一番上にいるのが、人とは限らない
「MASTER……」
僕が声にした途端、白峰主任が静かに制した。
『その名前だけで、本人の居場所だとは考えないで』
画面の先に誰かがいる。そう思いかけた僕は、口を閉じた。
『制御をまとめる役を示しているだけかもしれない。少なくとも、人物の名前なのか機器の役割なのかも、まだ分かっていない』
三枝先輩が僕へ視線を向ける。
「Sは?」
(聞こえてる?)
――いる。気分は最悪。
「いるそうです。怖いとも」
――そこまで訳すな。
(違う?)
返事はなかった。少しして、低い声が返ってくる。
――見とく。今は。
「休みたくなったら言って」
先輩は画面を僕たちへ押しつけず、椅子を少し横へずらした。目を逸らしてもいい場所ができただけで、呼吸が楽になった。
◇
非常通報設備の復旧が済むと、取り出された基板は検査用の箱へ移された。駅の配線とは切り離し、送信を止める準備をしたうえで、技術班が直前の記録を読み出していく。
【S:3/M:5】
その下には、桁の違う数があった。
【未分類記録:1247】
「千二百人も見ていたんですか」
『人数かどうかは分からない。何度も通った人を別の記録にしているかもしれないし、別の場所から届いた数かもしれない』
僕は数字を見直した。人を数えているように見えても、書いてある以上の意味を、こちらが勝手に足してはいけない。
ただ、SとMの八件については、時間と近隣の観測記録がそろい始めていた。駅で対応していた能力者の職員と、確認に応じた利用者。僕たちの身体も一件として含まれている可能性が高いという。
「名前も分かるんですか」
『この記録にはない。型らしき分類と、その場にいた反応だけだ』
――それだけでも余計なお世話だろ。
(うん)
画面を見ている間に、別の担当者が経路を拡大した。
014から022、その先で041へ。中心とされた001の役を、最初は041が持っている。
記録の時刻を進めると、役が032へ移った。
「中心が動く?」
『機械が移動したのではなく、担当が替わったようだね』
「じゃあ、一番上を壊せば終わり、でもない」
三枝先輩の言葉に、主任は答える代わりに画面上の経路を示した。
『別の中継点が引き継ぐ。少なくとも、この記録ではそう動いている』
――逃げるボス部屋かよ。
(嫌すぎる)
冗談を返せた、その直後だった。
別の受信機が警告音を鳴らす。
『周辺ノードから試験信号!』
「全送信遮断。現場にも退避を」
先輩の指示とほぼ同時に、胸の奥がざわついた。
殴られたのとは違う。音がしたわけでもない。自分の身体なのに、内側を誰かに確かめられたような、嫌な感覚だった。
――何だ、今の。
Sも気づいた。
ホームの方から短い悲鳴が聞こえた。作業員が駆けていく。僕は立ち上がりかけ、先輩に座ったまま待つよう言われた。
「ここにいる。何が起きたか教えて」
「変な感じがしました。痛みは、ないです」
「MPは?」
「増えてません」
先輩は耳元で別の班と連絡を取った。その横顔も、少し強張っている。
回収中の基板は停止していた。それなのに、隣の範囲に残っていた装置から、信号が届いたらしい。
駅員が利用者を誘導し、救護の職員が違和感を訴えた人へ声をかけた。大きな能力反応や転倒は確認されず、僕たちも落ち着くにつれて胸のざわつきが薄れた。
「止めた箱の外から、来たんですね」
僕の問いに、主任はすぐ答えた。
『そうだ。だから、ここだけ安全にしても十分じゃなかった。観測は中止する』
◇
僕たちが駅を離れる前に、受信機へ保存された信号の終わりが確認された。
【RESPONSE:8/8】
三枝先輩が読み上げた救護の報告と、その数は一致していた。
八人が同じ時刻に違和感を訴えた。機械が八件の応答を記録した。二つはつながるかもしれない。でも、これだけで身体のすべてを読み取れると決まったわけでもない。
説明を聞きながら、僕は自分の腕をさすった。
「……点呼みたいだ」
『そう見えるね』
「本人が返事をしてなくても、いるって分かる」
Sの舌打ちが聞こえた。
――呼んでもねぇのに返事する身体なんか、嫌だぞ。
(君が返事したわけじゃないよ)
少し間が空いた。
――分かってる。
僕も、自分へ言い聞かせていた。身体が反応したことと、相手の呼びかけに応じたことは違う。
最後の記録には、全体の進み具合らしい表示があった。
【MAPPING PHASE/21%】
「何の二十一%ですか」
『対象範囲を探している。全国や全人類の二十一%だと読む根拠はない』
主任はそこで言葉を区切った。
『ただ、誰かが決めた範囲について、測り終えるまで続けるつもりらしい』
僕たちは、壁の中の機械を見つけた。
向こうは、人混みの中の僕たちを見つけた。
駅を出る時、先輩が僕の歩幅に合わせてくれた。普段なら「遅い」と言う人なのに、その日は一度も急かさなかった。
改札の向こうで、誰かがもう一度、自分の腕をさすっていた。




