二周目は、俺が見る
放課後、僕の机には水族館のしおりが開いたまま残っていた。
自由見学の相談をするため、美月が前の席の椅子を借りている。ほかの班員はもう帰ってしまったけれど、先生へ提出する見学案は明後日までだった。
――一周目、お前。二周目、俺。
(もう順番まで決まってるの?)
――お前も二周したいっつっただろ。
僕は別紙の余白に鉛筆を走らせた。トンネル展示を希望し、体調に問題がなければ休憩後にSも表へ出て見学したい、と書く。
美月がその文字を指で追った。
「じゃあ、私のクラゲは一周目のあとかな」
「二周目のあとだと?」
「Sが三周目って言いだす気がする」
――勝手に決めんな。
(言わない?)
――行ってみねぇと分かんねぇ。
「否定はしないって」
「ほら!」
笑い声を聞いた担任が、教卓からこちらへ来た。
「時間、足りそうか?」
「休憩をどこへ入れるか相談してました。Sも自分で見たいそうなので」
僕が別紙を見せると、先生は配置図のベンチの印を指した。
「ここなら班で待てるな。交代する時は先生へ声をかけること。体調次第では順番を変えたり、やめたりしてもいい」
「今、決めきらなくてもいいんですね」
「当日の体調まで今は分からないだろ」
あっさり返されて、僕は少し笑った。
Sの希望欄の横に「相談中」と書こうとすると、内側から声がする。
――それ、俺も書き足す。
(どこを?)
――二周目。
「本人も書きたいそうです。後で追記して持ってきます」
「分かった。今日、無理に済ませなくていいぞ」
先生はそれだけ言って教卓へ戻った。美月がしおりを畳む。
「じゃあ、とりあえずトンネル二回とクラゲ一回」
――なんでクラゲが確定してんだ。
(僕も見たいから)
――二対一かよ。
僕は笑って、二つの展示の間に休憩の印をつけた。
◇
帰る前に中庭へ出ると、学校との打ち合わせを終えた玲奈先輩が待っていた。校外学習の付き添いや連絡方法について、先生たちと相談してくれていたらしい。
ベンチに座って鞄を開ける。昼に買った焼肉パンは、ちゃんと潰れずに残っていた。
「まだあるよ」
美月が隣を覗き込む。
「僕、食べてないからね」
――当たり前だ。
先輩はパンより先に、僕の歩き方を見ていた。
「階段で痛みは増えた?」
「少し重くなりました。でも、座っていれば平気です。肩も鞄を下ろせば」
「頭は?」
「今は痛くないです」
先輩が頷いたところで、僕はSへ聞いた。
(どうする?)
――出る。書いて、食う。歩き回らねぇ。
「Sも出たいと言っています。座っているつもりだって」
「じゃあ、落ち着いてから始めて。戻る前にも休むこと」
僕は背もたれに身体を預け、美月へしおりを持ってもらった。
(任せるよ)
――おう。
手足の感覚が、一歩奥へ遠ざかる。視界が揺れ、Sがゆっくり息を吐いた。交代しても肩の重さは残ったままだ。
しばらくは誰も話しかけなかった。木の葉の擦れる音を聞きながら、Sは膝に置いた手の指を一度だけ開いて閉じる。
「……頭、少し重い。けど、もう揺れてねぇ」
「なら、そのまま座って」
「分かってる」
玲奈先輩へ答えてから、美月の持っている紙へ手を伸ばした。
「それ、貸せ」
Sは僕が鉛筆で書いた文章を読み、その下へ自分で一行加えた。
『俺もトンネルを見る。二周目』
(そこまで書く?)
――大事だろ。
「本当に二周目って書くんだ」
美月が笑い、Sが不満そうに見上げる。
「何だよ」
「楽しみにしてるんだなって」
「お前だってクラゲ、クラゲってうるせぇだろ」
「うん。楽しみ」
あまりに素直な返事だったせいか、Sはそれ以上言い返さなかった。紙を美月へ返し、代わりにパンの袋を受け取る。
大きくかじったあと、口の中へ肉の甘辛い味が広がった。冷めていてもおいしい。
(どう?)
――聞かなくても分かんだろ。
(味じゃなくて、君の感想)
Sはもう一口食べ、噛み終えてから答えた。
――うめぇよ。
僕が聞きたかったのは、その返事だった。
食べ終わってもすぐには戻らず、しばらくベンチで休んだ。美月は見学時間を計算し直している。Sが勝手に三周目を追加しようとして見つかり、しおりを取り上げられた。
「歩き回らねぇって言ったろ。紙の上くらいいいじゃねぇか」
「紙の上で増やすと当日も増えるでしょ」
僕は内側で笑った。
◇
僕へ戻したあとは、同じベンチでもう少し休んだ。こめかみの重さが引くのを待っていると、玲奈先輩が端末を確認する。
「白峰主任から連絡。古い二系統出力の記録に、追加で読めた部分があるそうよ」
思わず顔を上げた。
「誰のものか、分かったんですか?」
「そこはまだ。増えたのは、出力が立ち上がった前後の時間情報。説明を聞くか、日を改めるか聞いてほしいって」
――聞きてぇ。
Sの返事は早かった。僕も知りたかった。
二つの力が同じ瞬間に使えたら、と考えた時の期待は消えていない。だからといって、片方を黙らせる方式に賛成する気もなかった。
(明日にしようか)
――ああ。今日はもう頭使った。
(感想、一行だけだけど)
――二周目まで決めた。
「説明は聞きたいです。でも、今日は帰ります」
僕が言うと、玲奈先輩は日程を確認して端末をしまった。
「明日の放課後に調整する。今は立てそう?」
「はい」
ゆっくり立ち上がり、しおりを鞄へ戻した。はみ出した別紙を押し込む前に、Sの「二周目」がもう一度見えた。
「パン、おいしかった?」
帰り際、美月が聞く。
「うん。Sも、うまいって」
――俺の方は、さっき答えたぞ。
(今、僕にも聞いてくれたんだよ)
美月へ頷き返すと、Sは何か言いかけてから黙った。その代わり、明日は何を食べるかという、まだ気の早い相談を始めた。




