二人分の名前を書く場所がない
久世さんたちと巻き込まれた支配試験のあと、僕らは何度も検査を受けた。ようやく普段どおりに登校できるようになった朝、学校は新しい紙を用意して待っていた。
「全員、一枚ずつ取って。該当しない人は、その欄に印だけでいいから」
前の席から回ってきたのは、【特殊能力保持者・校内安全管理票】というプリントだった。
――名前が長ぇ。
(そこだけ?)
能力者の存在が公表されてから、駅前では登録制度への賛成派と反対派が声を張り上げ、学校には毎日のように新しい通知が届く。配られる紙の厚さだけが、妙に手触りのある変化だった。
緊急時に誰へ連絡するか。能力が暴走した時、周囲は何をしてはいけないか。そういう情報があれば助かる人はいる。記入した紙は封筒に入れ、担任へ直接渡すようにと書いてあった。
僕は氏名欄に「真白湊」、能力型に「M」、固有能力に「Momentum」と書いた。
そこで、ペンが止まる。
――俺は。
(……ないね)
氏名も、能力型も、固有能力も、欄は一つずつ。紙の下の方にある備考欄だけが、広く空いていた。
隣から朝倉が身を寄せ、小声で聞く。
「S君の分?」
「うん」
「もう一枚もらう?」
――そっちの方がマシだ。
(同じ生徒が二枚出していいのかな)
「真白君、また難しい顔してる」
「書く前から問い合わせが必要な書類って、どうなの」
「世の中、そういうものなのかも」
高校生同士で妙に疲れた会話をしてしまった。
とりあえず備考欄へ【別人格Sあり】と書く。書き終わるより早く、頭の中で抗議が上がった。
――消せ。
(なんで)
――付属品みてぇだろ。
僕はペン先を浮かせた。
言われるまで、気づかなかった。僕の名前や能力は決まった欄に収まり、Sだけが「ほかに何かあれば」の場所へ押し込まれている。
(じゃあ、聞いてみよう)
――誰に。
(三枝先輩)
――「備考でいい」って言うぞ。
◇
「暫定的な記入なら、備考でいい」
昼休みの屋上で、Sの予言はほぼ的中した。
――ほらな。
三枝先輩は差し出したプリントを読み、僕の顔を見る。
「それでは嫌?」
「僕たちの登録も、こうなってるんですか」
一拍だけ、返事が遅れた。
「今の管理局の台帳は、真白湊、M型、Momentum。Sの情報は別紙への付記」
――付記だってよ。
「でも、先輩はSにも意見を聞いてくれますよね」
「本人の意思を確認することと、システムの入力欄が対応していることは別だから」
僕たちは久世さんから、主導権を握ることと、もう一人の人生を奪うことは違うと教わった。お互いに身体を任せ、返すこともできた。
なのに、僕たちの外側では、まだ僕一人の返事で二人分が処理されてしまう。
「Sにも、Sの欄が欲しいです」
――お前が言うなよ。
(僕も欲しいんだよ。僕が答えたことにされたら困るし)
Sが黙った。
先輩はもう一度プリントを見た。
「支部からも、別々に意思確認できる登録方法を申請している。久世さんたちの件もあるから」
「じゃあ」
「ただし、別の戸籍ができるという話ではない。まず、本人を省略しないための手続き」
省略。
その言葉の方が、備考より少し痛かった。
先輩が続けようとした時、校庭から怒鳴り声が響いた。
「撮るなって言ってるだろ!」
フェンス越しに見ると、一年生らしい男子が数人に囲まれていた。一人がスマホを向けている。
「S型なんだろ。ちょっと見せてよ」
「使えないなら嘘じゃん」
三枝先輩が先に走り出した。僕もあとを追い、階段を下りる途中で校内の警備担当へ連絡を入れる。
校庭へ出ると、男子生徒が鉄製ベンチを蹴りつけたところだった。鈍い音がして、脚の一本が歪む。痛そうに顔をしかめた直後、彼の腕が不自然に膨らんだ。
『S型。Strengthの登録と一致』
先輩から短い通信が入る。彼女は別の出入口から、撮影している生徒たちの退路を作っていた。
ベンチへ与えた損害でSPを得て、筋力を強化したらしい。
「本物じゃん!」
撮影者が笑った。男子生徒の顔が歪む。
「どけよ」
彼の進路へ入りかけた僕は、足を止めた。拳が届く距離まで近づく必要はない。
「先に、その人たちを下がらせます」
「お前も撮るのか」
「撮りません。スマホはしまいます」
通話をつないだままポケットへ入れ、両手を見せる。背後で先輩が撮影者たちに離れるよう指示した。
――代わるか。
(今は、話したい)
――じゃあ距離は詰めんな。
男の子が一歩進む。僕は同じだけ下がった。
「逃げるのかよ」
「殴られたくないので」
自分で言って、少し驚いた。少し前なら、そんな理由を口にできなかった。
「だから、君も殴らなくていい」
「……勝手なこと言うな」
拳が震えている。もうスマホは向けられていないのに、彼は周囲を睨み続けていた。
「昨日からずっとだぞ。危ないから近づくなって言ったり、力を見せろって言ったり。俺、どっちにすればいいんだよ」
僕はすぐに答えを出そうとして、やめた。
「少なくとも、あの人たちを満足させるために選ばなくていいと思います」
彼の目が僕へ戻る。
「見せたくないって、さっきから言ってたでしょう」
長い息が漏れた。上がっていた拳が少しずつ下がり、SPを消費していた強化も薄れていく。
三枝先輩が静かに近づいた。
「保健室へ。足、痛めたでしょう」
男子生徒は歪んだベンチを見てから、小さく頷いた。
彼の名前を、僕はまだ知らない。けれど、S型という一文字だけで、何を望んでいるかまで分かったことにはできなかった。
◇
放課後、僕は管理票の【別人格Sあり】を消した。
書き直す。
【同じ身体を共有する別人格S。S型/Speed。意思確認は本人にも行ってください。】
――長ぇ。
(大事なことだから)
――欄からはみ出してんぞ。
(はみ出したところも読んでもらう)
Sが小さく笑った。
そこへ三枝先輩が封筒を持ってきた。
【真白湊・人格S 個別登録に関する特例審査】
「申請が受理された。明日、二人に話を聞きたいそうよ」
「登録できるんですか?」
「それを決める審査。ただし、今回はSにも直接聞く」
僕は封筒を持ち直した。二人分の名前が、同じ行に並んでいる。
(どうする?)
――行くに決まってんだろ。
いつもの乱暴な返事だった。そのあとに続いた声は、少しだけ弾んでいた。
――備考欄から出てやる。
僕は、はみ出した文字を消さずに封筒へ収めた。




