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えすえむっ!  作者: 角竜
俺の名前は、俺が決める
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同じ身体でも、同じ答えじゃない

管理局の特例審査室は、窓のない普通の会議室だった。机の上には水の入ったコップが一つと、記録用のマイクが一つ。僕たちの正面で、眼鏡をかけた女性が書類を揃えている。


「審査担当の牧野です。今日は、お二人それぞれの希望を伺います」


「真白湊です。それと、S」


――紹介が雑。


(自分でやる?)


その前に、気になる人がいた。


「どうして白峰主任がいるんですか」


「能力と人格交代の安全確認をする立会人だからね」


「帰ってください」


「自己紹介より先に追い出されるとは」


隣の三枝先輩が淡々と言った。


「検査はしないでください」


「今日はしないよ」


「今日は、ではなく、同意なしには」


主任が小さく両手を上げる。牧野さんは、そのやり取りも記録していた。


「最初に。これは戸籍を二つに分ける審査ではありません。医療や能力管理、事情聴取で、片方の意思だけをお二人の総意として扱わないための手続きです」


僕は頷いた。昨日より少しだけ、今日ここへ来た意味が分かった。



最初の質問は、好きな食べ物だった。


「カレーです」


――ガキ。


「嫌いなものは?」


「ピーマン」


――やっぱガキ。


牧野さんが顔を上げる。


「いま、Sさんの意見も聞こえていますか」


「悪口なら」


ペンが動いた。何が記録されたのか、少し気になる。


いくつか質問を受けたあと、三枝先輩が体調を確認した。


「頭痛は?」


「ありません」


「では、交代。今日は短時間で戻さない」


(S、お願い)


――おう。


息を吐き、主導権を渡す。指先の感覚が遠のいたあと、Sが椅子へ深く座り直した。見える景色は同じなのに、背もたれへの体重のかけ方が違う。


「好きな食べ物は?」


「肉」


(範囲が広いね)


「嫌いなものは?」


「ピーマン」


一瞬、二人とも黙った。


「……同じだからって、一緒くたにすんなよ」


牧野さんは平然と頷いた。


「好みが一致するかどうかで、意思の有無を決めるわけではありません。ご本人に聞けば答えが返る。その確認です」


Sはわずかに肩の力を抜いた。


「三枝玲奈さんについては、どう思いますか」


「命令が多い」


(頼れる先輩でしょう)


「こいつは『頼れる先輩』だとよ」


(そこは言わなくていい!)


先輩の口元が、ほんの少し緩んだ。


「違う評価を、それぞれ記録できますね」


牧野さんがそう言って、次の紙を出した。


「では。この身体について決める権利は、誰にあると思いますか」


Sの表情が止まった。


僕の名前で生まれ、僕の名前で学校へ通っている身体。けれど、この椅子の冷たさも、昨日から残る筋肉痛も、Sは同じように感じている。


「……こいつだけじゃねぇ」


Sが自分の手を開いた。


「俺も腹減るし、眠くなる。殴られりゃ痛ぇ。俺の知らねぇところで全部決められんのは嫌だ」


「では、半分ずつですか」


「右半分が俺、左半分がこいつとかじゃねぇだろ」


(右腕は欲しがってたよね)


――今それ掘り返すな。


「意見が分かれた場合はどうしますか。例えば、真白さんが誰かを助けるため、命に関わる危険を冒そうとしたら」


「止める」


返事は速かった。


「ご本人が望んでいても?」


「一人で死ぬつもりになるなって言う」


牧野さんのペンが止まる。


(僕も、君が危ない戦いを続けようとしたら止めるよ)


――しねぇよ。


(例えばだよ。SPを稼ぐために、逃げられるのに殴り続けたら)


Sが不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「こいつも俺を止めるって」


「相手を止めることと、相手から決定権を奪うことは、どう違いますか」


すぐには答えられなかった。


久世さんのSは、守るためにもう一人を表へ出さなくなったことがある。その話を、僕たちは聞いている。


Sが机の上のコップを見た。


「話す。必要なら他の奴も呼ぶ」


少し間を置き、続ける。


「こいつが折れるまで身体を返さねぇ、ってのはやらねぇ」


僕は身体の奥で頷いた。


(僕も)



質問は、食事よりずっと厄介な方へ進んだ。


契約。お金。治療。能力による損害。Sが壊した物を、僕だけが壊したことにしてよいのか。どちらかの治療拒否を、もう一方の同意で押し切ってよいのか。


「緊急時の救命を止める仕組みにはできません。そのうえで、時間がある時には説明と意思確認を別々に残す。できることから整える必要があります」


牧野さんの答えは、綺麗に割り切れたものばかりではなかった。


「じゃあ、俺が犯罪やらかしたら」


「行為者が誰かを調べる必要があります。ただ、危険を防ぐために身体を拘束すれば、真白さんも一緒に動けなくなります」


「俺だけ捕まえろ、とはできねぇか」


「独立した意思があることと、身体を分けられることは別です」


二人として認めてもらえば、何でも二人分に分けられると思っていた。


けれど、教室の椅子は一つしか要らない。食事は一人前でも、嫌いなものを勝手に食べれば二人とも嫌な顔をする。閉じ込められたら、どちらも外へ出られない。


「面倒くせぇな」


(うん)


Sの言葉に、今度は素直に同意した。



審査の最後に、牧野さんは一枚の書類を置いた。


「個別に意思確認を行う対象として、仮登録を進めます。まだ制度の届かない部分はありますが、Sさんの返事を省略しないところから始めます」


僕の胸が少し軽くなった。Sは「仮かよ」と言いながら、紙から目を離さなかった。


牧野さんが、一番下の欄を示す。


【人格名】


「Sという呼び方を、ご自分の名前として登録する希望はありますか」


「今もそう呼ばれてんだろ」


「そう呼ばれていることと、ご自分でその呼び方を選ぶことは別です」


Sが止まった。


最初にSと呼び始めたのは僕だ。性格が最悪だから、なんて雑な理由で。彼がその名をどう思っているか、きちんと聞いた記憶がない。


(S。君は、それでいいの?)


長い沈黙のあと、Sは首を振った。


「分かんねぇ。ほかに何て呼ばれたいか、考えたことねぇし」


「では、識別名Sのまま仮登録しましょう。決まった時に教えてください」


「今じゃなくていいのか」


「手続きを終わらせるために、こちらが名前を決めるわけにはいきませんから」


Sは空欄を見たまま、「そうか」とだけ答えた。


審査室を出ても身体はSのままだった。次の交代まで十分に休むよう、先輩から念を押されている。


(名前、考える?)


――今はSでいい。


僕は頷きかけた。続く声が、少しだけ低くなる。


――でも、いつか俺が決める。


(うん)


――お前は決めんなよ。


(決めないよ)


――絶対だぞ。


(信用なさすぎない?)


Sは笑って、まだ何も書かれていない申請書を二つに折った。空欄があることを、僕は初めて悪くないと思った。


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