一度の「はい」で、ずっと決めるな
「今日は、何を見ないかも決めてきた」
Sへそう伝えたのは、支部の会議室へ入る前だった。
SM-01に結びついた代理確認の記録を、もう一度見せてもらうことはできる。でも、昨日から何も解読が進んでいないところを繰り返し見ても、僕の想像ばかりが増える。
(新しく分かったところだけ聞く。君は?)
――それでいい。俺も、同じ字を睨むのは飽きた。
同じ気持ちかどうかは分からなかったけれど、今日の希望は重なった。
扉を開けると、早乙女静さんがいた。
「こんにちは。お茶、飲む?」
「ここ、管理局ですよね」
「そうよ。だから私も、お客様」
自分で淹れたわけではないらしい。三枝先輩が、置きっぱなしの紙コップを静さんの方へ寄せた。
「資料の上に置かないで」
「厳しいわね、玲奈ちゃん」
――何しに来たんだ。
Sの声を聞いたわけでもないのに、静さんは僕を見た。
「古い支援の仕組みについて、覚えていることを話しに来たの。知っているふりをしに来たんじゃないから、そこはよろしく」
僕は少しだけ笑った。
◇
静さんは、施設外へ出た能力者や被験者の支援を、一か所で抱え込まないための連絡の仕組みを知っていた。
医療、生活の相談、通う先。担当を分け、記録を渡し、誰か一人がいなくなっても支援が途切れないようにする。
「ただ、分ければ自由になるわけじゃない。どの窓口へ行っても同じ命令しか返ってこないなら、入口が増えただけでしょう」
静さんは、代理確認の欄へ指を置いた。
「本人に代わって決められる範囲を狭くしようとした人はいた。議論になっていたことは覚えている。でも、この取り消しを書いた個人までは知らない」
「圭吾さんみたいに、現場で止めた人もいたんですね」
「久世君が話したその場面については、そうね。皆が同じ手順で止められたかは別だけれど」
静さんはお茶を一口飲んだ。
「一人の英雄が全部直した、とは考えない方がいいわ。現場で断った人も、手順を変えようとした人も、せめて記録を残した人もいたはずだから」
白峰主任が、それぞれの証言と記録を別に並べていた。一致する言葉へ線を引くが、その線で全部を一つに結んではいない。
僕は、主任が以前、僕たちの返事より先に反応を見ようとしたことを思い出した。
「主任も、最初からこういう確認をしてくれたわけじゃないですよね」
言ってから、部屋が静かになったことに気づいた。
主任はペンを置いた。
「そうだね。君たちに止められたことは、今の説明で消えない」
「……責めたいだけじゃないんです」
「それでも聞いていい。今日の僕が慎重にしているからといって、昔の判断まで正しかったことにはならないから」
静さんは口を挟まなかった。僕も、その答えですべてを許したわけではない。
ただ、主任は資料を閉じなかった。自分に都合の悪い話が出たあとも、同じ机で説明を続けた。
◇
新しく分かったのは、二種類の制限を外す更新だった。
緊急時だけ代理を認める制限と、本人へ後から再確認する条件。現在の制御側は、その両方を取り除こうとしている。
「改良じゃなくて、安全のために足した条件を戻してる」
三枝先輩が言った。
技術班の人が、二つの処理結果を並べる。同じ確認済みの記録でも、用途を省いた場合と、元の用途を添えた場合では、末端の機器が返す結果が違った。
「相談への参加を、別の操作の許可に使った時は、こちらで止まります」
【SCOPE:MISMATCH】
用途の不一致。
以前見つけた停止条件の、もう一段奥だった。
「でも相手は、そこも消したいんですよね」
「消す要求は出ている。ただ、この世代の駆動機器は、用途と対象を含む許可を受け取らなければ動かない。上の採決だけ変えても足りない」
主任が答えた。
「今調べている機器では、照合部分そのものを変更するには、現地での作業と再起動が要る。そこを残したまま通すために、代行や古い確認記録を集めているようだ」
絶対に破れない壁ではない。相手が別の機械を使えば、同じ止め方はできないかもしれない。
それでも、今この網が抱えている食い違いは見えてきた。
「だったら、元の用途を省かせなければ……」
「試す価値はある。ただし、診療記録を全部相手へ送るわけにはいかない。必要な照会だけをやり取りできる場所を、現地の班が探してる」
新しい登録記録を、古い回線へつなぎ直す話ではなかった。別の機器で必要な情報だけを扱い、僕たちの記録を守ったまま止める方法を探すのだと、同席していた牧野さんからも説明された。
Sが言う。
――だったら、返事するために殴られる必要はねぇな。
(うん)
そこは、僕も最初に確認したかった。
◇
外の監視班から、履歴検索の報告が届いた。
未回答の欄を上書きするだけではなく、昔に確認済みとなった記録を、そのまま持ち込もうとしている。
【HISTORICAL ACK:IMPORT】
一つの窓口で受信を止めた。別の場所では、すでに以前の記録が複写されていた。現在の受付を切り離しただけでは、外に残った古い複製まで消えない。
静さんが資料の端を押さえる。
「昔の記録を全部消せばいい、という話にしないでね。何をされたか、どんな支援を受けたか。本人が後から確かめるためにも残っているものだから」
「保存と、再利用の許可は分ける」
主任は頷いた。
画面の検索が次へ進む。古い丸の一つ一つには、本来、何かを尋ねた日があったはずだ。説明した人がいて、答えた人がいた。答えられなかった人の代わりに、押された物もあるのかもしれない。
今はその違いが切り落とされ、確認済みという一語だけで流れていく。
(昔の僕が何かに頷いてたら、君はどうする?)
Sへ聞く。
――今のお前に聞く。
(君のだったら?)
――今の俺に聞け。分かんねぇなら、分かんねぇって言う。
僕は小さく頷いた。
画面を閉じる前に、主任へ一つ頼んだ。
「僕たちに関係する記録がまた見つかったら、見るかどうか、先に聞いてください」
「分かった」
答えは短かった。そのあとで主任が僕の希望を記録したので、帰る時、同じことをもう一度言わなくて済んだ。




