知られてしまった世界
翌朝。世界は変わっていた。正確には、見た目は何も変わっていない。電車は走り、コンビニは開き、信号もいつも通り赤から青へ変わる。でも、みんなスマホを見ていた。
「昨日のあれ見た?」
「SとMって何?」
「能力者ってマジ?」
「フェイク動画じゃないの?」
「政府が隠してるとか言ってたぞ」
駅でも、ホームでも、教室でも、どこへ行っても話題は同じだった。僕は電車の吊り革を握ったまま小さくなっていた。
――お前が隠れてどうすんだよ。
(なんとなく)
――バレてねぇだろ。
(そうだけど)
昨日の映像で示された、SとM。僕たちにとっては日常になりつつある言葉。でも普通の人には、突然世界の裏側から投げつけられた言葉。
隣に立つ会社員が言った。
「政府、会見するって」
「能力者の存在は否定するらしいよ」
「今さら?」
別の人が呆れた声を上げる。その瞬間、車内がざわめき、スマホに速報が流れた。
【政府、昨日の映像について「悪質な偽情報」と発表】
僕は画面を見る。
――嘘つくんだな。
Sが言う。
(まだ隠すつもりなんだ)
でも、もう無理だと思った。動画は消しても、コピー、切り抜き、SNS、考察。全部広がっている。そしてもっとまずいのは。
「これ見て」
高校生らしい男子が友達へスマホを見せる。画面では、人の手から炎が噴き出していた。
「昨日の夜、渋谷だって」
「能力者じゃん」
本物?偽物? 僕には分からない。でも昨日までなら、誰もそういう視点で世界を見ていなかった。今は違う。
事故、火事、怪力、変な動画。全部「能力者かもしれない」と疑われる。秘密は存在するだけじゃ守れない。人が探し始めた瞬間から崩れていく。
◇
学校へ着く。教室へ入った瞬間、倉田が僕のところへ来た。
「真白!」
「見ろ」
倉田がスマホを突き出す。またか。
「今度は何?」
画面には匿名掲示板が開かれていた。
【能力者判別方法まとめ】
「……何これ」
「全部デタラメ」
倉田が言う。血液型、利き手、瞳の色、性格診断。さらに、分類まで書かれている。
【S型は攻撃的な性格】
【M型は気弱で自己主張が弱い】
僕は止まる。
――当たってんじゃん。
(黙って)
「これ、結構まずくない?」
「うん」
能力者を探す。暴く。疑う。昨日まで僕は、ただ『いじめられている生徒』だった。
でも、もし僕がM型だと知られたらどうなる?
クラスの後ろから、誰かの声が聞こえた。
「Mってさ」
僕の身体が固まった。
「攻撃されたら強くなるらしいぜ」
「マジ?」
「じゃあ殴って確認すればよくね?」
笑いが起きる。冗談のつもりで、多分そこまで悪気もない。
――殺す。
(落ち着いて)
――笑えねぇだろ。
(分かってる)
拳を握る。昔なら聞こえないふりをした。でも今は胸が熱い。
「それ」
僕は声を出した。教室が少し静かになる。自分でも驚いた。
「やめたほうがいいと思う」
話していた男子が僕を見る。
「え?」
「殴って確かめるとか、普通に犯罪だから」
一秒、二秒。短い沈黙が落ちる。
「……まあ」
男子が気まずそうに笑う。
「冗談だよ」
「うん」
僕は席へ戻る。心臓がうるさいくらい鳴っていた。
――やるじゃん。
(怖かった)
――知ってる。
(でも言えた)
――知ってる。
短い。でも少し嬉しい。朝倉がこちらを見ていた。目が合う。親指を立てる。
やめて。恥ずかしい。
◇
昼休み、三枝先輩に屋上へ呼び出された。
「状況が変わった」
「ですよね」
「管理局の方針も」
「能力者の存在を発表するんですか?」
「まだ」
「まだ!?」
さすがに声が出た。三枝先輩が苦い顔。
「上層部が割れてる」
公表派、隠蔽継続派、部分公開派。
「能力者事件を認めれば、これまで事故として処理してきた事件も全部問題になる」
責任、補償、裁判、政治、社会不安。
「だから」
「決められない?」
「そう」
政府みたいな巨大な組織でも迷う。少しだけ、自分と同じに見えた。
「でも、向こうは待ってくれない」
三枝先輩が端末を見せる。画面には今朝から全国で、能力者を名乗る人間が投稿した動画が並んでいた。S型を名乗る者、M型を名乗る者。本物と偽物が入り混じる中、一つだけ再生回数が異常に伸びている。
そこには、顔を隠していない若い男性が映っていた。
『俺はS型だ』
手から火花。
『能力はSpark』
S型の電気系能力。指先に稲妻が走る。
『昨日の放送は本当だ。俺たちはいる』
コメントは数万件に達している。
「登録能力者?」
僕が聞く。
「そう」
「勝手に公表した?」
「そう」
三枝先輩は頭が痛そう。
「管理局からは?」
「動画削除要請」
「本人は?」
「拒否」
――当たり前だろ。
Sが言う。僕も少しそう思った。自分のことを政府に隠せと言われる。紗月さんと同じ。
「でも」
三枝先輩が次の動画を開く。路地で、男が能力を使って相手を殴りながら笑っている。
『俺Sだから』
その一言。胸が嫌な感じになる。能力を言い訳にする。Sだから攻撃する。Mだから耐える。
それって一番嫌な形だ。
――俺を一緒にすんな。
(うん)
Sは攻撃的で口も悪い。でもS型だから、そうなんじゃない。SはS。
「昨日の放送」
僕が聞く。
「これも狙いですか」
「多分」
社会へSとMを知らせ、混乱と恐怖だけでなく、興味や憧れまで生む。
「能力が欲しい人を増やす」
僕が呟く。
「そう」
人工覚醒は「強制」だけじゃない。自分から力を欲しがり、能力者になりたいと願う人間だっている。
「全人類強制覚醒計画」
三枝先輩が言う。
「『強制』だけとは限らないのかも」
背筋が冷たい。望む人へ力を与える。そんな形なら支持する人もいる。
◇
放課後、校門前には人だかりができていた。
「何?」
朝倉が僕の隣へ来る。テレビカメラと記者が何人も集まっていた。
「能力者がいるって情報が」
心臓が止まりそうになる。この学校にいる能力者――僕か、倉田か、それとも三枝先輩か。
「生徒に話を聞かせてください!」
先生が止める。
「取材は禁止です!」
記者、カメラ、生徒たちのスマホ。いくつもの視線が集まる中、誰かが叫んだ。
「昨日ここで変なことあったよな!」
「能力者いたんじゃないの?」
まずい。
倉田が少し離れた場所で顔を青くしている。Metalだと知られたら、あいつが一番危ない。教室で起きた人工覚醒事件には、目撃者が多すぎる。
「倉田」
僕は近づく。
「大丈夫?」
「……無理かも」
手が震える。フェンスがカタ、と動く。
「倉田」
「分かってる!」
小声だが、明らかに焦っている。周囲の金属が反応する。
――落ち着かせろ。
(どうやって)
――殴る?
(最悪)
「倉田」
僕は前へ立ち、視線を遮る。
「見なくていい」
「でも」
「僕見て」
「気持ち悪」
「今それ言う!?」
少し笑った。フェンスが止まる。良かった。その瞬間、記者の一人がこちらへ。
「君!」
カメラを向ける。
「昨日の事件について何か知ってる?」
倉田が固まる。僕が前へ。
「知りません」
嘘だ。でも今はこれでいい。
「本当に?」
記者が近づく。
「ネットではこの学校の生徒が能力を使ったって」
カメラが倉田へ。僕が遮る。
「やめてください」
「君は?」
「やめてください」
もう一度強く。
「本人が嫌がってます」
沈黙。記者は少し止まる。でも周囲にはスマホが何十台。
――もう隠すの無理だぞ。
Sが言う。分かってる。でも、だからって今、勝手に暴いていい理由にはならない。その時、校門近くの街頭広告へノイズが走った。
画面が黒くなる。
【S/M】
まただ。周囲がざわめく。
『能力を恐れる必要はない』
昨日とは別の、女性の声だった。
『能力者を恐れる必要もない』
画面に、早乙女静の顔が映った。三枝先輩が校舎から飛び出してくる。
「嘘……!」
早乙女さん。顔を隠していない。
『私は能力者です』
駅前も、街も、ネットも、すべて同じ生配信に切り替わっている。
『そして、政府が能力者の存在を隠してきたことも事実です』
周囲が爆発するようにざわめく。三枝先輩が端末を握る。
「早乙女さん、何して……!」
僕も分からない。
『しかし、今、全人類を強制的に能力者へ変えようとしている者たちがいる』
解放戦線内部の分裂まで、公表するつもりなのか?
『彼らの行為を、我々は支持しない』
静寂。
そして最後。
『能力を持つかどうか。能力を公表するかどうか。どう生きるか』
早乙女さんが言う。
『それを決める権利は、本人にある』
画面が消える。周囲が一瞬静かになる。次の瞬間、スマホの通知、ニュース、SNS、怒鳴り声、質問。世界がさらに騒がしくなる。三枝先輩が呟いた。
「最悪……」
「え?」
「これで政府も、能力者の存在をもう否定できない」
僕は校門を見る。記者、生徒、無数のスマホ。その真ん中に倉田がいて、そのそばに朝倉がいる。能力者という存在そのものの秘密は、もう壊れてしまった。でも早乙女さんは、秘密を壊すことで能力者を守ろうとした。正しいのか分からない。間違っているのかもしれない。
ただ一つ確かなのは、世界がもう昨日には戻れないということだ。
その夜、政府は緊急記者会見を発表した。ニュース速報。
【政府、特殊能力者の存在について説明へ】
僕はその文字を長い間見ていた。明日、僕たちの存在は都市伝説じゃなくなる。世界中の人がSとMを知ることになる。そして多分、本当の戦いはそこから始まる。




