上に誰もいなくても、命令はできる
学校が再開した朝、僕はようやく二人分の連絡票を提出した。
「真白。こっちも本人が書いたんだな?」
担任が封筒の中を確かめる。僕の紙と、Sの紙。同じ手で書いたはずなのに、Sの文字は紙の裏まで跡が残るほど筆圧が強かった。
「はい。昨日、家で確認してから」
――お前の字より読みやすいだろ。
(紙に穴が開きそうだったけど)
――気合いが違う。
(緊急連絡先を書くのに?)
笑いかけて肩が引きつり、慌てて姿勢を戻した。まだ腕を大きく動かすと痛む。体育の見学届は、二人分ではなく身体一つ分だった。
隣の朝倉が僕の顔を覗く。
「ちゃんと出せた?」
「うん。Sも、自分の分を書いた」
「じゃあ、宿題だけだね」
――聞こえねぇ。
(都合よく引っ込まないで)
教室は本校舎ではなく、点検の終わった別棟に置かれている。窓から見える体育館にはまだ工事用の囲いがあった。街の機器を止めたからといって、壊れた物まで元通りにはならない。
倉田が肘の絆創膏を押さえながら、配られた学校からの案内を読んでいた。
「能力者は、何かあったら残れってことか?」
「どこに書いてある」
担任が聞き返すと、倉田は紙の一番下を指した。緊急時の協力について、という小さな欄がある。
「そこは事前相談の窓口だ。力があるだけで残すことはしない。避難が先」
「……ならいい」
担任はその欄の横へ、自分のペンで補足した。教室の誰かが「毎回説明すんの大変そう」と呟く。
僕は紙を折らず、もう一度読んだ。聞いた人が面倒だったことにされず、分かりにくかった文章の方へ一行増える。その小さな違いが、今日は少し嬉しかった。
◇
放課後、僕たちは管理局東京第三支部へ向かった。
三枝先輩の連絡には、定期検査のあとで新しい報告を聞いてほしい、と書かれていた。戦う予定はない。念のため確認すると、『予定はない。検査結果次第で話も短くする』と返ってきた。
会議室で待っていた白峰主任が、椅子を引いてくれる。壁の地図には、僕たちの街から離れた場所にも印がついていた。
「似た通信規格が、別の地域でも見つかっている」
主任は赤い印と黄色い印を分けて示した。実物を確認できた場所と、信号を受け取っただけの場所。印の数が、そのまま装置の台数になるわけではない。
「同じ相手なんですか」
「調べている。ただ、動き方が違う」
画面には四つの丸が現れた。線が丸の間を行き来しているが、以前のように中心の役を示す印はない。
(S。見てる?)
――見てる。あの名前もねぇな。
MASTER。
古い研究の責任者を指す名と、機器の中心役を示していた文字。どちらなのかも分からない表示が、今回は見当たらない。
「名前がないなら、あの人とは関係ないんでしょうか」
言ってから、安心する理由を探している自分に気づいた。
主任は画面を拡大した。
「その判断はまだできない。この四つの間には、固定の上位機器を置かずに決める処理がある。それを確認したところだよ」
【AUTHORITY MODE:DISTRIBUTED】
分散。以前から機器はあちこちにあったけれど、今度は命令を決める仕事まで分かれているらしい。
現地の班が保存した記録を進めると、四つのうち三つが同じ経路を選び、一つが別の経路を選んだ。表示を確かめた技術班の人が、地図に二本の道を引く。
「人をどちらへ誘導するか、という要求に見えます。実際に誰かが誘導されたかは、現地で確認中です」
三つの丸が同じ色になった。
【MAJORITY ACCEPTED】
「多数決……」
僕が呟くと、Sが低く笑った。
――俺らの真似でもしたつもりか。
(みんなで決めるところ?)
――一人捕まえりゃ終わりじゃねぇってのは、見せたからな。
ありそうだと思った。学校でも駅でも、誰か一人が倒れれば全員が動けなくなるわけではなかった。相手がそれを学んだのなら、今度は一番上をなくしてくるのかもしれない。
そう伝えると、主任は紙に小さく書き留めた。
「その可能性は残す。ただ、元々こういう仕組みだったものを使い始めた可能性もある」
四つの丸のうち、一つだけがまだ違う色をしていた。
「反対が残ったら、どうするんですか」
「続きを見よう」
会議室の空調が切り替わり、机の紙が一枚揺れた。遠くで電話が鳴っている。静かな部屋の中で、画面の端だけが忙しく点滅した。
【DISSENT NODE:CORRECTION REQUIRED】
反対した中継点。修正が必要。
――そいつが間違ってるって、もう決めてんのかよ。
Sの声に、僕は画面へ身を寄せた。肩の痛みで途中で止まり、先輩が画面の方をこちらへ向けてくれる。
「多数決そのものが駄目、という話じゃない」
主任が言った。
「何を決めるのか、反対の理由をどう扱うのか。そこが分からないままでは評価できない」
「じゃあ、その一つは何が嫌だったんですか」
主任ではなく、技術班の人が記録の下を開いた。
拒否理由の欄は、まだ読み出せていなかった。それなのに、その返事を直すための命令だけは、もう送られている。
僕は椅子の上で手を組んだ。
一番上に誰もいなければ安心だと、ほんの少し思ってしまった。画面では三つの丸が、残る一つを囲むように明滅していた。




