慌てて口元を押さえる。


 肩が重くなってきたので、休憩スペースへ向かった。途中、天井に畳まれた防火シャッターの下で、美月の歩みがわずかに鈍る。


「私、あっちの明るい通路から行くね。椅子のところで合流しよう」


「うん。僕もそっちでいい?」


「もちろん」


 先生へ伝えてから、案内図でつながっている方へ回った。少し遠回りだったけれど、その通路には小さな魚の水槽が並んでいて、美月は途中で二度足を止めた。



 椅子へ腰を下ろすと、担任が様子を見に来た。


 肩は少し重い。脛も張っているけれど、座ると落ち着く。僕がそう伝えると、先生はSの希望も確かめてから言った。


「交代したら、揺れが収まるまでここで休め。二周目は、その後で決めよう」


――行くつもりで休むからな。


(うん。でも、駄目なら言ってね)


 僕は背もたれへ身体を預け、Sへ任せた。


 視界が揺れ、遠くの話し声が少し響く。Sはすぐには立たず、水を一口飲んでから目を閉じた。美月も倉田も、隣の椅子で待っている。


「頭、まだ重い?」


 美月に聞かれ、Sが目を開けた。


「だいぶまし。肩は同じだな」


「じゃあ、ゆっくり行こう」


 先生へ声をかけてから、僕たちはトンネルへ戻った。


 Sは入口をくぐると歩幅を狭めた。前を歩く人との間を空け、天井の継ぎ目に沿って視線を動かす。


 さっきも見たサメが頭上を通った。


「でか……」


 思わず出たような声に、美月が振り返る。


「サメ好き?」


「別に」


「すごく見てるけど」


「でけぇから見てんだよ」


 Sはそう言いながら、サメが水槽の奥へ消えるまで動かなかった。僕にも同じ姿が見えている。ただ、自分ならそろそろ歩き出したかもしれない場所で、Sはまだ待っている。


(どう?)


――すげぇな。


 今度は内側に、小さな声が返った。


 出口で美月が時計を見ると、Sもすぐに覗き込んだ。


「もう一回いけるだろ」


「二周目は今ので終わったよ?」


「今のは下見」


(ずるい)


――お前も、さっきのサメもう一回見たいだろ。


 否定できずに黙ると、Sが少し得意そうに鼻を鳴らした。


 倉田がしおりを開く。


「売店を短くすれば間に合う。でも、これで最後な」


「分かってる」


 先生へ確認し、僕たちはもう一度入口へ戻った。Sは今度こそ立ち止まりすぎないように歩いたけれど、サメが来るとやっぱり少し足が遅くなった。



 帰り際の売店で、美月はクラゲのキーホルダーを選んだ。


 Sも、少し離れた棚の前で止まる。黒っぽいサメの、小さなキーホルダーが並んでいた。


(欲しい?)


――見てるだけだ。


(見学時間、ここにも使うんだね)


――うるせぇ。値段見てんだよ。


 財布を確かめたあと、Sは一つ取ってレジへ向かった。会計を済ませ、鞄につけたサメを美月が覗き込む。


「やっぱり好きなんじゃん」


「記念だよ」


「はいはい」


 バスに乗る前に休憩を取り、僕へ戻した。交代のあとの頭の重さに、今日は歩いた疲れも加わっていた。座席へ身体を預けると、すぐに眠ってしまいそうだった。


(楽しかった?)


――まあな。


(また来る?)


――来てもいい。


 僕は鞄のサメを指で揺らした。


「また来ようか」


 独り言を聞いた美月が、隣で顔を上げる。


「うん。次はもう少しゆっくり回ろう」


――四周。


(増えてるじゃん)


――お前も見たいだろ。


 返す言葉を考えているうちに、バスが動き出した。サメの尾が窓に当たり、小さく音を立てる。


 僕は鞄を少しだけ手前へ寄せた。Sはまだ、次に来る時の昼ご飯の話をしていた。


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