先に答えた方が、上じゃない
避難訓練で最初に足を止めたのは、列の先頭にいた倉田だった。
中央階段の手前には、通行できないという想定の札が立っている。今日はいつもの道が使えない場合も確かめる、と説明されていた。
「東なら行けるだろ」
倉田が言い、何人かがそちらを向く。担任はすぐには頷かず、連絡を受けていた別の先生を呼んだ。
「東は出口の点検で使わない予定です。西の経路を確認済みです」
「じゃあ西へ。急がずに進め」
先生の声で列が動き直す。倉田は肩をすくめ、僕の前へ戻った。
「悪い。違った」
「先生が確かめてから動いたし」
「俺が先に言っただけだろ。道作ったわけじゃねぇ」
その言い方がおかしくて、僕は笑った。朝倉は別の先生と、シャッターを通らない経路で先に校庭へ向かっている。全員が同じ方向へ歩いていなくても、集まる場所は分かっていた。
合流すると、朝倉の第一声は「遠かった」だった。
「でも、今日は途中で戻らなくて済んだ」
「こっちは倉田が道を決めかけた」
「委員長になったの?」
「なってねぇよ」
本人が聞こえる位置から答えた。朝倉は笑い、先生へ使った経路を報告しに行く。怖い道を通れるようになったわけではなくても、彼女には今日通れた道が一つ増えていた。
◇
放課後、支部で見た画面には、仮の返事が二つ並んでいた。
片方をM、もう片方をSと名付けた試験用のデータ。同じ内容を用意し、到着する順番だけを変える。外部へはつながらず、人体へ刺激を出す部分もない。
最初はMを一秒早く届けた。
【PRIMARY CANDIDATE:M】
順番を逆にすると、候補の文字もSへ変わる。
――早押しクイズかよ。
「先に答えた方を主にするんですか」
「まず候補に置く。このあとに、継続して同じ側が応答するかを調べる処理がある」
白峰主任が続きを示した。すぐ返事が届き、変更されず、繰り返し同じ側から入力されるほど値が上がる。保留や訂正は、優先を下げる材料として扱われていた。
「遅れた理由は、見てないんですね」
「この計算には入っていない。そもそも通信が遅れただけでも順番は変わる。人が考えた長さを、そのまま測っているわけでもない」
僕は二つの候補を見比べた。どちらの内容にも違いはない。それなのに、何度か同じ順で送ると、片方が主、もう一方が従の欄へ固定された。
(僕が聞いてから君が答えたら、君は遅い方になるのかな)
――聞かれてねぇことに先に答えろってか。無茶だろ。
「それに、考え直すことも減点になるんですよね」
牧野さんが、訂正を入れた試行を残した。
「この処理ではそうです。ただ、本人確認の担当が使う評価ではありません」
「分かってます。でも……」
小日向さんが、まだ参加を決めていないと言った時の顔が浮かんだ。M-32さんも、見たくなかった記録を後から少し見たいと希望した。変わったことが、頼りにならない証拠になるのだろうか。
主任は、僕が黙った先を勝手に言わなかった。技術班へ頼み、最初に届いた返事をあとから訂正する試行をもう一度行う。
内容が危険を避けるものへ変わっても、値は下がった。
「相談の結果がよくなったかは、判定に入っていない」
主任の言葉に、僕は校庭へ回った道を思い出した。倉田の案を変えても、倉田を列の下へ並べ直す必要はなかった。
◇
「古い研究でも、同じ計算をしたんですか」
僕が尋ねると、主任は二つの記録を離して置いた。
「一致は確認できていない。似ているのは、複数の要求を調整する前に、通す側を固定する考え方だ」
三枝先輩が画面を指す。
「同時には通せない道なら、順番を決めることはある。でも、一度先を歩いた人へ、その後の全員の行き先まで任せる必要はない」
「今動く順番と、ずっと決める権利が、同じ欄なんですね」
「この処理は、そこをまとめようとしてる」
僕は自分の手を開いた。Sと話してから動かせば、外からは僕が迷ったように見えることがある。逆にSが表なら、僕の返事を待っていても、Sの沈黙にしか見えないだろう。
その時間を全部、取り除くべき遅れとして見られるのは嫌だった。
「高い点数を取ろうとしたら、相手に聞かない方が早い」
――じゃあ取らねぇよ。
Sの返事は短かった。それだけで済ませたことが、少し羨ましくもなる。
(気にならない?)
――気に入らねぇ。けど、俺らが合わせる理由にはならねぇだろ。
僕は頷いた。気にしないのではない。腹が立っても、点数を上げるために暮らし方を変える必要はないのだ。
牧野さんが説明の控えを差し出した。僕が受け取ってからSにも聞き直そうとすると、先に声が返る。
――今の説明は聞いた。紙は持っとけ。
「Sも聞いたそうです。今日はここまでにしたいです」
「では、新しい質問は次にしましょう」
牧野さんは、同じ拒否をもう一度言わせるための画面を開かなかった。今の希望を一行足し、説明を終える。
◇
帰宅の車を待つ間、技術班から続報が届いた。
現地で回収した処理には、仮の返答を扱う部分とは別に、外から観測した行動を同じ比較欄へ入れる入口があった。どの動作を、どの型の応答として扱うかは、まだ調べている。
「署名を返さなくても、身体が動いたら答えたことにするかもしれないんですね」
「その危険を調べている。だからといって、君たちが動いて見せる必要はない」
主任はそう言い、先輩へ監視側の変更点を渡した。
学校や通学路で不審な設備を探す仕事は、外の班へ割り振られていく。まだ見つかっていないものはある。それでも、見つけるために僕が毎日身体を試す必要はなかった。
窓の外には、迎えの車が見えた。僕が荷物をまとめる間、Sは何も言わない。
(今日は帰る、でいい?)
――ああ。あと、借りた本、車で読むな。
(酔うから?)
――お前が酔ったら俺まで気持ち悪ぃんだよ。
僕は本をしまった。返事が少し遅れた理由くらい、一番近くの相手には聞ける。
車へ乗るまで、その日の点数のことはもう考えなかった。




