先輩のSとM
翌日、学校の図書室で当時の地図とノートを照合した。
朝倉圭吾さんの日記には、住所そのものは書かれていない。
でも生活の痕跡はあった。
『駅まで十五分』
『橋の下で練習』
『電車がうるさい』
『帰りに商店街のたい焼き』
朝倉が地図を指で追う。
「これ、今の商店街と同じじゃない?」
三枝先輩が古い住宅地図を重ねる。
「可能性が高い」
――探偵ごっこかよ。
(ちょっと楽しい?)
――別に。
絶対ちょっと楽しい声だった。
放課後、候補地へ向かった。
鉄橋を電車が通るたび、大きな音が河川敷へ響いた。
橋脚の裏に、古い傷が残っている。
【M|S】
その下。
【07】
「ここだ」
僕が触れようとすると、背後から声がした。
「そこ、勝手に触らないでくれる?」
振り向く。
二十代前半くらいの男。
パーカー姿で、手にはコンビニ袋。
どう見ても普通の人だった。
三枝先輩が僕の前へ出る。
「名前を」
男は缶コーヒーを一本取り出す。
「久世直人」
一口飲んで、橋脚を見る。
「昔は07って呼ばれてた」
胸が鳴った。
三枝先輩はすぐには武器を下ろさなかった。
「本人確認を」
「相変わらず管理局は面倒だな」
久世さんは財布から古い免許証を出した。
現在の名前。久世直人。
年齢、二十一歳。
SM-07の最終記録にある年齢とも一致する。
「朝倉圭吾さんを知ってる?」
朝倉が聞く。
久世さんの顔が初めて大きく変わった。
「……圭吾さんの親族?」
「大姪です」
しばらく沈黙。
「そうか」
その一言だけ、すごく優しかった。
僕たちを信用したというより、朝倉圭吾という名前が扉を開けたのだと思う。
Sも黙る。
「あなたがSM-07?」
「その呼び方、嫌いだけどね」
僕たちと同じ自然発生の例ではない。
旧SM計画で、M型の子供へ極端な心理負荷と人工覚醒処置を重ね、防衛人格側にもS型能力を定着させようとした実験。
その生存者。
「聞きたいことが――」
「その前に」
久世さんが僕を見る。
正確には、僕の中を見るように。
「そっちのS、いる?」
――いるけど。
「うちのSが会いたいって」
次の瞬間。
久世さんの目つきが変わった。
姿勢。
呼吸。
雰囲気。
人格交代。
でも、僕たちよりずっと静かで自然だった。
「よぉ」
口調まで変わる。
「後輩」
――誰が後輩だ!
Sが勢いよく前へ出ようとする。
(待って)
――一言だけ!
僕は笑いそうになった。
「出る?」
――出る。
「一回だけだからね」
人格交代。
Sが表へ出た。
「俺の方が強ぇ」
第一声がそれだった。
(S!)
「何だよ。挨拶だろ」
(どこの世界の挨拶!?)
久世さんのSが数秒ぽかんとして、それから腹を抱えて笑った。
「ははっ! 同じだ!」
「何がだ!」
「俺も昔、別のS型相手に最初それ言った」
(S、先輩だよ)
「うるせぇ!」
向こうのSは笑いながら缶コーヒーを置く。
「まあ、能力の強さは置いといて」
「置くな」
「生き方くらいは教えてやるよ、後輩」
Sがまた怒鳴る。
「その前に一個だけ」
向こうのSが僕たちを見る。
「お前ら、自分が特別だと思ってるか?」
僕は答えに迷った。
Sは鼻で笑う。
「こいつは思ってねぇ。俺は思ってる」
(何その答え)
「正解」
久世さんのSが笑った。
「07は作られた。お前らは今のところ、同じ処置を受けた証拠がない。だから“俺らと同じだから、お前らもこうなる”とは思うな」
その言葉に、少し肩の力が抜けた。
「でも」
笑顔が消える。
「二人で一つの身体を使う時、間違えやすいことは同じだ」
それが次の授業らしい。
でも。
その言葉だけは、僕たち二人とも聞き逃さなかった。
僕たちより長く。
一つの身体で。
二人として生きてきた人が、目の前にいる。




