重なったあとで、失敗にされた
翌日の放課後、僕は玲奈先輩と管理局へ向かった。
学校からの道を急がなかったおかげで、肩も脛も朝よりひどくはなっていない。会議室へ入る前に一度椅子で休み、それから白峰主任と牧野さんの待つ部屋へ通された。
机の上にあるのは、端末と説明用の紙だけだった。
「今日は保存記録を読む。君たちの反応を取る機器はつないでいない」
白峰主任が言い、僕の方へ端末を向けた。
「途中で疲れたら止めていい」
「はい」
――分かったから、早く見せろ。
「Sも、見たいそうです」
「では、まずここから」
画面に二本の線が並んだ。M系統とS系統。それ以外に、対象者の名前は書かれていない。
「二つの出力が短く重なったことは、前に説明した。今回読み直せたのは、その前後の順序だ」
主任が横軸を拡大する。
M系統の線が先に立ち上がり、少し遅れてS系統も上がる。先の線はまだ下がっていない。二本が重なる区間の途中に、見覚えのある文字があった。
【COMMAND AUTHORITY:UNDEFINED】
命令権限が未定義。研究側が、この記録を失敗と評価した理由だった。
「これ、出力が重なってから出たんですか?」
「保存されている時刻では、そうなる。この時点で機械が命令権限を判定し、未定義と記録した」
――順番が逆じゃねぇか。
僕も、同じところを見ていた。
僕たちに提示された方式では、最初にどちらかを主へ置くはずだった。片方の身体操作を抑え、もう片方へ権限を集めてから、二つの出力を利用する。
けれど、この線が示す順番は違う。
「上下が決まったから二つ出せた、という記録ではないんですね」
「少なくとも、ここに残っている判定はそう説明していない。ただし、記録より前に何をされたかまでは分からない」
主任は僕の方へ向き直った。
「本人が望んで行ったのか、別の強制があったのか。そこは依然として不明だ。命令権限の表示が後に出たから、最初から最後まで自由だったとは言えない」
「身体への負担は?」
玲奈先輩が聞く。
「対応する記録が見つかっていない。測っていなかったのか、失われたのかも、まだ区別できない」
次の画面では、二本の線がほとんど同じ頃に下がっていた。その後に【RESULT:FAILED】が続く。
失敗という文字ばかりが大きくて、線が一緒に上がっている場所は、拡大しないと見落としそうなほど短かった。
――二つ出てるところより、どっちが偉いかの方が大事だったってことかよ。
Sの苛立ちは分かった。でも僕は、線の終わりから目を離せなかった。
「この二つが下がったのは、機械が失敗と判断したからですか?」
「その因果は分からない。本人がやめたのか、身体が耐えられなかったのか、装置が止めたのか。ほかの理由かもしれない」
僕は椅子へ背中を戻した。
手順が見つかったわけではない。まして、その通りにすれば僕たちにもできるという説明ではなかった。
それでも、線は二本とも上がっていた。
(S)
――ああ。
(ちょっと、嬉しい)
隠しておこうかとも思ったけれど、やめた。分からないことが残っているのも、危険があるのも知ったうえで、僕は嬉しかった。
――俺もだ。
短い返事が来る。僕は画面の重なった部分を、もう一度だけ見た。
◇
説明が終わると、牧野さんが確認用の紙を置いた。
「今日読んだ範囲はこちらです。新しい時間情報の説明を受けたことと、再現試験の話ではないことを記します。今後も、追加で読めた部分の説明を希望しますか」
「僕は、聞きたいです」
――俺も。ただ、いきなり何でも見せんなよ。
Sの言葉を伝えると、牧野さんは「伝言として受領」と書き添えた。S本人へ直接確認できる機会とは分けて残すのだという。
「そのために、今交代する必要はありません」
「分かりました」
主任が画面を閉じかけて、僕たちの顔を見る。
「期待させるだけの説明になっていないといいんだが」
「期待はしました」
思ったまま答えると、主任の手が止まった。
「でも、今日ここで試したいわけじゃありません」
「そうか」
主任はそれ以上勧めず、端末を閉じた。
最初に検査を受けた頃のことを思い出す。何が行われるか分からないまま刺激を受けそうになり、玲奈先輩が止めてくれた。今、机の上に何も準備されていないことは、僕にとって小さくない違いだった。
「今日はここまでにしましょう」
玲奈先輩が言うと、主任も頷いた。立ち上がった僕は鞄を持ち直し、来た時と同じ廊下へ出た。
◇
エレベーターを待っている間、Sが珍しく言葉を選ぶように話し始めた。
――本当に、上下を決めなくてもできるならさ。
(うん)
――やってみてぇな。
扉の金属に、僕の顔がぼんやり映っていた。笑っているほどではないけれど、来た時より少し顔が上がっている。
(僕も)
そう答えると、隣の玲奈先輩がこちらを見た。
「何か聞き忘れた?」
「いえ。また説明を聞く時で大丈夫です」
エレベーターが来た。先輩が開くボタンを押し、僕は急がずに中へ入る。
鞄の底で、しおりの角が指に当たった。明日は班の見学案を提出しなければならない。トンネルを二周して、クラゲを見て、休憩を入れたら、ほかの展示をどこまで回れるだろう。
――足りなきゃクラゲ削れ。
(まだ諦めてないんだ)
――じゃあ、移動を速くする。
(走らないよ。脛も痛むし)
――分かってる。お前が地図を逆さに見なきゃ、その分速ぇだろ。
(まだ迷ってないでしょ!)
思わず声を出して笑い、先輩にもう一度見られた。
どちらかを下へ置かなくても、二つの線は重なるかもしれない。知らないことはまだ多かったけれど、その可能性を持ったまま、今日は家へ帰れる。
僕は折れかけたしおりの角を、指でそっと戻した。




