交代したからって、従ったわけじゃない
「水族館、希望多いって」
朝倉が掲示板の集計を指した。まだ決定ではなく、移動と予約を調整しているところらしい。
倉田は少し離れて紙を見上げた。
「俺は、行けりゃどこでもいい」
「それ、希望調査で困る答えじゃない?」
「行きたくねぇ場所は書いた。あとは任せる」
朝倉が、少し考えてから頷いた。
「じゃあ、ちゃんと答えてるね」
――俺は水族館。
(まだ聞いてないよ)
――念押し。
僕は笑った。希望を言っても、自分の望んだ通りに決まるとは限らない。それでも、どこへ行くかの相談が続いているのは嬉しかった。
◇
放課後、車との合流場所へ三枝先輩と歩いている途中、市民体育館の警報が鳴った。
先輩が僕を歩道の内側へ寄せる。入口では職員が利用者を外へ誘導し、別の人が消防へ通報していた。
搬入口の方から、重い金属音がする。
「倉庫側に一人残ってる! 扉が開かない!」
僕は動きかけて止まった。中へ走っても、何をすればいいか分からない。先輩が職員から状況を聞き、外の警戒班へ応援を求めた。
貸与端末には、共通の対象を検出したという監視報告が届いていた。
――またかよ。
Sが吐き捨てる。けれど、僕たちは画面を見続けなかった。
火や煙は見えない。搬入口では設備担当が通常の電源を落としていた。それでも、後から付けられたらしい補助駆動部が動き、内側へ倒れた台車を扉へ押しつけている。奥では収納棚が傾き、その下に職員の足が挟まっていた。
先輩は別の出口を確認し、到着した消防隊員へ引き継ぐ。隊員が支えを入れ、避難した人たちをさらに遠ざける声が重なった。
その途中で、搬入口から外れた小さな金具が床へ跳ねた。僕は下がったが、防護板の端を抜けたものが脛へ当たる。
「っ……!」
膝が折れかけ、近くの職員に腕を支えられた。新しい痛みと衝撃が、少量のMPになる。前に二の腕を打った時の分へ、わずかに加わった。
――足、言え。
「脛に当たりました。歩けます。MPも少しあります」
先輩は僕を壁の陰へ下げ、負傷した位置を確かめた。力があるなら使えとは言わず、まずそこにいろと指示した。
◇
台車の荷重は、消防の器具で支えられた。けれど、曲がった前輪が敷居へ噛み込み、抜き取る隙間が作れない。
その脇から、脚の付け根が見えた。
「僕がそこを少しずらせたら、引けますか」
僕は先輩と設備担当へ聞いた。大きな台を持ち上げる力はない。でも、重さを支えてもらった状態で、引っ掛かりだけを外すなら届くかもしれない。
「無理なら、別の器具を使う。一度で止める」
先輩が言った。隊員が支えを確認し、動いた後に固定する場所を示す。
僕は扉の下へ入らず、横から突き出した金属の脚へ掌を当てた。
Momentum。
持っていた分を、短い衝撃に絞る。金属が鳴り、前輪が敷居から外れた。すぐに職員が台を引き、隊員が固定具を押し込む。
「通路、空きました!」
僕は手を離して下がった。MPはほとんど残っていない。脛の痛みも、肩の重さもそのままだった。
奥へ入った隊員が、取り残された職員へ声をかける。棚を支える手が増え、別の避難口から搬出する準備が始まった。
ところが、その側の仕切りまで動き出した。
補助の駆動機構が、開けた通路を閉じようとしている。隊員が支柱を入れて止めたが、金属の腕はまだ固定具を押していた。
「この駆動だけ切れませんか!」
設備担当がカバーを外し、正規の電源とは別の配線を見つける。手動で切り離す金具も、変形して抜けないという。
――俺、出る。
Sが言った。
(SPはないよ)
――知ってる。道具が使えるなら、下の金具を外す。そのあと、奥の出口を開ける。
僕はそのまま先輩へ伝えた。先輩は消防隊員と確認し、Sが入る位置を、既に支えを入れた側へ限った。
「この通路から出ない。棚を一人で持たない。駄目ならすぐ戻る」
「はい」
僕は壁の陰へ座り、Sへ身体を渡した。
視界がずれた。Sはすぐには立たず、脛の痛みと足の置き方を確かめる。頭の揺れが収まってから、設備担当の差し出した工具を受け取った。
「壊していいのは、ここだけだな」
「後付けの駆動をつないでいる金具です。扉の重さは支えてあります」
Sは通常の速さで近づいた。工具を差し込み、肩だけで押さず、身体の重さを乗せる。最初は滑ったが、持ち直してもう一度引くと、変形した金具が割れた。
駆動の腕が空回りする。設備担当が配線を外し、隊員が固定を締め直す。
危険な機構へ与えた損害が、少量のSPになった。
「奥の出口、開ける!」
経路を確保していた隊員へ声をかけ、SがSpeedを使った。
短い加速で通路を抜け、内側にある非常開放のレバーへ届く。僕はその速さを内側で感じていたが、Momentumを重ねたりはしない。今、能力を使っているのはSだけだった。
レバーを下ろすと、出口の扉が開いた。外で待っていた隊員が固定し、担架を運び込む。
棚を支えるのも、挟まった足を抜くのも、複数の人の仕事だった。Sは倒れた小さな箱を通路の脇へ寄せ、担架の前を空ける。
途中で速さが切れた。Sが壁へ手をつく。
(あの人は、もう担架に乗ったよ)
――見えてる。
(急がなくていい)
Sは一歩ずつ外へ戻った。最後の隊員が出たあと、後付け機器の残る給電も切られ、体育館の中から駆動音が消えた。
◇
外へ出ると、Sは自分から椅子を求めた。
「水も」
先輩が渡し、医療側が脛と腕の状態を確かめる。SPは使い切っていた。僕のMPもほぼ残っていない。今すぐ代わっても、元気な方が出てくるわけではなかった。
「話は、まだ聞かなくていい」
先輩に言われ、Sは頷いた。
しばらくして、救助された職員が意識のある状態で搬送されたと聞いた。Sが長く息を吐く。僕も、内側でようやく緊張を緩められた。
白峰主任からの説明を聞いたのは、そのあとだった。
外の観測機器が拾った二系統の反応は、同じ救助の記録へまとめられていた。順番はMからS。出力が同時に重なった記録ではない。
ところが、分類は違った。
【PRIMARY CANDIDATE:M】
【SECONDARY OUTPUT:S】
Sの指が、ペットボトルの側面を押した。
「違ぇよ」
『どの部分か、君の言葉で聞いていい?』
「俺は、湊に使わされたんじゃねぇ。あいつの仕事が終わったから、俺が次をやった」
(僕も、Sの能力へ命令してない)
Sが僕の言葉も伝える。主任はそれぞれ、誰がそう答えたかを添えて記録した。
画面の分類は、それで直るわけではなかった。主従のモデルと適合すると、保存された処理が結論を出している。
同じ人を助けるために、順番に動いた。争わなかった。その結果を、一人がもう一人の力を使ったことへまとめていた。
(S。助けたせいで、材料が揃っちゃった)
僕が言うと、Sはすぐ答えた。
――助けなきゃよかった、にはすんなよ。
(しない。でも、嫌だ)
――俺も嫌だ。だから、あれと一緒にさせねぇ。
Sが画面へ顔を向けた。
「交代したからって、従ったわけじゃねぇ。それは残せ」
主任が頷く。
その向こうでは、体育館で回収した機器の報告が進んでいた。観測結果の送り先が、今まで追っていた経路とつながり始めたという。
人を助けたことまで、取り消さなくてよかった。
僕はSが水を飲むのを感じながら、次の話を聞く前に、もう少し休もうと頼んだ。




