欲しい返事が出るまで、試すな
「今日こそ図書室、寄れる?」
朝倉に聞かれ、僕は放課後の予定を確かめた。検査はない。帰宅は警戒担当の職員と駅前で合流することになっていて、そこまでの時間なら学校にいられる。
「行ける。あまり遅くはなれないけど」
――飯までには帰れよ。
(分かってる)
「夕飯まで?」
朝倉にも言われ、僕は顔を上げた。
「何で分かるの」
「だいたい言いそうだから」
Sが不満そうに黙る。教室を出る時、倉田が厚い本を持ってついてきた。
「返却、受付でいいんだよな」
「うん。僕に預けないでね」
「まだ頼んでねぇだろ」
図書室で倉田は本を返し、僕たちは窓際へ座った。朝倉が時計を見るまで、端末が鳴ることはなかった。
借りた本へしおりを挟んで閉じる。続きを家で読むつもりで、僕は彼女と別れた。
◇
駅前に着いた時、合流予定の職員が案内所の前に見えた。僕がそちらへ歩きかけたところで、金属の倒れる音が広場に響く。
工事用の柵が一枚、横倒しになっていた。
作業員がすぐに駆け寄り、親子連れを下がらせる。二枚目が揺れたが、別の人が脚を押さえ、通路から人を離した。僕は途中で止まった。
――もう手がある。
(うん)
そこへ合流した職員が、僕を広場の外側へ誘導する。貸与端末には、監視班から共有された異常信号の通知が届いていた。
三枝先輩からの電話を取る。
『怪我は?』
「ありません。柵は作業員さんが止めました」
『近づかないで。担当者とそのまま退避して』
頷いたところで、駐輪場の精算機が鳴った。通行用のバーが途中まで動き、自転車を押していた人が驚いて後退する。
付き添いの職員が駅員へ声をかけた。駅員は出入口を閉じ、別の通路へ人を誘導し始める。僕たちは機械の前を通らず、案内所の裏へ回った。
「柵と、この機械……同じ原因ですか」
通話へ加わった白峰主任が答えた。
『今は一つにしない。柵の固定と、駐輪場の操作記録は別々に調べる。君は場所を離れることを優先して』
受信記録には、M側の能力反応を取れず、S側を待っているという判定があった。
僕は力を使っていない。新しく衝撃を受けてもいない。二の腕を打った時のMPは少し残っているが、今それを使う仕事はなかった。
――俺が出なきゃ、ずっと待ってんのか。
(出たい?)
――待たせとけ。今は出る理由がねぇ。
その返事を伝える前に、表示が時間切れへ変わった。
【ALTERNATIVE ACQUISITION:START】
別の方法で取得する。
見たくない文字だった。僕は画面を伏せ、職員の背中から離れないよう歩いた。
◇
古い案内板が傾いたのは、広場の外へ出る直前だった。
壁際の金具が外れ、板の端が下がる。下では男性が自転車の鍵を探していた。さっきの親子も、遠回りしてそこへ近づいている。
「板が落ちます! 離れて!」
声が出た。職員が親子を通路の内側へ引き、男性も振り向いて下がる。僕は板の下へ走らず、近づきかけた人へ両手で合図した。
板は歩道の端へ落ちた。大きな音がして、辺りの人が一斉に止まる。
「当たった人は?」
職員が聞いた。周囲から、いないという声が返る。それを確かめても、僕の鼓動はすぐには静かにならなかった。
片手を上げたままだったことに気づいて下ろすと、端末へ次の観測報告が届いていた。
【M MOTOR RESPONSE:CONFIRMED】
優先値の上昇。その下には、S側の反応を求める要求。
「声を出しただけです」
僕は通話へ言った。
『外から見える動作を、応答として拾ったらしい。声か、腕の動きか、どこを使ったかはあとで分ける』
――ふざけんな。
Sが低く言った。
――何もしねぇようにさせてぇのかよ。
僕にも、その気持ちは分かった。動けば材料にされる。動かなければ、もっと危ない状況を探されるかもしれない。どちらでも相手の試験から出られないように思える。
「人に声をかけたら、また点が増えた」
『必要な避難や呼びかけを、機械の点数のためにやめないで』
主任が言った。
『拾わせない工夫と、拾われた記録への対処は、こちらが進める。動いた君の責任にしない』
僕は顔を上げた。職員が少し先で待っている。その向こうでは、警察官と駅員が広場へ入り、倒れた板の周囲を空けていた。
「お願いします」
誰に向けた返事か、自分でも少し曖昧だった。それでも、僕は待ってくれていた人の方へ歩いた。
◇
迎えの車は広場の外で止まった。
ドアを開けた三枝先輩が、僕と付き添いの職員を順番に見て、怪我がないことを確かめる。後ろでまた音がして、僕は振り返りかけた。
「倒れた板を回収してる。現場からの連絡」
先輩の説明で足を止めずに済んだ。音がするたび、全部を確かめに戻ってはいられない。
車へ乗ると、主任から短い続報が入った。
『駐輪場で、正規の操作とは違う命令を開閉器へ渡す後付けの送出部が見つかった。現場が切り離している』
「じゃあ、全部が事故ではないんですね」
『少なくとも、その設備には不正な操作の経路がある。柵と案内板の原因は、引き続き別に調べる』
何も分からないままではなかった。一つの機械が、実際に人の通る場所を動かしていた。その機械を止めている人も、今はいる。
Sが内側から訊いた。
――撮ってた方は?
伝えると、観測用らしい機器も回収を進めていると返った。そこから送られた比較値は、Mが六十二、Sが三十八。人間としての何かを正確に量った数字ではなく、相手が判定に使う内部の値だという。
僕は数字の桁より、その下の行を見ていた。
【FORCED DIFFERENTIATION:PREPARE】
「強制的に……分ける?」
喉が詰まった。Sの返事が急に気になり、呼びかけそうになる。
『何を分ける処理かは、まだ決めない。古い記録の用語と照合する』
主任が言い、先輩は端末を伏せた。
「今日は、ここから先を読まなくていい」
僕は座席へ背を預けた。図書室で借りた本が、鞄の中で肘へ当たっている。
(S)
――いる。さっきからいる。
(……うん)
――帰ったら本読むんだろ。
僕は鞄へ手を置いた。しおりを挟んだ場所を、まだ覚えていた。
「帰りたいです」
先輩へ言うと、短く頷いてもらえた。窓の外の広場では、僕たちを追いかけず、現場へ残る人たちが作業を続けていた。




