手を動かした方が、決めたわけじゃない
「じゃあ、真白君が書記ね」
朝倉に紙を置かれ、僕はペンを持ったまま聞き返した。
「どうして僕?」
「字が読めるから」
「褒めてる?」
「倉田よりは」
「聞こえてんぞ」
向かいから声が飛んだ。今日は文化行事で使う教室の配置を、班で考える時間だった。机を何台入れるか、入口と出口をどう空けるか。相談した内容を一枚の図へまとめる。
――俺が書くか。
(紙に穴を開けないでね)
――先に悪口から入んな。
僕が笑うと、倉田が紙を指した。
「そこ、入口のすぐ前に机置くなよ。人が詰まる」
朝倉も頷き、通路を太く描く。僕はその隣へ席を並べたが、車椅子でも通れる幅を残してほしいという先生の説明を思い出して、二本の線を消した。
「一個減らす?」
「こっちへ寄せりゃ残せるだろ」
倉田がペンの逆側で空いた場所を示す。
――出口の方、椅子引いたら塞がるぞ。
Sに言われ、僕は自分の案をまた消した。
「こっち、一列減らします。Sが、椅子を引いたら通れなくなるって」
「それ先に言えよ」
「今教えてもらったんだよ」
線を描き直すうち、紙は消し跡だらけになった。最後に持っていくと、担任が図を見て僕へ聞く。
「真白の案か?」
「班で決めました。Sも一つ気づいてくれて」
先生は欄外へ、提案した人たちの名を書き足した。研究のことを説明する必要もなく、その一言で済んだ。
席へ戻る途中、Sが言った。
――俺の字の方がきれいだったな。
(図の出来を見てよ)
――線も曲がってる。
紙を提出したあとで言わないでほしかった。
◇
次の検査日に支部へ行くと、机の端に撮影器の写真が置いてあった。
学校の窓を向いていた小さなレンズ。正規の設備とは別に取り付けられ、電源も通信部も自分で持っていたという。誰が置いたかは、出入りの記録と周辺の映像を警察が調べていた。
「保存されていた映像は、学校で確認した動きと合う。台が動き、君が横へ回り、二人が止めたところまで」
白峰主任が説明した。
「必要な部分だけなら見られる。今は文字の記録だけでもいい」
僕はSへ聞き、まず映像を短く見せてもらうことにした。自分の動きが映っていると知ったまま、想像だけで怖がり続ける方が嫌だった。
画面の僕は、思っていたより大きくよろめいていた。倉田が取っ手をつかんだあと、僕はすぐ下がっている。先生の手が入る位置も見えた。
――そこ。離したから挟まれずに済んだ。
(うん)
怖かった。でも、見続けるのはそこまでにした。主任は希望した位置で再生を止め、解析側の欄だけを残す。
【INTERNAL INFLUENCE:UNVERIFIED】
「内側の影響が、未確認」
「撮影した動きだけでは、S君がどこまで判断へ関わったか決められない。ただ、この項目は最初から用意されていた。君たちの話を聞いて追加されたわけではない」
昨日こちらがSの声を説明したから、向こうもそれに気づいた。そう考えかけていたので、僕は息を吐いた。
機械は会議室の会話を聞いていない。それでも、外から見た僕の動きを、すでに決めた欄へ入れようとしていた。
◇
古い研究資料にも、似た区別が残っていた。
決定の元になる要求は複数。身体の動作を実行する側は一つ。二つの欄を分けて記録してから、意思決定の遅れを評価する処理へ送っている。
「書いた人と、決めた人を分けるみたいですね」
学校の図の話をすると、牧野さんが頷いた。
「書記の筆跡だけを残したら、その人が全部決めたように見えることはありますね」
「僕の図、消した跡だらけでした」
「変えた理由は?」
「入口が狭いとか、椅子を引くと通れないとか」
「そこまで残っていれば、描き直しが全部無駄だったことにはならない」
牧野さんは研究記録へ戻り、結果を確かめる欄を探した。技術班の人も検索したが、今読めている評価形式には、速さと要求の数、同じ反応が続くかどうかしか見つからなかった。
――何守れたか、興味ねぇのか。
Sの声を伝えると、主任は少し黙った。
「今見えている評価表にはない。それ自体は、重要な欠落だね」
「遅かったせいで危ない時も、あるんですよね」
僕が言うと、先輩はすぐ頷いた。
「ある。だから訓練では安全も速さも確かめる。でも、速ければ何をしてもいいわけじゃない」
「全部の場面を、この表だけで決めようとするのが違う」
「そう」
僕は学校の図を思い出した。最初の線へ戻せば、提出は早かった。でも、入口は狭いままだった。
主任は記録の端へ、今分かったことと、まだ読めない部分を分けて書いた。期待に都合のいい欄だけを拾えば、僕たちも同じように誰かを見落としてしまうのかもしれない。
◇
撮影器には、観測結果を送った先の記録も残っていた。
一つではない。同じ結果を複数の経路へ複写し、次の試験へ回す形式だった。どの番号が実物の機器に対応するのかを、現場の図面や別地域の回収記録と照合している。
「一個取ったから、全部止まるわけじゃないんですね」
「止めたものは、もう記録を増やせない。けれど、外へ渡った分は別の場所で使われるかもしれない」
主任は線を三本描き、途中で行き先が確かめられない箇所を点線にした。
三つの建物を見つけた地図ではない。まだ道の途中だった。それでも、昨日までなかった曲がり角が一つ見えた。
最後に開いたのは、撮影器が停止する前に受け取っていた要求だった。
【SEPARATE RESPONSE:REQUIRED】
別々の反応を必要とする。その用途は、優先順位の決定。
「どっちが考えたか分からないから、別々に取り直す」
僕が読むと、Sが舌打ちした。
――本人に聞け、とは言ったけどな。
(上と下を決めろ、とは言ってない)
相手を区別することは、その人の返事を大事にするためにもできる。どちらを従わせるか決めるためにも使えてしまう。
僕は画面へ手を伸ばさなかった。今日の説明を聞いたことと、その要求へ答えることを混ぜたくなかった。
「僕たちの話した内容は、調査に使って大丈夫です。ただ、相手の質問への返事として送らないでください」
Sにも確認して伝えると、主任は頷いた。
「こちらの行動記録として扱う。新しい反応を取る実験には使わない」
帰る時、牧野さんは僕の腕が上がりにくいのを見て、説明の紙を鞄へ入れるか聞いてくれた。僕はお願いしますと答えた。
手を動かしたのは牧野さんだった。それでも、その紙を持って帰ると決めたのは僕たちだ。
鞄の口を閉めてもらってから、僕は立った。学校で提出した図には、もう一度描き直す時のために、班のみんなの名前が残っているはずだった。




