↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
えすえむっ!  作者: 角竜
俺の名前は、俺が決める
PR
41/112

名前のない奴が、番号を捨てるまで

「速人」


「却下」


「Speedだから」


「理由まで聞いてねぇ」


翌日の管理局の休憩室で、小日向紗月さんは紙コップを持ったまま首を傾げた。


「じゃあ速太郎」


「悪化してんじゃねぇか」


「真白S太郎」


倉田が便乗すると、Sは無言で睨んだ。


「俺のだけ返事もねぇの!?」


今日は休息と検査を済ませてからSへ交代していた。名前の話を聞いた二人が候補を出し始めたせいで、Sはさっきから不機嫌だ。


(人気者だね)


――どこが。


「そもそも、何でお前らが決めようとしてんだよ」


「候補を出してるだけ。採用しなくていいよ」


紗月さんは平然と言った。無理やり能力者にされてから、自分で選べるものに敏感になった人だ。口出しをしないことと、何も提案しないことは違うらしい。


「自分では考えた?」


「……まだだ」


「なら、お茶飲んでから考えたら」


Sの前へ、余っていた紙コップが置かれた。


昨日、名前が欲しいと言ったからといって、今日までに決めなければならないわけじゃない。Sもそれは分かっているらしく、文句を言いながらコップを取った。


扉が開いたのは、その時だった。


三枝先輩が、後ろの白峰主任より先に口を開く。


「昨日のMirror能力者が目を覚ました。Sと話したいと言っている」


Sがコップを置いた。水面が一度だけ揺れた。


◇


医療区画の男は、昨日より少しだけ顔色がよかった。治療された両腕を布団の上へ置き、窓のない病室の天井を見ている。


腕の古い傷の間に、薄く【M-32】という文字が残っていた。


身元の確認は続いている。記録に名前が見つからないことと、この人に名前がなかったことは同じではない、と主任は面会の前に説明した。


「何て呼べばいい」


椅子へ座ったSに、男は視線を向けた。


「M-32」


「ほかには」


「思い出せない。それ以外で呼ばれると、今は誰のことか分からない」


Sは少し黙ってから頷いた。


「じゃあ、今はそれで」


男が僕たちの顔を見つめる。


「……昨日と、同じだ」


「俺を知ってんのか」


「お前が誰かは知らない。でも、その顔を見たことがある」


Sの背筋が伸びた。僕も、身体の奥で息を詰める。


「どこで」


「研究所の映像。小さい子供が眠っていた。似た顔だった」


三枝先輩が質問を継いだ。


「直接会ったわけではないのね。いつの映像か分かる?」


男は首を振る。


「見せられただけだ。何年前なのかも、その子の名前も知らない」


似ている、と言っただけ。それでも僕の手が冷たくなった。


生まれて間もない頃、僕はすでにSM-01の候補として登録されていた。それが何を意味するかは、今も分からない。


「隣で、研究者が話していた」


男の声が掠れた。


「二つも意思はいらない。強い方が弱い方を従わせればいい、って」


Sの椅子が鳴る。


「誰が言った」


「MASTERだと聞かされた」


「本人を見たのか」


「声だけだ。俺は、そう説明された」


Sが口を閉じる。知りたいことを急いで聞きすぎれば、この人が覚えていることまで僕たちの想像で埋めてしまう。


(三枝先輩に任せよう)


――分かってる。


Sは座り直した。男の両腕が、まだ震えていることに気づいたらしい。


◇


話が途切れた時、男が肘を動かした。視線を落としたまま、傷ついた腕をベッドの柵へ近づけていく。


Sは立ち上がらず、手元の枕を柵との間へ置いた。


「今は、何も使わなくていい」


男の手が止まる。


「MPが必要だ」


「何に」


「能力を……」


そこから先の言葉が出なかった。


先輩が看護師を呼ぶ。男はその姿を見て肩を固くしたが、腕を押さえつけられることはなかった。痛む場所を聞かれ、小さく答える。


処置が終わるまで、Sは枕から手を離さなかった。


「使わないと、何をすればいいか分からない」


男がぽつりと言う。


「言われたことをやって、番号を呼ばれるのを待っていた。それで一日が終わってた」


「なら、今日は水でも飲めばいい」


Sが看護師を見て、飲んでよいか確認した。許可が出ると、紙コップを男へ渡す。


僕は休憩室の紗月さんを思い出した。Sも、同じことを思い出しているのかもしれない。


男はコップを持ったまま、自分の腕の番号を見る。


「これを捨てろって、思うか」


「嫌なら捨てりゃいい」


「簡単に言うなよ。三十二じゃなかったら、俺は何なんだ」


Sはすぐには答えなかった。


それから、自分の仮登録証を出した。


「俺も、決めてる途中だ」


「Sが名前じゃないのか」


「湊が勝手に呼び始めた。性格が最悪だからSだとよ」


(そこまで説明しなくてもいいでしょ!)


男の口元が、わずかに動いた。


「変な理由だな」


「だろ」


――おい。反省しろよ。


(名前は変でも、呼んだら返事してくれたじゃん)


Sは鼻を鳴らした。男は、僕たちが黙っている間を不思議そうに見ている。


「話してるのか」


「ああ」


「そうか」


その声に、羨ましさのようなものが混じった。


Sは登録証をしまう。


「すぐ番号を捨てろとは言わねぇよ。次に何て呼ばれたいか、決まってからでいい」


「……それまで、三十二でも?」


「俺が決めることじゃねぇだろ」


男はコップへ口をつけた。ひと口飲んでから、もう一度だけ腕を見た。


「でも、いつかはやめたい」


Sは頷いた。


「じゃあ、その時は呼び直す」


◇


面会を終えると、白峰主任が待っていた。


復元した古い資料に、M-32と一致する番号があったという。


【INTEGRATION TEST】


その下に、方式を示す文字。


【DOMINANCE】


「支配による統合試験。久世君の受けた人格固定と、目的はつながっている。今回は二つの能力の使用を、一方の意思に従わせようとした実施記録だ」


「知ってたのか」


「考え方の断片は知っていた。この番号の人間に何がされたかは、今、初めて分かった」


主任は画面を隠さなかった。公開できる記録と、まだ読めない領域を分けて示す。


そこには「弱い人格」という言葉が何度も出てきた。何をもって弱いとするのかは、研究者側が決めている。


Sがその文字を睨んだ。


――なあ。


(何?)


――俺が強い方だったら、お前を消せんのか。


質問なのか、恐れているのか、分からなかった。


(分からない。でも、君はやらないでしょ)


――何で言い切れんだよ。


(僕が勝手に死のうとすると、毎回怒るじゃん)


返事がない。


僕は続けた。


(君を、僕を消すための人にしたいんだと思う。あの人たちは)


Sが登録証の入ったポケットを押さえた。


――……気に入らねぇな。


(うん)


「その資料、続きを調べろ」


Sが主任へ言う。


「今度は、あいつが何をやられたかも分かるように」


「調べる。ただし、思い出すことを無理に求めない」


「分かってる」


Sは一度、閉じた病室の扉を振り返った。


自分で決めろと言うだけでは、足りないこともある。僕たちが戻ってくるまで、あの人がコップを持っていられる場所も必要だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。