受ける僕と、避ける僕
駅前は、昨日の学校よりずっと酷かった。
「下がってください!」
三枝先輩が叫ぶ。改札前の広場。割れたガラス。横倒しになった自転車。逃げ惑う人。そして広場の中心に巨大な亀裂が走っていた。
「何が……」
僕が立ち止まる。地面が盛り上がった。次の瞬間。
ドンッ!
アスファルトが弾ける。僕は反射的に腕で顔を庇った。破片が飛ぶ。
「伏せて!」
三枝先輩が槍を地面へ突き立てた。透明な壁が広がる。破片が次々と弾かれた。
「っ……!」
僕は息を呑む。昨日の男とは違う。そこにいたのは僕たちと同じくらいの年齢に見える少年だった。いや、正確には少年だったもの、と言ったほうがいいのかもしれない。両腕が異様に膨れ上がっている。皮膚の下で何かが脈打っている。
「痛い……」
少年が呟く。
「痛い……痛い……!」
次の瞬間、拳が地面へ叩きつけられた。爆発。違う。爆発じゃない。純粋な衝撃だ。地面そのものが殴られている。
「能力は衝撃増幅系……!」
三枝先輩が端末を見る。
「でもおかしい」
「何がですか?」
「出力が安定していない」
また拳。
ドンッ!
ビルの窓が一斉に震える。
「覚醒直後でも、ここまで制御不能になる例は少ない」
少年が頭を抱える。
「止めて……!」
そして。顔を上げた。
「誰か止めてくれよ!」
胸が痛くなった。敵じゃない。少なくともあの人自身は戦いたくて戦っているようには見えない。
「真白君」
三枝先輩が言う。
「避難誘導だけして」
「はい」
僕は走る。倒れた自転車の横。母親らしい女性が、小さな男の子を抱えている。
「立てますか!」
「足が……!」
捻ったらしい。僕はしゃがむ。
「僕が運びます」
――待て。
Sが言う。
(何?)
――またそれか。
(今度は違うよ)
――何が違う。
(運ぶだけ)
――能力者が暴れてんだぞ。
Sの声が苛立つ。
――お前は戦えねぇ。
(だから避難させるんだよ)
僕は男の子を背負った。母親に肩を貸す。
「こっちです!」
三枝先輩が戦っている間に広場から離れる。一人。二人。三人。できることだけ。できる範囲でそう決めた。はずだった。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。振り返る。少年の拳がこちらを向いていた。
「うわあああああ!」
衝撃。三枝先輩が割って入ろうとする。間に合わない。後ろには逃げ遅れた人たち。考えるより先に僕は前へ出た。
「真白君!」
両腕を交差させる。次の瞬間、世界が爆発した。
「ぐ……っ!」
身体が浮く。十メートル近く飛ばされた。背中から地面へ落ちる。息ができない。痛い。身体中が痛い。だけど。同時に分かる。Momentum。身体の奥に力が溜まっていく。
「真白君!」
三枝先輩の声。僕は震える膝で立つ。
「大丈夫……です」
――大丈夫じゃねぇ!
頭の中でSが怒鳴った。
(でも)
――でもじゃねぇ!
(後ろに人がいた!)
――知るか!
(知るよ!)
Sが黙る。僕も珍しく強く言い返していた。
(あれを避けたら、後ろの人が死んでたかもしれない)
――だからって、お前が受ける必要はねぇだろ!
(じゃあどうすればよかったんだよ!)
――それを考えろっつってんだよ!
「……え」
僕は動きを止めた。Sの言葉が頭の中で響く。
――お前、受けることしか考えてねぇ。
僕は少年を見る。三枝先輩が槍で牽制している。少年は無茶苦茶に拳を振る。三枝先輩は防いでいるけれど。衝撃を完全には消せない。
――Momentumがある。
Sが言う。
――攻撃食らえば強くなる。
――だからお前。
――食らうのが正しいと思い始めてる。
胸が冷える。否定。できなかった。昨日までは殴られることに慣れていた。能力に目覚めてからは殴られることに意味までできた。受ければ。強くなれる。誰かを守れる。だから、
「……僕」
また。同じことをしている。形が変わっただけで自分が傷つけば済む。そう思っている。
――やっと気づいたか。
(でも)
――そこで「でも」って言うな。
(じゃあどうするの)
少しの沈黙。そして、Sが言った。
――俺を使え。
僕は目を見開いた。
(え?)
――受けなきゃいけねぇ時はお前。
――避けられる時は俺。
(そんな都合よく交代できないよ)
――だから練習すんだろ。
「今!?」
思わず声が出た。三枝先輩が振り返る。
「何?」
「い、いえ!」
――やるぞ。
(待って待って)
――来る。
少年の拳が三枝先輩を振り切る。衝撃波。こちらへ。
――代われ!
(どうやって!?)
――知るか!
(知らないの!?)
――昨日できただろ!
(偶然だよ!)
衝撃が迫る。避ける。そう思う。でも身体が重い。間に合わない。
「S!」
叫んだ。その瞬間、感覚が反転した。世界が遅くなる。
――おせぇ。
S。身体が沈む。衝撃が来る。半歩。横へたったそれだけ。爆発のような一撃が僕たちの横を通過した。
「……!」
三枝先輩が目を見開く。Sが笑う。
「だから避けろってんだよ」
そして。走る。一歩。二歩。三歩。Speed。昨日より。明らかに加速が速い。
――S!
僕は身体の奥から叫ぶ。
(殴るな!)
「は?」
(あの人、苦しんでる!)
「知るか」
(止めるだけでいい!)
「面倒くせぇ!」
それでもSは拳を引いた。少年へ近づく。その瞬間、少年が腕を振る。近距離。避けられない。
――チッ。
衝撃。Sが腕を前へ出した。受けた。
「ぐっ……!」
吹き飛ぶ。僕にも痛みが来る。でも、同時にMomentumが溜まる。
(え)
――うるせぇ。
Sが立ち上がる。僕は驚いていた。
(今、避けなかった?)
――避けたら後ろの女に当たってただろ。
見る。確かにSの背後。逃げ遅れた女性。さっきの僕と同じ。
(S……)
――勘違いすんな。
Sが言う。
――俺が怪我すんのが一番マシだっただけだ。
その言葉に少しだけ笑いそうになる。
(それ、僕と同じじゃない?)
「違ぇよ!」
声に出た。少年が一瞬。きょとんとした。その隙。Sが踏み込む。速い。右。左。正面。少年が反応できない。
「お前さぁ」
Sが言う。
「もう暴れんのやめろ」
「止められ……ない……!」
少年の拳。Sが避ける。でも、攻撃しない。走る。Speedを上げる。少年の周囲を何度も何度も少年は追おうとする。拳を振る。外れる。また振る。外れる。
「ぐっ……」
動きが鈍くなる。三枝先輩が気づいた。
「消耗させてる……?」
そうか。倒す必要はない。能力を使わせ続ければ。いつか限界が来る。
――そういうこと。
Sが答える。
(僕、何も言ってないけど)
――考えてることくらい分かる。
少年が叫ぶ。
「止まれ!」
大きく腕を振り上げる。まずい。今までで一番強い。周囲全部を巻き込むつもりだ。Sが足を止めた。
――これは避けられねぇ。
(交代!)
――できんのか!?
(分からない!)
でもやる。受けるなら。僕。避けるなら。S。役割を分ける。
(戻って!)
身体に手を伸ばすイメージ。Sの背中を引っ張るように一瞬、視界が揺れた。そして、僕の身体になった。
「……っ!」
戻れた。初めて。自分たちの意思で交代した。考えている暇はない。少年の拳が地面へ落ちる。僕は両腕を前へ出した。Momentum。溜まっている。今まで受けた衝撃。全部。身体の中に。
「うおおおおおおっ!」
拳を振る。少年ではない。地面へ溜めた力を全部。下へ叩きつける。
ドンッ!!
二つの衝撃がぶつかった。空気が震える。地面が割れる。でも、少年の衝撃は広がらなかった。僕のMomentumが正面から押し返した。
「……!」
少年の顔に初めて。恐怖ではない表情が浮かぶ。驚き。そして、安心。
「止まった……?」
そのまま。少年の身体から力が抜けた。倒れる。三枝先輩が駆け寄り。抱き止める。
「意識あり。呼吸正常」
僕はその場に座り込んだ。
「疲れた……」
――ダッセ。
(君も疲れてるでしょ)
――別に。
(声ちょっと弱いよ)
――黙れ。
僕は笑った。痛い。身体中痛い。でも、昨日とは違う。全部を僕一人で受けたわけじゃない。S一人で全部避けたわけでもない。受ける僕。避けるS。ほんの一瞬だったけど。役割を分けられた。三枝先輩がこちらを見る。
「今の交代」
「はい」
「自分たちの意思で?」
僕は頷く。すると三枝先輩がほんの少しだけ。笑った。
「進歩したわね」
初めて褒められた。ちょっと嬉しい。
――気持ち悪。
(うるさいな)
そのとき。倒れている少年の袖から。何かが転がった。小さな。透明の筒。中には液体の残骸。注射器。三枝先輩の表情が一瞬で変わった。
「これは……」
「何ですか?」
三枝先輩は答えなかった。代わりに、少年の腕を確認する。そこには新しい注射痕。一つ。二つ。三つ。
「まさか」
三枝先輩の声が震える。ほんの少しだけ。
「自然覚醒じゃない」
僕は意味が分からなかった。
「どういうことですか」
三枝先輩が注射器を拾う。そして、低い声で言った。
「この子」
僕たちを見る。
「誰かに能力者にされた可能性がある」




