監視役と普通の学校生活
翌朝、僕は、自宅の玄関を開けて。そっと閉めた。もう一度開けた。やっぱりいた。
「……何してるんですか」
「監視」
三枝先輩は、僕の家の前に立っていた。朝七時十二分。制服姿。無表情。そしてなぜかコンビニの紙パック飲料を飲んでいる。
「本当に来たんですか!?」
「昨日言ったでしょう」
「登下校も監視するって、冗談かと思ってました!」
「私は任務で冗談を言わない」
――つまんねぇ女。
(聞こえたら殺されそうだから黙って)
昨日、能力者になった。僕の中にいるSの存在が政府組織にバレた。能力が二つあることもバレた。そして今日、監視役の美人な先輩が家の前にいる。冷静に考えたら、この二日間で人生が変わりすぎている。
「学校では普通にしていて」
三枝先輩が歩き出す。
「普通……」
「能力のことは話さない。他の生徒にも、教師にも」
「昨日校舎壊れてますけど」
「ガス設備の爆発事故ということになった」
「無理ありません?」
「ニュースはそう報道される」
怖い。政府怖い。僕は三枝先輩の隣を歩いた。
――なぁ。
Sが話しかけてくる。
(何?)
――昨日から気になってんだけど。
(うん)
――俺たち学校行く必要ある?
(あるよ!)
――なんでだよ。能力者になったんだぞ。
(能力者になっても学生だからだよ!)
――世界救うとかねぇの?
(まだ何も頼まれてないよ)
――つまんねぇ。
変なところで少年漫画思考なんだよな、こいつ。
「また会話?」
三枝先輩が横目でこちらを見る。
「……顔に出てました?」
「出てる」
改善したい。切実に。
◇
学校に着いた瞬間。僕は別の意味で帰りたくなった。
「真白!」
クラスメイトが集まってくる。
「昨日大丈夫だったのか!?」
「救急車来てたよな?」
「爆発の近くにいたってマジ?」
昨日の三人組までいる。ただし。目を合わせてこない。僕を殴っていた二人は、少し離れた場所から黙ってこちらを見ていた。そしてフェンスへ吹き飛ばされた一人は欠席。大怪我ではなかったらしい。
「だ、大丈夫」
僕は曖昧に笑った。
「ちょっと転んだだけだから」
――転んでねぇだろ。
(仕方ないでしょ)
「でも顔、腫れてね?」
「これは……」
昨日殴られた跡だ。まずい。
「爆発で飛んできた……なんかに当たった」
我ながら苦しい。けれど、
「怖っ!」
「マジ危なかったんだな」
普通に信じられた。政府の隠蔽工作より僕の嘘のほうが雑なのに世の中ってそんなものなのかもしれない。僕は席に座った。すると机の中に何か入っていた。一瞬、身体が固まる。またゴミか。そう思った。出てきたのは小さな紙袋だった。
「……?」
中を見る。絆創膏と小さなメモ。
『昨日、助けてくれてありがとう』
名前はない。でも、分かった。昨日、僕が突き飛ばして庇った。あいつだ。少し離れた席。昨日まで僕を殴っていた男子が、窓の外を見ている。こっちを見ない。
――捨てろ。
Sが言う。
(なんで)
――昨日までお前を殴ってた奴だぞ。
(でも)
――でも、じゃねぇ。
(昨日はありがとうって言ってくれた)
――それで全部チャラになるのか?
僕は答えられなかった。Sは続ける。
――お前、そういうとこ気に食わねぇ。
(……何が)
――ちょっと優しくされたら、すぐ許すだろ。
胸に刺さった。
――そうやってまた殴られる。
(でも)
――だから!
強い声。僕は思わず肩を震わせた。
――痛ぇんだよ。
静かになった。教室のざわめきだけが聞こえる。僕は紙袋を握ったまま。何も言えなかった。Sもそれ以上は何も言わなかった。
◇
昼休み。僕は屋上へ呼び出された。三枝先輩に普通なら。美人の先輩から屋上に呼ばれるというイベントは、もっとこう。期待していいものだと思う。
「能力訓練をする」
現実はこれだった。
「昼休みに!?」
「時間がないから」
「ご飯は!?」
「食べながら聞いて」
僕は購買のパンを持ったまま説明を聞くことになった。三枝先輩は屋上の床に、小さな金属製の箱を置く。
「簡易測定機」
「学校に持ち込んでいいんですか」
「政府備品」
万能ワードだ。箱が展開する。中から。何やらボールのようなものが出てきた。
「これを投げる」
「僕に?」
「そう」
「嫌なんですけど」
「怪我はしない」
「昨日能力者に殺されかけた翌日の人間に言う説明じゃないですよね!?」
三枝先輩は無視した。
「まず真白君」
僕へボールを投げる。ぽす。胸に当たった。全然痛くない。
「……?」
身体の奥。ほんの少しだけ。力が増えた気がした。
「もう一度」
ぽす。ぽす。ぽす。十回。三枝先輩が端末を見る。
「やっぱり」
「何か分かったんですか?」
「Momentumは単純な被ダメージ変換ではない」
「え?」
「今の衝撃は痛みとして認識するほどではない。でも能力値は上昇した」
つまり。
「攻撃を受ければいい?」
「より正確には」
三枝先輩が言う。
「身体へ加わった運動エネルギーの一部を蓄積している可能性が高い」
Momentum。その名前そのものだ。
「じゃあ殴られなくてもいいんですか?」
「理論上は」
それ。ものすごく大事じゃないか?僕はてっきり。また殴られないと力が出ない能力なのかと思っていた。
「次」
三枝先輩が言う。
「S」
――嫌だ。
(お願いします)
――嫌だ。
(能力分かったほうがいいでしょ)
――お前がやれ。
(Speedは君の能力なんだから無理だよ)
沈黙。
「……交代できない?」
三枝先輩が聞く。
「嫌がってます」
「そう」
三枝先輩はボールを持った。嫌な予感。
「なら刺激する」
「え?」
僕の顔面へ全力でボールが飛んできた。
「ちょっ!」
僕は反射的に避けようとした。無理。速い。当たる。その瞬間、世界が遅くなった。身体の感覚が遠のく。
「てめぇ!」
S。身体が低く沈む。ボールを避ける。そのまま三枝先輩へ踏み込む。速い。一歩。二歩。三歩。明らかに加速する。
「お前今わざとだろ!」
「成功」
三枝先輩は冷静に端末を見る。
「ぶっ飛ばす!」
「やめろ!」
僕の声が口から出た。
「……あ?」
Sが止まった。僕も驚いた。今。喋れた?身体はSが使っている。なのに、僕の意思で声が出た。三枝先輩も目を見開いていた。
「今のは」
「俺じゃねぇ」
Sが答える。そして、僕自身も身体の奥で混乱していた。
(今……僕)
――分かってる。
僕たちは一つの身体にいる。今まではどちらか一方しか、身体を動かせなかった。でも、ほんの一瞬。重なった。
「もう一度」
三枝先輩が言った。
「は?」
「同じ状態を再現して」
Sが舌打ちする。
「できるわけねぇだろ」
「試す」
「昼休み終わるぞ」
そのとき。屋上の扉が開いた。
「三枝先輩?」
女の子の声。僕たちは振り向く。同じクラスの女子生徒。僕も名前は知っている。朝倉美月。明るくて。友達が多くて。僕とはほとんど話したことがない。
「何してるんですか?」
まずい。三枝先輩を見る。政府の秘密。能力訓練。説明不能。僕は焦った。でも、もっと問題なのは今。身体を動かしているのがSだということだった。
「真白君も……?」
朝倉が首を傾げる。Sが朝倉を見る。数秒。
「……」
――おい。
(何)
――こいつ誰だ。
(同じクラスの朝倉さん)
――へぇ。
嫌な予感。ものすごく嫌な予感。Sは僕なら絶対にしないような笑顔を浮かべた。
「デート」
「え?」
僕と朝倉の声が重なった。三枝先輩が無表情でSを見る。
「違う」
「照れんなよ」
「違う」
「屋上で二人きりだぜ?」
「訓練」
「真面目か」
(やめろおおおおお!)
僕は必死に叫ぶ。Sは楽しそうだ。朝倉は僕。三枝先輩。僕。を交互に見て。
「……真白君って」
少し引きつった笑顔で言った。
「そんなキャラだったっけ?」
終わった。僕の学校生活が能力者としての戦いより先に社会的に終わった。
――面白くなってきたな。
(君、絶対わざとだろ!)
僕の中でSが笑った。昨日まで僕は学校で目立たない生徒だった。殴られても何も言わず。誰にも気づかれず。ただ耐えていた。それなのに能力に目覚めて二日目。監視役の先輩と屋上で密会して。クラスメイトに見つかって。僕の中のもう一人が勝手にナンパまがいの発言をする。……もしかして。能力者になるって。
戦うことより。普通に生活するほうが難しいんじゃないだろうか。




