まだ答えてないのに、はいにするな
「私、これ押してないんだけど」
小日向さんの画面には、大きく緑色の丸がついていた。
【支援方針への同意を確認しました】
その下に、小日向紗月という名前。彼女は画面を机へ置いても、指を離さなかった。
「説明は聞いた。でも、保留にしてたの」
定期検査に来た僕は、受付で小日向さんに会った。相談へ一緒に入ってもいいかと尋ねられ、Sにも確認してから隣へ座っている。
参加するかどうかを決められる地域支援プログラム。その説明会の予約欄に、答えていないはずの彼女の名前が入っていたらしい。
「断ったことにして取り消すんじゃなくて、まだ決めてないところに戻したい」
「うん」
「そこ、間違えないで」
僕へというより、これから説明する相手へ向けて練習するような声だった。
牧野さんは、最初に画面を消そうとはしなかった。
「表示が出た時刻と内容を、証拠として残してもいいですか」
「それは、いいです」
小日向さんが答える。何もかも拒否したいわけではないのだと、その短い返事で分かった。
◇
正式な記録は、保留のままだった。
書き換わっていたのは、外部の相談設備と確認状況をやり取りする補助画面。古い形式に合わせるために通していた一台から、同意済みという情報が返ってきたのだという。
「新しい受付を使ってたのに、途中に古い機械があるの?」
小日向さんの問いに、技術班の人が頷いた。
「以前の記録を読むために残していた機器です。現在の受付から渡された確認情報も、そちらへ複写されていました」
「じゃあ、使う人には見えないじゃん」
「はい。表示の食い違いが出るまで、利用者側では分かりません」
その一台から来た確認は四件。ほかの人の名前は伏せられたが、二件は本人が同意し、小日向さんを含む二件は未回答だった。
同じ緑の丸が、違う返事を塗り潰していた。
牧野さんは、現在の記録の控えを出した。
「参加の扱いは変わっていません。ただし、予約先へ誤った案内が出ていないかも確認します。画面だけ直して終わりにはしません」
小日向さんの指が、ようやく端末から離れた。
「それ、紙でもらえますか」
「はい」
「紙だから絶対ってわけじゃないけど。帰ってから、何て説明されたか分からなくなるの嫌だから」
僕にも覚えがあった。会議室では分かったつもりでも、帰り道で一つだけ言葉が残り、それがどんどん悪い意味へ膨らんでいくことがある。
「説明した人の名前も、そこに入りますか」
僕が尋ねると、牧野さんは自分の名前を書いた。
「あとで聞き直せるように」
小日向さんは、それを二つに折って鞄へ入れた。
◇
問題の機器は、別の地域相談所に置かれていた。
現地の人が通常業務を新しい経路へ移し、古い機器の通信を外す。僕たちは相談室を出ず、その報告を待った。小日向さんを機械の前へ連れていって、同じ表示が出るか試す必要はなかった。
「今日は検査して帰るだけだったのに」
彼女が時計を見る。
「お腹空いた?」
「すごく」
――そりゃ機嫌も悪くなる。
(食べてても怒ると思うよ)
「何か言った?」
「Sが、お腹空くよねって」
――言い方。
小日向さんは少しだけ笑った。牧野さんが席を外した間に、持っていた小さな菓子を食べる。僕は勝手に分けてもらおうとはせず、自分の鞄に何か入っていないか探した。
「ないの?」
「課題しかない」
「食べられないね」
Sが笑った。初めて聞く悪い通知ばかりの部屋でも、こんな会話はできる。
◇
通信を外す前に保存した記録から、同意済みに変わった時の処理が見つかった。
古い代行機能を呼び出し、対象側の確認を上書きする。そのあと、相手の網へ代理役として加わる要求が続いていた。
【ROLE:CONSENT PROXY】
「同意の代理、ですか」
白峰主任が頷く。
「本人が押していない丸を返せる機器を、次の確認にも使うつもりだったようだ」
「職員の誰かが勝手に押したんじゃなくて?」
「この四件は、その時刻の操作記録と合わない。外部から来た処理要求の方を追っている」
小日向さんは、自分の控えをもう一度出した。
「ここは保留。向こうは同意済み。それを見た別の機械まで、私がいいって言ったと思うわけ?」
「その危険がある。だから、この一台の表示訂正だけで終われない」
主任の説明の途中で、現地の切り離しが完了したと連絡が来た。以後の接続要求は施設外の受信機で観測するだけで、相談機器へは届かない。
しばらくして、相手側の代理役は不成立になった。小日向さんが手元で拒否を押したからではない。技術班が、偽の確認を流す経路を止めたからだった。
それでも別の候補を探す通信は続いていた。
小日向さんが画面を伏せる。
「私が今、参加しないって決めたら、探すのやめるのかな」
「やめるとは約束できない」
主任は答えた。
「どちらを選んでも、君の返事と相手への対処は分ける」
彼女は口を閉じたまま、その答えを少し考えていた。
「じゃあ、まだ決めない。やっぱり」
牧野さんが頷く。
「保留を継続します」
「あと、説明会の資料はほしいです。行くって決めたわけじゃないけど」
「資料だけお渡しします」
また一つ、別の返事が残った。
帰る時、小日向さんは緑の丸が消えた画面を確かめ、控えの紙と資料を別々の場所へしまった。僕たちへ手を振ると、今度こそ自分で決めた予定へ歩いていく。
――結局、答え変えてねぇな。
(変えなくてもいいんだよ)
――分かってる。そこは向こうの負けだ。
僕はまだ彼女の名前が印刷された予約欄を見ていた。訂正の線が引かれ、その横には本人未回答と残っている。消して白紙へ戻すだけでは、勝手に丸をつけられたことまで、なかったようになってしまう。
紙を受け取った職員は、訂正理由も一緒に保存すると言った。




