先に動いた方が、主じゃない
機材台の車輪が鳴った時、僕は掃除道具を片づけていた。
「真白、そっち!」
倉田の声に振り向く。視聴覚室の前に置かれた台が、廊下の傾きに沿って動き始めていた。その先では、段ボールを抱えた下級生が、僕たちに背を向けて歩いている。
「台が来ます! 壁の方へ!」
声を出してから、僕は台の横へ回った。
――正面に入んな。右から!
Sの声で足の置き方を変える。下級生が顔を上げ、段ボールごと壁際へ寄った。僕は台の横の取っ手へ手を伸ばしたが、車輪が床の継ぎ目を越え、予想より強く腕を引かれる。
肩が痛んだ。
――離せ!
反射的に握り直しかけた指を開く。その時、張り出した縁が二の腕へ当たった。硬い痛みと新しい衝撃が、小さなMPになる。
「離れろ、真白!」
倉田が反対側の取っ手をつかんだ。近くにいた先生が車輪へ止め具を差し込み、台を壁から離して固定する。僕は手を出し直さず、下級生を台から遠ざけた。
止まった車輪を見て、ようやく息ができた。
「大丈夫?」
下級生は何度も頷く。落とさずに済んだ段ボールを、胸へ抱え直していた。
先生が僕を見る。
「腕を打ったな。保健室へ」
「はい。肩も、さっきより痛いです」
倉田はまだ取っ手を持っていたが、先生が固定を確かめると離した。
「行けよ。こっちは止まってる」
「……ありがとう」
倉田は頷くだけだった。急に近づかれると、今も身構えてしまう。それでも、今日手を貸してもらったことまで、なかったことにはしたくなかった。
◇
保健室で診てもらい、肩と二の腕を冷やしていると、朝倉が鞄を持ってきた。
「荷物、ここでいい?」
「ありがとう」
「窓から、すごい勢いで先生が来るの見えたよ」
「僕も、先生が来てくれなかったら止められなかった」
――だから身体で止めようとすんな。
(途中で離したでしょう)
――そこはよかった。その前が駄目だ。
朝倉が僕の顔を見て椅子を引く。
「反省会?」
「採点されてる」
「何点?」
(何点?)
――点数つけろとは言ってねぇ。
「点数は出ないらしい」
朝倉は笑ったが、僕の腕には触れなかった。代わりに落ちかけていた鞄の紐を、椅子へ戻してくれる。
学校側の確認では、台の車輪がきちんと固定されていなかったらしい。能力の暴発も、台を動かす不審な装置も見つかっていない。先生は搬出中の物を廊下へ置く手順も見直すと言っていた。
僕は安心しかけた。その時、貸与端末に三枝先輩からの連絡が入る。
【事故とは別に、確認したいことがある。そのまま学校にいて】
画面を読んだ途端、朝倉へ何も説明していないのに笑いが止まった。彼女は鞄を僕の届く位置へ寄せる。
「先生、呼んでくるね」
僕は頷いた。
◇
三枝先輩が来てからも、支部へは移動しなかった。学校の応接室で肩の状態を確かめ、そのまま白峰主任と通話することになった。
先輩が見せたのは、外部の受信班から来た記録だった。僕の端末に敵が入り込んだものではなく、管理局側が確認用に送ってきた複製だ。
「事故があった時刻の近くに、この照会が出ている」
【ACTIVE:M】
動作の反応時間らしい数値と、S側を検出できなかったという欄。そのあとに、Mを優先候補とする判定が続いていた。
『時間の基準は相手機器が最初に何かを検知した瞬間らしい。君が危険に気づくまでの長さ、とまでは読めない』
主任が先に言った。
「僕が動いたのを、どこから見たんですか」
「窓の外から廊下が見える位置で、正規の設備ではない撮影器が見つかった。警察と分離してるところ」
先輩は地図を僕へ押しつけず、該当する窓の向きだけを示した。台を動かした装置が見つかった、という話ではない。事故を別の目的で記録した機械があった、という話だった。
僕は応接室の窓を見た。カーテンが引かれている。それでも、その向こうがさっきまでとは違う場所に思える。
「Sも、そこにいました」
口にすると、すぐ内側から返事が来た。
――当たり前だ。
「右から行けって言ったのも、離せって言ったのもSです」
先輩は頷いた。
「こちらはそれを記録する。ただ、外の機械に内側の会話まで見えていた証拠はない」
画面には、Sの応答を待ったあと、時間切れになった記録があった。そしてMを暫定の主とする表示。
身体を動かしたのは僕だった。取っ手から手を離したのも僕だ。でも、Sの声を聞かなければ、違う動きをしていたかもしれない。
その部分だけが、何もなかった欄になっている。
――俺が出りゃ、直せんのか。
Sが低く言った。
(出たい?)
すぐには返事がなかった。僕は、その間まで急かしたくなっている自分に気づく。
――こいつの点数を直すためには、出たくねぇ。
(僕も、それは嫌だ)
「表示を確かめるための交代はしません」
主任へ伝えると、『分かった』と返った。
『今の君たちの反応を増やさず、回収した機器から調べる。どう見たかと、どう決めたかを分けたい』
◇
少しして、撮影器の通信を切り離したと報告が来た。学校側では、その方向の窓を使わないよう案内し、周囲の設備を再確認している。
「これで、あの表示も消えますか」
『外へ送られた記録まで消えるとは限らない』
主任は、安心できる方だけを言わなかった。
『暫定の判定が、次の機器へ渡される可能性がある。そこも追う』
間違っていると僕たちが知っていれば、それで済む話ではない。間違った判定を使う機械が、まだどこかにあるかもしれなかった。
僕は冷却材を持ち直した。二の腕へ当たった時に得たMPは少し残っているが、ここで使う理由はない。古い肩の痛みが続くからといって、必要なだけ増えるわけでもなかった。
「今日、止めたのは僕一人じゃありません」
通信へ言う。
「Sが見ていて、倉田と先生が止めてくれました。僕は途中で手を離しました。それも、残してください」
『分かった。出来事の順番から記録する』
僕はその答えを聞いて、ようやく椅子へ背を預けた。
端末にはまだ、僕を主と呼ぶ文字が残っている。間違ったままの名前の下で、撮影器との通信時刻だけが止まっていた。
一つは、もう僕たちを見ていない。
そこから先は、記録を受け取った誰かへ届く道を探す必要があった。




