普通じゃなくなった日
翌日、午後二時。教室のテレビには、総理でも官房長官でもなく、見たことのない男が映っていた。肩書きは、内閣府特殊災害対策室・室長。もちろん、そんな部署の名前も昨日までは誰も知らなかった。教室には先生も生徒も全員揃っている。授業は中止され、全国一斉の政府会見が始まろうとしていた。
朝倉が小声で言う。
「真白君」
「何?」
「顔色悪いよ」
「緊張してる」
今は、言い直さなくても素直に言えた。
――成長したな。
Sが言う。
(うるさい)
テレビの中の男が頭を下げる。
『まず、昨日より拡散しております映像について説明いたします』
教室が静まり返る。
『政府は長年、一部の人間に発現する特殊な能力の存在を把握しておりました』
ざわっ、と教室が一気に騒がしくなる。
「マジ?」
「本物だったの?」
「能力者いるじゃん!」
僕は机の下で拳を握った。ついに言った。
『これまで公表しなかった理由は、社会的混乱の防止、および能力保持者本人の安全確保を目的としたものです』
――綺麗に言いやがる。
(嘘ではないよ)
――全部でもねぇ。
その通りだ。事故、ガス爆発、火災、通り魔。能力者事件を、ずっと別の名前へ変えてきた。
『現在確認されている能力保持者について、発現には個人差があり、能力の種類・強度も多岐にわたります』
でも、SとMという言葉は出ない。やがて記者から質問が飛んだ。
『昨日の映像ではS、Mという分類が示されました。これは政府も把握していますか?』
教室の空気が変わる。僕の心臓が一度、大きく鳴った。会見の男は数秒、資料へ目を落とした。
『詳細な分類については、現在公表できません』
――逃げた。
でも政府は否定しなかった。それだけで十分だった。次の記者が手を挙げる。
『能力を得る方法はあるのでしょうか』
僕の背筋が冷たくなる。そこは、一番聞いてほしくなかった。
『通常、能力は本人の意思で獲得できるものではありません』
『通常』という言葉が引っかかる。人工覚醒は存在する。でも、それはまだ公表されていない。
『インターネット上で「能力を発現させる方法」などと称する情報が拡散していますが、極めて危険です。絶対に試さないでください』
教室の後ろで、誰かが小さく言った。
「逆にやってみたくなるよな」
笑い声。
――馬鹿。
Sが即答した。僕も同意だった。そして、記者から最後の質問。
『能力者は危険なのですか』
教室が静まる。僕は息を止めた。テレビの男は少し間を置き、答える。
『能力の有無だけを理由に、その人を危険人物と判断することはありません』
胸の中で、少しだけ何かが緩んだ。
『能力を持つ方々も、私たちと同じ社会で生活する市民です』
――建前だな。
(でも)
僕は画面を見る。
(必要な建前だよ)
嘘でも、綺麗事でも。政府が最初に「危険だ」と言わなかった。それは大きい。多分。
◇
会見が終わると、予想通り教室は一気に騒がしくなった。
「能力欲しくね!?」
「絶対Sがいい!」
「いやMだろ!」
「Mって何なん?」
「マゾじゃね?」
笑い声に、僕は思わずむせた。
――否定できねぇ。
(名前が悪すぎる!)
こんな名前を付けた研究者、誰なんだ。
「でもさ」
男子生徒が言う。
「Sって攻撃して強くなるんだろ? じゃあ喧嘩最強じゃん」
違う。
そういう話じゃない。
「Mなら殴られるだけで強くなるって」
「最強じゃん」
違う。
僕の手が少し震えた。殴られれば強くなる。言葉にすれば簡単だ。でも、痛い。
怖い。
傷つく。能力があっても、それは消えない。
「真白君」
朝倉が僕の変化に気づいた。
「外行く?」
「……うん」
僕たちは教室を出た。
◇
廊下の窓際。二人で並ぶ。
「嫌だった?」
朝倉が聞いた。
「何が?」
「さっきの話」
僕は少し迷った。でも最近は、少しずつ言うようにしている。
「嫌だった」
「そっか」
「Mって――」
危ない。そこまで言って止まる。朝倉がこちらを見る。僕は言葉を変えた。
「もし本当に、攻撃されて強くなる人がいたとしても、攻撃されて平気なわけじゃないと思う」
朝倉はすぐ頷いた。
「当たり前じゃない?」
その一言が、あまりにも普通で。僕は少し笑った。
「そうだよね」
――お前。
(何?)
――それを理解するのに十六年かかったのか。
(本当に一言多いな!)
朝倉がまた言う。
「百面相」
「気にしないで」
「最近増えたよね」
まずい。
その時、廊下の向こうでざわめきが起きた。生徒が集まっている。
「何?」
見に行くと、誰かのスマホでライブ配信が流れていた。昨日の政府会見。そして今、能力者――Sparkの男。顔を出した、あの人。
『政府の説明は足りない』
配信の中で男が言う。
『俺たちは市民だと言った。なら、どうして登録させられる? どうして行動を監視される?』
コメントが流れる。
『犯罪をしていない能力者まで、危険人物として扱うのはおかしいだろ』
三枝先輩を思い出す。僕は経過観察。登下校も監視されている。
『だから俺は、能力者登録制度の撤廃を求める』
コメントが増える。賛成、反対、恐怖、危険、人権、管理、自由。あらゆる言葉が一気に流れていく。
そして配信が突然乱れた。ノイズ。画面が黒くなる。また。
【S/M】
教室で「あ!」と声が上がる。みんな気づいた。乗っ取られた。映像には顔を隠した男。過激派。
『能力者諸君。政府へ登録する必要はない。隠れる必要もない。恐れる必要もない』
そこまでは穏健派と似ている。でも、次。
『まだ力を持たない者も、心配する必要はない』
僕の身体が固まる。
『もうすぐ、全員がこちら側へ来る』
配信が切れた。廊下が静かになる。さっきまで「能力欲しい」と笑っていた生徒たちも、もう笑っていない。
「……全員って」
誰かが呟いた。僕は拳を握る。強制覚醒計画。もう隠す気はない。むしろ宣伝している。
◇
放課後、管理局の状況室では、壁一面にニュース、SNS、デモ、動画が同時に映し出されていた。
「最悪の速度ね」
三枝先輩が呟いた。早乙女さんもいた。管理局の元研究者であり、解放戦線の穏健派。普通なら、同じ部屋にいるのがおかしい。でも今は、そんなことを言っている場合じゃない。
「過激派の支持者が増えている」
白峰主任が画面を示す。能力者になりたいが四十三パーセント。なりたくないが三十九パーセント。残りは「分からない」。
「そんなに……」
僕が言う。
「力は欲しい人が多い」
早乙女さんが答える。強くなりたい。特別になりたい。自分を変えたい。誰かを守りたい。あるいは、復讐したい。理由はいくらでもある。
「だから強制覚醒なんてしなくても」
倉田が画面を見る。
「自分から欲しがる奴が出る」
「それが狙い」
早乙女さんが言う。
「強制」という言葉を嫌う人は多い。
でも、「希望者へ能力を与えます」と言えば話が変わる。入口はそこ。そこから少しずつ全員へ広げる。
「そして」
白峰主任が僕を見る。
「安全な人工覚醒には――」
嫌な予感。もう分かる。
「僕が必要」
「正確には、君たちのS/M波形だ」
Sは沈黙している。
「だから過激派は」
三枝先輩が言う。
「真白君を狙う」
僕は画面を見る。誰かが能力者になりたい。そう思うことまで、僕が否定していいのだろうか。分からない。でも、全員を無理やり変える。
それは違う。
「僕、能力が欲しい人まで止めるべきなんですか」
みんながこちらを見る。沈黙。早乙女さんが先に答えた。
「私は、本人が本当に理解して選ぶなら、能力を得ること自体を否定しない」
白峰主任の顔が少し険しい。
「技術が安全ならの話だ」
「そう」
今は安全じゃない。死ぬ。壊れる。暴走する。
「じゃあ」
僕は言う。
「止めるのは、能力者になることじゃない。選べない状態で、能力者にされること」
早乙女さんが笑った。
「そう思う」
その時、警報。モニターの地図で、東京の一か所が赤く染まる。
「人工覚醒反応!」
職員が叫ぶ。場所は駅。人が大量にいる。三枝先輩が立つ。
「行く!」
僕も立ち上がる。
「僕も!」
「待って」
白峰主任が画面を解析する。
「一人じゃない」
赤が増える。駅と、その周辺。十。二十。五十。
「何人?」
「少なくとも百人」
空気が凍った。
「同時に」
百人。校門でたった一人が暴走しただけでも、学校はあれだけ大変だった。それが、今度は百人だ。
――湊。
(うん)
怖い。
でも、行く。三枝先輩が僕を見る。
「無理はしない」
「はい」
「全部助けようとしない」
一瞬、言葉が詰まる。でも。
「はい」
言えた。三枝先輩が頷く。そして僕の中でSが続けた。
――あと。
(何?)
――勝手に全部食らうな。
(分かってる)
――マジで。
(分かってるって)
走る。状況室を出る。駅で、百人の人工覚醒。これは実験じゃない。もう実戦だ。
過激派は世界へ見せるつもりだ。能力者が生まれる瞬間を。そして、その先で人々に選ばせる。力が欲しいか。欲しくないか。
でも、僕は忘れない。選ぶなら、まず生きて、選べる状態じゃなきゃ意味がない。誰かに痛めつけられ、追い詰められ、二択を突きつけられることを自由とは呼ばない。それだけは、今の僕にもはっきり分かった。




