違う答えを、喧嘩にするな
「今日はカレーパン」
――肉。
(昨日も肉だったでしょう)
――昨日は生姜焼き。今日はパンだ。
翌日の購買前で、僕はカレーパンと焼肉パンを交互に見ていた。登校には付き添いがつき、学校の周囲も再点検されている。全部を心配せず歩けるわけではないけれど、今目の前にある問題は昼ご飯だった。
朝倉が列の横から覗き込む。
「まだ決まらない?」
「意見が割れてる」
「半分ずつ食べれば?」
僕とSが黙った。
――それだ。
財布を開く。考えていた解決は、硬貨を数えたところで使えなくなった。
「一個しか買えない」
朝倉は笑いを堪えて口元を押さえた。僕はカレーパンを手に取り、Sへ明日は焼肉パンにすると言った。
――明日、売り切れてたら?
(早く来る)
――覚えとけよ。
約束が一つ増えた。そんなものまで怖い記録の話へ結びつけずに済むくらい、今日のカレーパンは普通においしかった。
◇
支部の相談室へ着くと、白峰主任は駅前の現場写真を先に見せた。
不正な送出部は駐輪場の開閉器から外されていた。柵や案内板については、取り付け状態や作業の記録を調べ続けている。すべてを同じ犯行と決めた報告ではなかったが、機器を一つ止めたことは写真でも確認できた。
そのあと、例の文字が出た。
【FORCED DIFFERENTIATION】
「古い試験手順に、同じ呼び方があった。そこで分けていたのは、二系統の反応だ」
「人格を切り離す、という意味じゃないんですか」
「その処置を示した用語とは、今のところ確認できていない。ただし、安全な手順という意味でもない」
Sの気配が少し緩んだ。僕も、椅子の上で固めていた指を開く。
主任が古い記録を進めた。対象名は欠けたままだが、試験で与えた要求が読めるようになっている。
最初の要求は、前へ進め。二系統とも同じ方向の運動要求を返し、研究側は区別に失敗したと記録していた。
次は違った。
【M-TASK:HOLD】
【S-TASK:ADVANCE】
一方には止まれ、もう一方には進め。同じ身体へ、逆の要求を同じ時間に与える。
――喧嘩させてんじゃねぇか。
僕がその言葉を伝える前に、映像ではない動作記録の線が乱れた。身体は途中で止まりかけ、わずかに前へ進んでいる。
S側の要求を実行。M側の要求を抑制。そして、主となる候補はS。
「S側が強かった、という試験なんですか」
「その比較に使ったらしい。ただ、違う内容の要求を出している。どちらも同じ条件だったとは言えない」
主任は、動いた距離ではなく手前の二つの指示を囲んだ。
「止まれと言われて止まろうとしたことを、動かせなかった側と呼ぶんですね」
口にしてから、腹が立ってきた。
同じことをしたい二人を見つけ、わざわざ逆の要求を与える。争いが起きれば、その結果を二人ではうまくいかない証拠にする。
三枝先輩が腕を組んだ。
「衝突させて、通った方を優先する。その方法自体の問題を、対象の問題へ移してる」
僕は昼のパンを思い出した。僕たちは実際に違うものを食べたかった。だから今日と明日で分けたのであって、どちらの希望も変わらない時にまで争う理由はなかった。
◇
試験記録の続きには、二系統を同時に扱う前に、優先する側を定めるという指示があった。
「衝突を避けるために、先に主従を作る」
主任が読み上げた。
そのあとに並んでいたのは、従となった側の運動要求を遅らせ、身体を動かす経路を遮断する設定だった。けれど、最後の一つだけは逆になっている。
【SECONDARY ABILITY OUTPUT:PERMITTED】
「能力だけは、通す……?」
僕が聞くと、主任は頷いた。
「そういう設計だ。ただ、この設定があることと、狙い通り二能力を使えたことは別だよ」
Sが黙った。僕も画面を見たまま動けなかった。
一人が身体を動かす。もう一人には動かさせない。それでも力だけは、必要な時に使えるように残す。
D-01の白い仮面と、その下から聞こえた声を思い出した。似た考えで扱われた人かもしれない。けれど、その人のすべてをこの記録で説明することもしたくなかった。
「このために、D-01さんへ確かめることは?」
「しない。治療中の本人へ再現させるために読んでるんじゃない」
三枝先輩が答えた。
牧野さんは、本人について現在確認している情報と、研究側が付けた完成という評価を別々に置いた。その二つをつなげる新しい線は引かれなかった。
――二つ使えても、こういうのはいらねぇ。
Sの声がした。
僕はすぐに頷きたかった。けれど、速く動きながら衝撃を使えるかもしれないと思った時の、あの期待も覚えている。何も惜しくないと言えば、それは嘘になる。
それでも、しばらく考えてから同じ返事になった。
(僕も。君の声を止めてまで、使いたくない)
――考えたな。
(考えたよ)
――なら、その答えでいい。
僕は主任へ二人の希望を伝えた。この方法の検証へ、自分たちを使ってほしくない。先ほど読んだ設定と対応させて残してほしいと頼むと、牧野さんが説明内容も一緒に保存した。
同じ拒否を、何の説明もない丸だけにはしなかった。
◇
外部監視班から来た次の報告には、反応を区別する準備が整い、刺激の組を探しているという表示があった。
三枝先輩はすぐに別の端末を取り、登下校の付き添いと、危険を見つけた時の退避先を確認した。こちらから刺激の候補を探しに出るという話にはならない。
僕は一つだけ聞いた。
「僕たちが違うことを言い始めたら、それも材料になるんでしょうか」
「なるかもしれない。だからといって、意見を同じにする必要はない」
先輩は答えた。
「周りへ頼むことも含めて、実際の危険に対処する。向こうの採点のために、二人の話し方を変えない」
帰りの車へ向かう途中、Sに明日のパンを忘れるなと言われた。
(覚えてるよ。君が明日カレーパンに変えても、買い直さないからね)
――変えねぇよ。お前だろ、そういうの。
言い合っても、身体の奪い合いにはならなかった。僕は階段を急がず下り、踊り場で一度肩の力を抜いた。
明日の予定は決まっている。その先まで、どちらが上か決める必要はなかった。




