街の中に、スイッチがある
「真白。こっちは、もう一人に確認してからでいい」
朝のホームルームで、担任が僕の机へ封筒を置いた。中には、緊急時の連絡先を確かめる紙が二枚入っている。一枚は真白湊。もう一枚は、S。
署名してから数日。管理局で作った別々の欄が、学校にも届いたらしい。
――字、間違えんなよ。
(一文字をどう間違えるの)
――お前ならやる。
隣から朝倉が身を寄せ、封筒の端を見た。
「届いた?」
「うん。Sの分も」
先日、自分の名前としてSを選んだと伝えると、朝倉は「じゃあ、これからもSだね」と言った。変わらない呼び方なのに、Sは珍しく文句をつけなかった。
今日は紙を見ながら、こんなことを言う。
――俺の分まで勝手に丸つけんなよ。
(分かってる。放課後、一緒に読む?)
――飯食ってからな。
本人に確認するという手続きは、案外こういうことなのかもしれない。僕一人なら昼休みに済ませたはずの予定が、食事のあとへずれる。
朝倉が僕の顔を見て笑った。
「もう揉めてる」
「夕飯の前に書くか、あとに書くかで」
「平和だね」
廊下には、能力者への接し方を説明する掲示が増えていた。力を見せろと迫らないこと。攻撃されて強くなる人も、痛くないわけではないこと。
正しいと思う。その横の避難経路図まで読むと、僕たちが毎日爆発する生き物みたいに見えてくるのが、少し困るけれど。
「真白。これ、お前にも来た?」
倉田が自分のスマホを机の下から見せた。
【周辺安全設備との接続を許可しますか】
学校と管理局から案内されている安全確認アプリだった。避難先や救助時の注意を登録するもので、僕の端末にも入っている。
「更新?」
「知らねぇ。さっきから消しても出る」
僕の端末も短く震えた。同じ接続要求が、普段の連絡とは別の受信欄へ届いている。
Sの通知欄を開く。そこにも同じ文があった。
――押すな。
(押さない)
画面の下へ、新しい文字が追加された。
【M:接続待機】
【S:接続待機】
指が止まった。
役所の書類には収まりきらなかった二文字が、知らない相手の画面には、あまりにも簡単に並んでいる。
「倉田。そのまま触らないで」
「……何だよ」
「確認する」
僕は別の連絡手段で三枝先輩を呼んだ。出てくれたのは、呼び出し音の二回目だった。
『どうしたの』
「アプリに変な接続要求が来ています。僕とS、別々に」
『場所は』
「教室。倉田にも来ています」
『操作しないで。先生へ代わって』
担任へ事情を伝える間にも、いくつか通知音が鳴った。受け取った生徒の名前を、教室中へ言うわけにはいかない。
僕は立ち上がり、なるべく普段の声で言った。
「今来た接続の通知、押さないでください。学校からのものか確認してもらってます」
「真白、詳しいな」
誰かに言われた。
詳しくない。だから指先が冷たくなっている。
「僕も分からないから、聞いてる」
朝倉が、自分のスマホを伏せた。それを見て、何人かが同じようにした。
◇
技術班が来るまでに、授業は中断された。僕たちは担任の指示で別棟へ移り、三枝先輩だけが調査員と一緒に校舎へ残った。
廊下の奥で、工具の音がする。窓の外では、校庭の授業だけがまだ続いていた。
「ネットワークを切ったのに、要求が届くんですか」
僕が聞くと、通話に参加した白峰主任が答えた。
『アプリの災害用の近距離受信機能を使っているらしい。インターネットがなくても、近くの設備から避難情報を受け取るためのものだ』
「便利なところ、使われてるんですね」
『その可能性がある。ただ、S君の新しい登録記録へ侵入されたと決まったわけではない。まず受信経路を調べる』
せっかく二人分の記録を作ったから狙われた。そう考えかけていた僕は、息を吐いた。
Sが登録を望んだせいじゃない。それは、前にも主任が言ったことだった。
発信源が見つかったのは、防火設備の制御盤の奥だった。技術班から届いた写真には、正規の図面にない小さな黒い基板が写っている。
「こんなの、いつ付いたんですか」
『点検記録と照合する。基板の時刻表示だけでは、設置日までは分からない』
三枝先輩の声が重なった。
『その型、回収資料にあったものと似てる』
画面を拡大した主任が、少し黙る。
『接続部の配置が一致する。分散制御器の関連機器かもしれない』
【全人類覚醒/制御器・分散配置】。
古い施設から持ち帰った、まだ具体的な形の見えなかった工程。その一部が、僕たちの校舎の壁へ収まっていたのかもしれない。
――思ったより小せぇな。
(うん)
もっと分かりやすく危険な物だと思っていた。大きな装置や、誰も入れない研究室。少なくとも、掲示物のすぐ裏に隠せるような物ではないと。
基板の隅にあるランプが、赤く点いた。
【応答なし/次回同期へ移行】
技術班が接続を切り、箱へ収める。防火設備そのものは、別の班が安全を確認してから復旧させるという。
誰も倒れなかった。能力の暴発も起きなかった。
それなのに、終わった感じはしない。
「今日は授業を打ち切る」
担任の連絡が別棟に響いた。保護者への連絡や帰宅の確認で、人の声が増えていく。
朝倉が鞄を持ってきた。
「封筒、机に残ってたよ」
「ありがとう」
二人分の紙は無事だった。Sの分の欄も、誰にも勝手に埋められていない。
僕が受け取った時、主任から追加の連絡が入った。
『同じ照会を各支部へ回した。近郊の駅と商業施設で、似た基板の報告が出ている』
三枝先輩が戻ってきて、僕の前へ地図を開いた。学校の印のほかに、赤い点が増えていく。
「全部、止められますか」
聞いたあと、自分でも答えが怖くなった。
先輩は地図を閉じなかった。
「見つかったものから止める。見つかってないものも探す」
窓の向こうには、いつもの通学路があった。信号機、案内板、自動販売機。誰も立ち止まって中身を確かめない、小さな箱ばかりだ。
僕は封筒を鞄へしまった。
そのどれが危険で、どれが普通の設備なのか、見ただけでは分からない。
街は昨日と同じ顔をしていた。それが、いちばん怖かった。




