俺を知ってる奴
【Sは、まだ私を怖がるか。】
意味は分かる。
だからこそ、分からなかった。
「“まだ”」
白峰主任が呟く。
「え?」
「“怖がるか”ではなく、“まだ怖がるか”と書いてある。送信者は、以前からSが自分を恐れていたと認識している」
背中が冷える。
(S)
返事がない。
(聞こえてる?)
――聞こえてる。
やっと返ってきた声は、いつもより遠かった。
三枝先輩が白峰主任の端末を覗く。
「送信元は?」
「追跡中。ただ……おかしい」
画面に古いシステム名が出る。
【SM-ARCHIVE】
「外から侵入した通信じゃない。十八年前に停止された旧SM計画の回線から発信されている」
「停止されてるのに?」
「だからおかしい」
――知るかよ。
Sの声に怒気が戻る。
少し安心した。
「恐怖は?」
三枝先輩が聞く。
(怖い?)
――……ある。
「あります」
先輩はそれ以上追及しなかった。
白峰主任は聞きたそうだったけれど、先輩に一度見られて黙った。
端末がまた鳴る。
【Sと話がしたい。】
続けて。
【真白湊ではない。Sだ。】
僕は妙な違和感を覚えた。
送信者は、僕たちを番号で呼んでいる。
なのに「S」という呼び方は知っている。
僕が昔から勝手にそう呼んでいた名前を。
「この“S”は、旧計画で使われていたS分類を指している可能性もある」
白峰主任が言う。
「真白君が呼び始めたSと、計画上のS。偶然同じ文字だったから、今まで区別が曖昧になっていた」
――どっちでも俺は俺だ。
(うん)
でも、送信者がどちらの意味で「S」と言っているのか。
それだけでも重要な違いだった。
――ぶっ殺す。
(怒るところそこ?)
――お前を邪魔みてぇに言いやがった。
怖がっているのに、そういうところはSだった。
「交代する?」
三枝先輩が、僕ではなくSへ聞くように言った。
(どうする?)
長い沈黙。
――嫌だ。
「嫌だそうです」
白峰主任が口を開く。
「情報を得られる可能性は――」
「本人が嫌だと言ってる」
三枝先輩が遮る。
「政府は昨日、能力者にも本人の権利があると公表したばかり。都合のいい時だけ研究対象に戻さないで」
――あの女、たまにはいいこと言うな。
(本人に言えば?)
――死んでも嫌だ。
その瞬間、四通目が届いた。
【逃げるのか。】
分かりやすい挑発だった。
Sの気配が変わる。
(S。どうしたい?)
――知らねぇ。
(うん)
――怖ぇ。
(うん)
――でもムカつく。
(それも知ってる)
――殴るぞ。
(僕を!?)
少しだけ、いつもの調子が戻った。
そして。
――話す。
「Sが話すって」
「自分で決めた?」
「はい」
三枝先輩は頷いた。
僕は椅子へ座り、意識の主導権を渡す。
視界の感覚がわずかに沈み、身体が椅子の背へ深くもたれた。
Sだ。
「よぉ。出てきたぞ」
文字通信を開く。
Sがキーボードを叩いた。
【誰だ。】
数秒後。
【覚えていないか。】
Sの指が止まる。
(無理しなくていいよ)
――黙ってろ。今は。
【知らねぇ。】
返信は早かった。
【それでいい。覚えているなら失敗だ。】
白峰主任の表情が変わる。
三枝先輩も端末へ一歩近づいた。
「記憶処理を前提に話してる」
「旧SM計画に記憶消去技術があった記録は?」
「正式資料にはない」
主任は首を振る。
「ただし、第一分室の資料は大部分が封印された。存在しなかったとは言えない」
Sの指先がキーボードの上で止まっている。
僕は身体の奥から、その震えを感じた。
(戻る?)
――まだ。
(無理しなくていい)
――分かってる。だから俺が決める。
その返しに、少しだけ安心した。
僕が守るつもりで勝手に交代を求めたら、それも結局はSから選択を奪うことになる。
Sが打つ。
【何の話だ。】
【君が生まれた日の話だ。】
僕も、Sも、動けなかった。
Sの誕生。
僕が怒りや反撃したい気持ちを押し殺した結果、生まれたのだと考えていた。
少なくとも、そのはずだった。
Sの手がわずかに震える。
それでも、逃げなかった。
【どこにいる。】
三枝先輩が口を挟む。
「S。行くとは言ってない?」
「場所を聞くだけだ」
「分かった」
送られてきたのは住所ではなく座標だった。
白峰主任が地図へ入力する。
「……特殊能力研究所・第一分室」
「知ってるんですか」
「十八年前、SM計画の一部が行われていた施設だ」
最後の通信。
【来るかどうかは、S自身が決めろ。】
誰も答えを急がなかった。
管理局にも。
送信者にも。
僕にも。
S自身が決める番だった。




