僕の中にいる、もう一人
「元々、二人いるのか」
三枝先輩のその一言で僕の心臓は完全に止まった。……いや、止まってはいない。止まっていたら今こうして考えていられない。でも、感覚としてはそれくらいの衝撃だった。
「な、何を言ってるんですか」
声が裏返った。自分でも分かるくらい怪しい。三枝先輩は無言。じっと僕を見る。その目が怖い。
――下手くそ。
頭の中でSが笑った。
(うるさい!)
――もっと堂々と嘘つけよ。
(君のせいでバレたんだけど!?)
――俺が出なきゃ死んでただろ。
それを言われると弱い。実際、そうだった。黒いパーカーの男に殺されかけた。僕だけじゃない。あの場にいた全員がSが出てこなかったら、三枝先輩が到着するまで持たなかったかもしれない。
「……また話している」
「え?」
「今」
三枝先輩が自分のこめかみを指で示した。
「頭の中で誰かと会話していたでしょう」
怖い。この人怖い。能力じゃなくて観察力が怖い。
「どうして分かるんですか」
「顔」
「顔」
「百面相してる」
僕は両手で顔を覆った。
――ダッセぇ。
(君は黙ってて!)
三枝先輩が小さく息を吐く。
「場所を移すわ」
「え?」
「ここで続ける話ではないから」
その直後、校舎の向こうから複数人の足音が聞こえてきた。黒い装備を身につけた大人たち。警察……ではない。胸元には銀色の円を二つ重ねたような紋章。全員が同じものを付けている。
「三枝隊員!」
先頭の男性が駆け寄る。
「対象の確保、ありがとうございます」
「引き渡します」
「了解」
地面に倒れた男の両腕に、特殊な手錠のようなものが取り付けられる。男は薄く目を開けた。
「管理局の……犬……」
「黙れ」
隊員の一人が言う。それでも男は笑った。そして、僕を見た。
「お前も……すぐ分かる」
「え?」
「管理される側になればな」
三枝先輩の目つきが変わった。
「連れていって」
「了解」
男はそのまま運ばれていった。最後まで笑っていた。嫌な笑い方だった。まるで僕がこれからどうなるのか知っているみたいに。
◇
連れてこられたのは病院――ではなかった。学校から車で二十分ほど。大きなビルの地下。窓のない白い部屋。机。椅子。監視カメラ。以上。
「……取調室ですよね、ここ」
「検査室」
三枝先輩は即答した。
「絶対取調室ですよね?」
「検査室」
「机の向こうに座る配置が完全に刑事ドラマなんですけど」
「検査室」
「押し切るつもりだ……」
三枝先輩は平然とタブレットを操作している。学校では制服だったけれど、今はその上から黒いジャケットを羽織っている。胸元には、さっき見たものと同じ銀色の紋章。
「正式に自己紹介しておく」
タブレットを置く。
「三枝玲奈。県立清陵高校三年」
そこまでは知っている。問題は次だ。
「内閣府特殊能力管理局、東京第三支部所属」
「……ないかくふ」
――政府じゃねぇか。
(やっぱり政府なんだ……)
能力者を専門に扱う政府組織。そんなものが本当に存在していた。表向き、昨日の騒ぎは事故として警察と消防が処理している。能力者なんて言葉は、ニュースのどこにも出ていない。つまり、この世界は最初から隠されていたということだ。
「通称は管理局。私たちは能力者の登録、保護、犯罪対応を担当している」
「高校生なのに?」
「高校生でも能力者だから」
確かに。
「学校では?」
「生徒として生活している。学校側には必要最低限だけ伝えてある」
つまり。僕の学校に政府の能力者が潜り込んでいた。……急に世界が怖くなってきた。
「それで」
三枝先輩が言う。
「あなたの話」
来た。僕は背筋を伸ばした。
「名前」
「真白湊」
「年齢」
「十六歳」
「能力が発現したのは今日が初めて?」
「はい」
三枝先輩が入力していく。
「最初に確認された能力は、被ダメージを何らかの形で蓄積し、身体能力または攻撃力へ変換するもの」
「たぶん……そうです」
「仮称は?」
「え?」
「能力者本人が、覚醒時に名称を直感的に認識する場合がある」
「あ」
あの言葉。
「Momentum」
三枝先輩の指が止まった。
「Momentum……運動量」
「はい」
「Mね」
「え」
「偶然?」
まずい。
「た、たぶん?」
――絶対嘘だろ。
(黙って)
三枝先輩は何か考えながら入力した。
「そして人格が変化した後」
視線が鋭くなる。
「高速移動能力」
「Speedです」
また指が止まる。
「S」
「…………はい」
「MとS」
「…………」
「出来すぎてるわね」
やっぱりそう思うよね!?
僕だって思ってる。
「それで」
三枝先輩が言う。
「もう一人に代わって」
「え?」
「会話したい」
「いや……」
僕は困った。
「自分の意思で代われないんです」
「さっきは?」
「気づいたら……」
――俺は代われるぞ。
頭の中でSが言った。
(え?)
――条件は分かんねぇけどな。
(じゃあ今代わってよ)
――嫌だ。
(なんで!?)
――あの女、気に食わねぇ。
(子供か!)
三枝先輩が僕を見ている。
「交渉中?」
「……はい」
もう隠す意味がなかった。
「嫌だそうです」
「理由は?」
「三枝先輩が気に食わないそうです」
「そう」
無表情。
「私も気に入ってないと伝えて」
――上等だ。
(なんで煽るんですか!?)
最悪の相性だ。すると。
「……あ」
急に身体の感覚が遠くなった。さっきと同じ。水の中へ沈むような感覚。
(ちょっ)
――やっぱムカつくから出る。
(理由が雑すぎる!)
視界が一度暗転した。そして、僕の身体が椅子の背もたれへ深く沈む。脚を組む。僕なら絶対しない座り方。口元が勝手に笑った。
「よぉ」
Sだった。
「呼んだか?」
三枝先輩は驚かなかった。
「あなたがS?」
「そう呼ばれてる」
「本名は?」
「ねぇよ」
「年齢は?」
「知らねぇ」
「いつから存在する?」
「覚えてねぇ」
質問が続く。Sは面倒そうに答える。僕はそのやり取りを、身体の奥から見ていた。不思議だ。Sが表に出ている間も僕は消えているわけじゃない。見える。聞こえる。考えられる。ただ、身体を動かせない。
「あなたは真白湊とは別人格?」
「見りゃ分かんだろ」
「記憶は共有している?」
「だいたいな」
「感覚も?」
「共有してる」
「痛覚も?」
一瞬。Sが黙った。
「……ある」
え。僕は初めて知った。
(S)
返事がない。三枝先輩が続ける。
「つまり、M――真白君が攻撃を受けている間も」
Sの表情が少し変わる。
「あなたも痛みを感じている」
「だから何だよ」
低い声。僕は息を呑んだ。今まで僕が殴られている時。Sはずっと怒っていた。
「代われ」
「やり返せ」
「逃げろ」
何度も言っていた。てっきり、単に気が短いからだと思っていた。でも、もしかして。僕が殴られるたび。Sも。
――余計なこと考えんな。
頭の中に声が響いた。
(でも)
――黙れ。
いつもより強い。それ以上考えるなと言われている気がした。三枝先輩はじっとSを見ていた。
「最後に確認する」
「何だ」
「真白君を守ろうとしている?」
Sの目が細くなる。沈黙。数秒。
「違ぇよ」
Sが笑った。
「俺は俺を守ってるだけだ」
その瞬間、僕には分からなかった。その答えが嘘なのか。本当なのか。三枝先輩は何も言わなかった。ただ、タブレットに何かを入力した。そして、
「暫定判定を出す」
「何の?」
「あなたたちの扱いについて」
僕の意識が緊張する。Sも黙る。
「真白湊」
三枝先輩が言った。
「管理局登録能力者として、経過観察対象に指定する」
(え)
「は?」
Sの声が重なる。
「それに伴って」
三枝先輩は淡々と続けた。
「明日から私が監視する」
「はぁ!?」
Sが椅子から立ち上がった。
「学校でも」
「待て」
「登下校も」
「待て待て」
「必要であれば自宅周辺も」
「ストーカーじゃねぇか!」
「任務」
「もっと悪いわ!」
思わず。僕は身体の奥で笑ってしまった。
――笑ってんじゃねぇ!
(ご、ごめん)
「それから」
三枝先輩が言う。まだあるのか。
「あなたたちには、もう一つ問題がある」
部屋の空気が変わった。
「今日捕まえた男」
三枝先輩がタブレットに写真を表示する。黒いパーカーの男。
「彼はリベルという能力者集団の末端構成員と見られている」
「リベル……」
「能力者は一般人に管理されるべきではない、と主張する組織」
画面が切り替わる。そこにはここ数年で起きたという複数の能力犯罪。爆破。誘拐。研究施設への襲撃。
「彼らは最近」
三枝先輩の声が低くなる。
「未覚醒者を意図的に能力者へ変える方法を探している」
僕の背中に冷たいものが走った。
「そして今日」
画面に僕の写真が表示された。学校の防犯カメラだろうか。
「リベル構成員の襲撃現場で」
次の写真。僕。そしてS。同じ顔。なのに、明らかに雰囲気が違う。
「一つの肉体から」
三枝先輩が僕たちを見る。
「二種類の能力が確認された」
沈黙。
「真白湊」
「あなたたちは」
そこで初めて。三枝先輩の表情に明確な警戒が浮かんだ。
「能力者の常識から外れている」
僕は何も答えられなかった。そして、その瞬間だけはSも何も言わなかった。




