勝つために、お前を消す気はない
開いた壁の奥から、D-01が歩いてきた。
白い仮面に黒い服。管理局へ侵入した時と同じ姿だった。襟の隙間に赤い光が見え、僕はあの時も首元が点滅していたことを思い出す。
『指導を開始します』
天井の声を聞いて、男が僕を見た。
「交代しろ。対象はS」
三枝先輩が槍を構える。
「従わない。私たちは帰る」
「訓練は終了していない」
D-01が踏み出す。
先輩が割って入り、槍の柄で距離を作った。その間に、僕は内側へ聞く。
(S、どうする)
――俺が引きつける。三枝に出口を開けさせろ。
(あいつの訓練を受けるわけじゃないよ)
――分かってる。帰るためだ。
先輩へ伝えると、彼女は僕の顔を一度だけ見た。
「無理に倒さないで。開いたらすぐ合流」
僕は頷いた。
(交代するよ)
――任せろ。
主導権を渡す。視界は途切れなかったが、こめかみが鈍く痛んだ。Sが歯を食いしばり、姿勢を整える。
「来たぞ。文句あるか」
D-01が構えた。
Sと同じ角度で腰を落とし、同じ位置に左手を置く。その姿を、僕は身体の奥から見ていた。
◇
最初の攻撃は、かろうじて目で追えた。
Sが右へ引けば、D-01の膝がその先を塞ぐ。反対へ回ろうとすれば、肩を入れる位置まで先回りされた。
鏡と戦っているのとは違う。
こちらの癖を知っている相手と、戦わされている。
Sが拳を振りかけ、止める。
――殴れば、向こうのMが動くかもしれねぇ。
(でも、避けるだけじゃ)
「攻撃しろ」
D-01が言った。
「S型は攻撃する」
「命令すんな」
拳が腹へ入った。
空気が押し出され、僕まで息ができなくなる。痛みは共有している。でも今の被弾では、僕のMPは増えない。
D-01側のS反応が強まり、次の踏み込みが速くなった。相手を殴らなければ安全、というわけではない。殴らせ続けても、向こうへ燃料を渡してしまう。
「S、こっちへ!」
三枝先輩が槍で牽制する。Measureが加速を鈍らせた隙に、Sは標的の裏へ回った。
先輩は出口の操作盤へ戻る。閉鎖は物理装置によるもので、能力の出力を抑えるだけでは開かない。外の調査班と同時に解除する必要があるという。
壁の表示が変わった。
【訓練対象S/SP:0】
【修正要求:攻撃】
『攻撃してください』
D-01が標的の反対側へ回る。
『S人格の存在意義は攻撃です』
Sの足が、一瞬止まった。
『攻撃しないS人格に価値はありません』
頬へ拳が当たる。床へ倒れたSが手をつき、起き上がろうとした。
(S。あの声に証明しなくていい)
返事がない。
(必要な一発なら使って。でも、価値がないって言われたから殴るのは違う)
Sの指が床を掴んだ。
目の前の男を殴れば、少しはすっきりするのかもしれない。殴り続ければSPも得られる。相手のM能力が動こうが、もっと速くなって押し切ればいい。
それが、この部屋の望む答えだった。
「……知るか」
Sが立ち上がった。
D-01ではなく、通路を塞ぐ訓練標的の支柱へ蹴りを入れる。傷んでいた固定具が折れ、標的が傾いた。
敵の設備へ与えた損害で、SPを得る。
倒れる標的をD-01との間へ落とし、その分だけSpeedを使った。
一瞬の加速で、出口側へ移る。
「俺が何を壊すかまで、てめぇに決められるかよ」
『行動パターン不一致』
機械音声が告げた。
『旧訓練記録との差異を確認』
◇
正面の画面に、少年の映像が出た。
顔は角度とノイズで見えない。今の僕たちより小さな身体が、D-01らしい相手へ何度も拳を打ち込んでいる。
倒れたあとも攻撃をやめない。その横で、SPと記されたゲージが上がっていく。
【比較対象:SM-01】
「……俺?」
Sが呟いた。
『映像の人物と表示名が同一とは確認できない!』
白峰主任の声が飛ぶ。
『顔も記録日時も読めない。候補名を後から重ねている可能性がある!』
僕もそれは分かった。
それでも、拳の引き方が似ていた。相手の立ち上がる場所へ先に足を置く、その動きが。
映像の中から男の声が流れる。
『S側の戦闘適性は良好。M人格を抑制し、Sを主導とする方が効率的だ』
【M人格抑制処置:推奨】
胸の奥が冷えた。
学校で初めて能力に目覚めた。それ以前に、こんな戦いをした覚えはない。速度の補正があるのか、別人なのか、映像そのものが偽物なのか、今は何も確かめられなかった。
けれど、Sは目を逸らせなくなっていた。
「……昔の俺が、こうだったって言いてぇのか」
D-01が倒れた標的を越えてくる。
「弱い方を残す理由はない」
Sが顔を上げた。
「ある」
男が止まる。
「昔の映像に何が映ってようが、てめぇらが何をさせようが、今の俺はこいつを消してまで強くなる気はねぇ」
僕は何も言えなかった。
「なぜ」
「こいつがいなくなったら、俺が止まれなくなった時、誰が止めんだよ」
(僕じゃなくても、先輩は止めると思うけど)
――今それ言うか。
「止めるわよ」
聞こえていないはずの三枝先輩まで言った。
「だから、今は帰って。こっちの解除が済んだ」
Sが短く笑う。
「了解」
D-01は笑わなかった。
「訓練を継続しろ」
「断る」
Sは男へ向かわず、残りのSPを出口までの数歩に使った。
D-01が追う。三枝先輩のMeasureが、追跡の加速だけを短く抑える。
外の調査班が隔壁を持ち上げた。先輩が先に抜け、Sは落下を止めるレバーを押さえたまま、最後に身体を滑り込ませる。
扉が落ちた。
内側から一度、鈍い音がした。それ以上、追ってくる足音はなかった。
僕たちは勝たなかった。
ただ、向こうが終わりと言うのを待たず、自分たちで出てきた。
◇
外へ出ると、すっかり暗くなっていた。
Sは救護車の縁へ腰掛け、冷却材を頬へ押し当てる。身体をすぐに返さず、検査を受けてから休むことになった。
(S。さっきの映像)
――まだ俺だって決まったわけじゃねぇ。
(うん)
――それでも、気持ち悪ぃな。
僕は少し考えた。
(あれが本当に昔の君だったとしても、今、どうしたいかは聞けた)
Sが黙る。
(それは、映像より確かだと思う)
――……調子狂う。
文句を言いながら、Sは冷却材の位置を直した。僕らの顔は同じだけ腫れていた。
三枝先輩が、隔離端末を持ってきた。
旧回線を使う僕らへの通知は、今はすべて調査班の監視下へ転送されている。新たに届いたものを、先輩はすぐには開かなかった。
「見る?」
Sは僕へ確認し、頷いた。
【訓練結果を確認しました。】
【S人格の変質を認定。矯正が必要です。】
次の行に、僕の名前が使われていた。
【次回はM人格を主とし、S人格を従属させます。】
Sが冷却材を下ろす。
あの部屋が欲しがっているのは、Sが勝つことではなかった。僕が勝つことでもない。
どちらか一人が、もう一人を従わせること。
その形にさえなれば、主がどちらでも構わないのだ。
(S)
――分かってる。
僕らは、返事を送らなかった。




