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えすえむっ!  作者: 角竜
俺の名前は、俺が決める
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身体が覚えていても、俺の記憶じゃない

午前の動作確認で、Sは二十七回目に床へ座り込んだ。


「もう一回」


白峰主任が言うと、三枝先輩が先に遮った。


「休憩。疲れた状態の記録を増やしても、比較になりません」


「俺より先に断んな」


「続けたいの?」


「……休む」


僕は身体の奥で笑った。


床へ引いた白い線と、一定の間隔で点灯するランプ。番号を指示された場所へ移動するだけで、能力は使っていない。


それでも、Sの足運びにはD-01と似た癖が出た。


「なぜ、今は右足から動いた?」


主任の問いに、Sは床を見た。


「その方が動きやすい」


「意識して選んだ?」


「いちいち考えるかよ」


質問されるたび、Sは自分の足を確かめるように動かした。いつもなら迷わない動作が、見られているとぎこちなくなる。


(分からないって答えていいよ)


――分からねぇのが気に入らねぇんだよ。


それも分かる。


誰かに似ていると指摘されるまでは、自分の身体をどう動かすかに疑問なんてなかった。


休憩中、復元された訓練施設の映像が届いた。照合のため、S本人に見せてよいか確認が入る。


「見る。ただし、止めろって言ったら止めろ」


「分かった」


モニターに、白い線の引かれた部屋が映った。今いる訓練室より古く、壁の塗装が剥がれている。


Sが膝を立てた。


「右の壁。その奥、扉あるぞ」


主任の手が止まる。


映像には継ぎ目も取っ手も見えなかった。施設図を呼び出すと、まさにその位置に搬送用の開口部があった。


「どうして分かったの」


三枝先輩の質問に、Sはしばらく答えなかった。


「……知らねぇ」


さっきまでの苛立った声ではなかった。



休憩と昼食のあと、僕へ主導権を戻した。検査で異常がないことを確認してから、午後の現地調査へ同行する。


場所は、M-32を保護した施設の別棟だった。まだ未調査の区画が残っていたが、映像に映る訓練室までの経路は調査班が確認している。


「本人が中止を求めたら、理由を聞く前に戻る」


出発前、三枝先輩は僕とSの両方へそう言った。


「探検じゃない。分かることがなくても、帰っていい」


――帰りたくなったら言う。


「そうして」


主任は施設の通常電源と通信回線を遮断したと説明した。ただし、未調査区画に別系統が残っている可能性はある。


だから先行班の後ろを歩く。危険があれば止まり、Sが何か感じても一人で確認しない。


決めた条件を、僕は廊下で何度も思い返した。


埃の匂いがした。照明は消え、調査員のライトが壁を白く照らしている。


分岐へ近づいた時、Sが言った。


――次、右。


僕は足を止める。


「右に何かあるって、Sが」


「何がある?」


――広い部屋。


三枝先輩が調査員へ確認する。折り畳まれた図面が開かれた。


その先に、目的の訓練室があった。


Sは図面を見ていない。さっきも、今も。


(何か思い出した?)


――覚えてねぇ。なのに、曲がりたくなる。


僕の掌に汗が滲む。


「ここで戻る?」


先輩が聞いた。Sはすぐには返さず、それから短く言う。


――入口まで。


僕はそのまま伝えた。



訓練室は、体育館ほどの広さがあった。


壊れた標的。床の白線。壁際に並んだ収納庫。そして正面に、こちらを映す大きな鏡。


僕が入口を一歩越えた時、足元が急に遠くなった。


「っ……!」


膝が折れる。先輩に支えられた腕の感触が、一瞬分からなくなる。


白い床に、小さな手がついていた。


『遅い』


男の声。


『もう一度』


立たなければ、と思った。どうしてそう思うのか分からないのに、肩が勝手に縮む。


そこへ、別の声が重なった。


『もういい』


近い声だった。けれど、僕ともSとも違う。


「真白君。こっちを見て」


三枝先輩の声で、視界が戻った。


大人の手が僕の肩を支えている。自分の手は、さっき見えたものよりずっと大きかった。


(S、いる?)


――いる。今の、見えた。


「僕だけじゃ……」


先輩が僕を入口側へ座らせる。主任へ伝えると、通信の向こうで少し沈黙があった。


『今は思い出そうとしなくていい。何を見たか、そのまま記録しよう。記憶なのか、この場所の刺激で浮かんだイメージなのか、今の情報では分けられない』


――あの声、俺じゃねぇぞ。


(うん)


『誰かを決めなくていい。まず出よう』


主任の言葉に、先輩が僕を立たせた。


その時、室内の奥で金属が鳴った。


壁の配線箱が振動し、消えていた照明が一列ずつ点いていく。


「撤収!」


先輩の命令と同時に、入口の隔壁が落ち始めた。外の調査員が工具を差し込んだが、深い溝に噛んで止まらない。


僕と先輩は、扉に挟まれないよう室内側へ下がった。


『未確認の独立電源だ。こちらから通常回線を切っても止まらない!』


主任の声が通信へ飛び込む。


正面の鏡が暗くなり、文字を映し始めた。


【TRAINING RESUME】


【SUBJECT:SM-01】


僕の心臓が跳ねた。


【人格選択:S】


天井の機械音声が、淡々と告げる。


『訓練人格Sを確認』


「今、表にいるのは僕です」


僕は反射的に言った。


主任がすぐ返す。


『表示を信じるな。実測ではなく、登録された対象を呼んでいるだけかもしれない』


その言葉に、僕はかろうじて足元を取り戻す。


画面には【前回選択:S】という文字が増えた。


前回。この身体が、ここにいたという意味なのか。それとも、また僕たちをそう思わせたいだけなのか。


――俺は覚えてねぇ。


Sの声が震えていた。


(うん)


――だから、勝手に俺の過去にすんな。


僕は画面を見たまま頷いた。


確かめることをやめたいわけじゃない。でも、表示された通りに恐れ、表示された通りに自分を疑うしかないのなら、ここへ来た意味がない。


「先輩、出口は」


「外から開けてもらっている。あなたは私の後ろ」


槍が持ち上がる。


天井から、新しい音声が流れた。


『指導個体D-01を起動します』


Sが最初に扉があると言った壁。その継ぎ目が、ゆっくり開いた。


暗い奥で、白いものが動いた。


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