六十四個の丸で、今の一人を決めるな
図書室へ寄ってから、駅まで一緒に帰る。
朝、手帳を開いた時には、その予定がまだ一日の終わりにあった。
朝倉は、先生から返ってきた経路図を確かめている。本校舎の一部が使えるようになっても、怖い廊下を無理に通る必要はない。僕は隣で、緊急時に希望する避難先を書いていた。
別棟。校外の指定場所。その時の安全状況に応じて決める、という欄もある。
――俺は外がいい。
(どうして?)
――閉まる扉が少ねぇ。
軽口だと思って聞いたのに、真面目な答えだった。
(じゃあ、その理由も書こう)
僕の希望は別棟だった。肩がまだ気になるので、遠くへ歩かずに済む場所を先に考えていた。
同じ身体を別々の場所へ避難させることはできない。それでも、どちらが何を気にしているかを聞かなければ、選ぶ理由まで一つに潰してしまう。
Sの分は本人が書く時に残しておき、僕は自分の紙だけを埋めた。
◇
その日の昼、授業が一時中断された。
別地域の警戒が上がり、学校も設備の確認をしながら帰宅の手配へ切り替えるという。僕たちは担任の指示で待ち、三枝先輩に呼ばれてから職員室脇の小部屋へ移った。
白峰主任が通話の向こうで説明を始める。
『昨日候補に挙がった民間施設は、通常の支援を続けている。利用者二十三人について、危険な場所から離す必要と本人の希望を、現地で分けて確認しているところだ』
「移送要求は?」
『そのまま実行はしていない。ただ、古い機器の保存情報から、別の使い方が見えた』
画面へ数字が出る。
【AUTHORITY QUORUM:63/64】
「人の数じゃないんですよね」
『そう。昔の確認記録を一単位として数えている。同じ人への別の確認や、代理したものが含まれている可能性がある』
Sが低く言う。
――票か。
主任は、さらに下の実行許可欄を示した。
【DOMINANCE CARE AUTHORIZATION】
古い返事を集め、支配側の機能を動かす許可にする。誰を移すか決めるためだけに、履歴を探していたわけではなかった。
『元は、支援先が受け入れ可能かを確かめるための確認も含まれる仕組みだったらしい。現在の網は、人の返事まで一緒に数えて、同じ計画の許可へ変えている』
「相談に行くって言ったことまで、支配されてもいいって票にするんですか」
『そういう不正な転用をしていると考えられる。法的な許可や本人の同意ではない。それでも、機械を動かす条件にはなってしまう』
紙に六十四個の丸が並んだように見えた。
その一つずつが何の返事だったかは省かれ、必要な数まで、あと一つになっている。
◇
監視中の履歴検索が進んだ。
現地で受信を止めたもの。重複として弾かれたもの。古い記録の中に、すでに取り消しが残っていたもの。候補が一つずつ通り過ぎる。
その中で、見覚えのある番号が開いた。
【CANDIDATE:SM-01】
僕は椅子の脚を床へつけ直した。
代理確認あり。そのあとに、CARE権限の取り消し。本人の返事が必要だという理由は、まだ残っていた。
相手は、その取り消しを上書きしようとした。
――消すなよ。
Sの声が頭の奥で響いた。
画面の結果は、取り消しを維持。上書き要求は通らなかった。
僕は息を吐いた。何に同意した記録なのかも、僕のものなのかも分からない。それでも、誰かが止めた一行を、もう一度なかったことにされずに済んだ。
安心は長く続かなかった。
次に開いた番号は、知らないものだった。代理による確認済みの記録が読み込まれ、数字が変わる。
【64/64】
誰も声を出さなかった。
――俺らのが使えなくても、別ので済むんだな。
僕は膝の上で手を握った。僕たちに結びつく番号を守れたことと、全体を止められたことは違った。
知らない番号にも、知らない誰かがいるのかもしれない。その人の返事が奪われるなら、こちらが助かったから終わりにはできない。
◇
『今回の実行許可は、一つの処理番号でまとめられている』
主任が画面を切り替えた。
古い確認の束を許可へ変え、さらに今の能力反応を結びつけて、どの範囲に処理を流すか決める。まだ、現在の基準となる反応が揃っていない。
「僕たちの反応も、候補に入りますか」
『以前から観測されているから、可能性は高い。ただし、君たちだけとは限らない』
三枝先輩が学校側へ警戒を伝えた。僕たちを試験のために動かすのではなく、ほかの生徒とともに安全な経路で退避させる。
僕は画面の丸を見たまま聞く。
「古い確認を全部、今は未確認に戻せませんか」
『元の支援記録まで書き換えてしまう。必要なのは、今回の覚醒と制御へ使える許可ではないと、用途を分けることだ』
「照合する部分で止める……」
以前、複製環境で見た不一致の表示を思い出した。
『現地の班が、同じ世代の照合器へ届く保守口を確保し始めている。通常の相談や医療の回線とは別に、今回の処理についてだけ訂正を渡せるか調べてる』
相手の網が正しいことを理解してくれるのを待つ話ではなかった。削りきれずに残していた条件を使い、機械の動作を止めるための作業だった。
『ただ、どの対象に結びつけられたかが確定しないと、正しい照会を返せない。反応を取り直すために君たちを使うことはしない。先に出力を止められる場所は止める』
「はい」
準備が進んだ実行許可は、対象の反応を結びつけると固定される。途中で別の人へ付け替えるには、今回の許可を破棄して作り直す必要があるらしい。
その隙間を使えるかもしれないと、主任は言った。ただし、機器による差もあるので、現場では物理的な出力停止を並行する。
電話の向こうで、いくつもの声が重なっていた。
僕は手帳を閉じた。図書室へ寄る予定の横へ、まだ中止とは書かなかった。帰宅の手配がどうなるか、まず朝倉に伝えようと思った。
廊下へ出る直前、校内放送の音が途切れた。
次に聞こえたのは、体育館側の設備異常を知らせる声だった。三枝先輩が端末を取り、僕へ短く言う。
「教室へ戻る。避難経路はこちらで確かめる」
僕は頷いた。
六十四の数字が揃っても、まだ止めるために動いている人がいる。僕も、その指示を聞いてから、自分の足で教室へ戻った。




