名前の横には、責任もついてくる
仮登録証が届いたのは、審査から二日後だった。
薄いカードには【人格識別名:S】【型:S】【固有能力:Speed】と印刷され、その下に【共有身体:真白湊】とある。連絡事項は、カードとひもづけた携帯端末の画面で受け取るらしい。
――ダセぇ写真。
(それ、僕の顔なんだけど)
――だからだよ。
「何か問題?」
待合室で三枝先輩が覗き込んできた。
「Sが、写真は自分で撮り直したいそうです」
「同じ顔でしょう」
――表情が違ぇ。
伝えると、先輩はカードと僕を見比べて頷いた。
「確かに。Sの時は目つきが悪い」
――登録初日から喧嘩売られたぞ。
「それから、もう一枚」
白峰主任が書類を差し出した。僕たちを見る目が、妙に楽しそうだ。
【能力使用に伴う設備損傷・行為者確認書】
自動販売機七台。看板十二枚。照明四基。
全部、閉鎖された地下商業施設で人工覚醒装置を止めた時のものだった。
――必要経費だろ。
「請求書ではないよ。救助に必要だったかどうかを含め、補償は別に審査する。ただ、誰が何をしたかは確認したい」
「今までは僕が壊したことになってたんですか」
「真白君名義の一つの報告書にまとめていた。今後はS君の判断と行動を分けて記録できる」
――君付けやめろ。
Sは文句を言ったあと、珍しく黙った。
(S?)
――俺がやったことなら、俺に聞けって話だよな。
僕は確認書の名前欄を見た。壊した物だけではない。避難させた人数や、停止させた装置の記録にも、行為者を書く場所がある。
「署名は、あとで交代してからでもいいですか」
「もちろん」
主任が答えた瞬間、床を伝って鈍い振動が来た。
『一階受付で能力使用。来訪者を退避させてください』
先輩の顔から、柔らかさが消える。
「二人はここにいて」
「はい」
今度はすぐに答えた。先輩が走り去ったあと、僕は待合室の人たちを奥の出口へ案内した。
その途中で、受付側の廊下から悲鳴が響いた。
◇
一階ロビーの床に、受付机が半ば沈み込んでいた。
中央には二十代ほどの男が立っている。傷ついた腕を抱え、もう片方の手で机に触れていた。来訪者はほぼ避難していたけれど、受付の職員が一人、傾いた机の向こうで動けなくなっている。
「俺のデータを消せ!」
男の叫びに、さらに床が軋む。
三枝先輩は職員の救助へ回っていた。通信が短く入る。
『M型、Mass。触れた物の質量を増やしている。近づかないで』
男が負傷した腕を壁へ振り上げた。苦痛でMPを補充しようとしている。
「やめてください!」
僕の声に、男がこちらを睨んだ。
「だったら登録を消せ! 名前も住所も、全部だ!」
受付のモニターには、本人の照会画面が開いている。その横に、局の備品とは違う小型端末がつながれていた。
『接続を切りたい』
先輩の声がする。
『あの端末から、奥の扉にも解除要求が出ている。救助が終わるまで触らせないで』
机がまた沈み、床に亀裂が伸びた。男自身の足元も危ない。
――俺が行く。
(相手を殴ったらMPを与える)
――分かってる。端末だけだ。
僕は先輩へ作戦を伝えた。彼女は男の能力出力を見ながら、短く答える。
『こちらで抑える。合図まで待って』
(交代するよ。戻るのは、片づいてから)
――任せろ。
身体を渡すと、Sは息を整えた。SPはない。だから、走り出した速さは普通だった。
男が気づいて、机に力を込める。
「来るな!」
「その机まで壊したら、てめぇも落ちるぞ」
「知るか!」
『今』
三枝先輩が蓄えていたMPを使い、Measureで机への能力出力を抑えた。床が沈む勢いが止まる。
Sは小型端末からケーブルを引き抜き、机上へ置かれたその筐体を打ち割った。他者の機器へ与えた損害で、少量のSPを得る。
その分だけをSpeedへ回す。
男の手がSへ伸びた時、僕たちの身体はすでに横へ抜けていた。Sが向かったのは男の背中ではなく、壁際に置かれた厚い救助用マットだった。
男が再び自分の腕を壁へ打ちつけようとする。その間へ、マットを立てる。
「邪魔するな!」
「嫌だね」
柔らかい面へ腕が沈んだ。衝撃がなくなったわけじゃない。でも、傷口をさらに壁へ叩きつけることは防げた。
男はマットをどかそうとし、Sは距離を取った。挑発するように男が胸を突き出す。
「殴れよ。S型なんだろ!」
「殴ってほしいのは、そっちだろ」
Speedはもう切れていた。Sは普通の足取りで後退し、警備員が近づくための空間を作る。
「SPが欲しいからって、てめぇにMPまでくれてやる気はねぇよ」
三枝先輩が最後の職員を避難させた。
「そこまで。両手を見せて」
能力の抑制を維持したまま、警備員がクッション付きの防護具で男の動きを止める。Sは手を出さなかった。男が抵抗を続ける間も、先輩は出力計から目を離さない。
やがて男は床へ座り込み、負傷した腕を抱えた。
「消してくれよ。あんなの……」
さっきまでの怒鳴り声とは違っていた。
Sは割れた端末を見た。それから、男へ視線を戻す。
「消したい理由は、聞いてもらえ。床潰してねぇで」
男は答えなかった。ただ、救護員が近づいても、もう腕を振り上げなかった。
◇
男の端末が誰から渡されたのかは分からなかった。登録を拒む気持ちを、別の目的に利用された可能性もあるという。
僕たちは事情聴取を受け、身体を使っていたSが確認書へ名前を書いた。
「さっきの端末も追加?」
三枝先輩の質問に、Sは顔をしかめる。
「仕事早ぇな」
「あなたが早いから」
「俺は自分でやった分しか書かねぇぞ。机はあいつだ」
「分かってる」
その返事を聞いて、Sが少しだけ黙った。
帰り道も、身体はSのままだった。登録証を取り出し、写真の下の一文字を指でなぞっている。
(結局、登録してよかった?)
――面倒は増えた。
(そうだね)
――でも、俺が壊した物まで、お前が壊したことにされんのも変だろ。
僕は少し笑った。
(弁償が必要になったら?)
――財布は一個だな。
(急に共有を主張するなよ!)
Sの肩が揺れる。
その時、登録証に連携した通知アプリが震えた。僕宛てのいつもの連絡とは、別の受信欄だった。
【Sへ】
本文は一行だけ。
【自分の名前が欲しいなら、MASTERに聞けばいい。】
Sの足が止まった。
夕方の風が制服の袖を揺らす。握った端末の震えは、もう通知のせいではなかった。




