自由を語る人
翌日の昼。指定された駅前広場は、平日とは思えないほど人で埋まっていた。
「本当にここ?」
僕はスマホを見る。指定された場所は時計台の前。間違っていない。
「人混みを選んだ理由は分かる?」
隣の三枝先輩は、黒いパーカーにジーンズという私服姿だ。槍は見当たらないけれど、多分どこかに隠している。
「管理局が派手に動けないから?」
「半分正解」
「もう半分は?」
「向こうも派手に動けない」
なるほど。お互い、一般人へS/M能力を見せたくない。
「それで、一人なんですか」
「そういう約束」
「でも」
「監視班はいる」
ですよね。
「白峰主任も?」
「いる」
嫌な予感。
「どこですか」
「教えない」
「なんで」
「あなた絶対見るから」
正しい。
――あの研究バカ、怪しすぎんだよ。
(でも今回は)
――分かってる。
今日の目的は戦うことじゃない。話すことだ。相手はRepresentative S――解放戦線の創設者で、元管理局研究者、そしてSM計画の参加者。僕たちについて知っている可能性が最も高い人間だ。
「緊張してる?」
三枝先輩が聞く。
「……少し」
――嘘つけ。
(かなり)
「かなりです」
「素直」
最近、そこをよく褒められる。少し嬉しくない。
その時、
「真白湊君?」
声は後ろからした。振り向くと、そこにいたのは四十代くらいの、ごく普通の女性だった。白いシャツに長いスカート、肩までの髪。買い物帰りと言われても違和感がない。
「……あなたが」
「Representative S」
女性は少し笑った。
「長いでしょう」
「じゃあ何て呼べば」
「早乙女」
早乙女。
「早乙女静」
S――静。それはコードネームではなく、彼女自身の名前だった。
「……Sって」
「私の頭文字でもあるし」
早乙女さんが僕を見る。
「S型でもある」
その瞬間、Sが少し警戒した。
――能力は。
(まだ分からない)
三枝先輩が一歩前へ。
「元管理局研究員、早乙女静」
「玲奈ちゃん、大きくなったね」
「ちゃん付けやめてください」
思わず声が漏れる。
「知り合い?」
「昔ね」
早乙女さんが答える。
「彼女がまだ小さかった頃」
三枝先輩の顔が露骨に嫌そうになる。
「余計なこと言わないで」
初めて見る、この反応。
――弱点見つけたな。
(やめておこう)
殺される。
「場所を変えようか」
早乙女さんが言う。
「ここだと落ち着かない」
「指定したのそっちですよね?」
「安全確認」
早乙女さんは笑う。
「合格」
何を試されているんだろう。
◇
場所を駅ビルの喫茶店へ移した。テーブルを囲むのは僕、三枝先輩、早乙女さんの三人。二人の前にはコーヒーと紅茶、僕の前にはオレンジジュースが置かれている。
――ガキ。
(高校生なんだからいいでしょ)
「それで」
僕は言う。
「SM計画について」
「いきなりだね」
「それを聞きに来ました」
早乙女さんの笑顔が少しだけ消える。
「白峰君から、どこまで聞いた?」
「一人にSとMを共存させる計画」
「それだけ?」
「人格を分ける方法も試したって」
早乙女さんが三枝先輩を見る。
「随分喋ったね」
「状況が状況です」
「まあいいか」
早乙女さんは紅茶を一口飲む。
「先に訂正する」
「何を?」
「SM計画の目的は、SとMの両方を使える兵器を作ることじゃなかった」
僕が止まる。
「じゃあ」
「最初は」
早乙女さんは、そこだけを強調した。
「能力者を救うための研究だった」
僕は三枝先輩を見る。先輩も、この話は知らなかったらしい。
「どういうことですか」
「S型とM型には、それぞれ致命的な問題がある」
早乙女さんはテーブルの一方を指で示す。まずはS型。
「Sは攻撃しなければ力を得られない」
続いて、M型。
「Mは傷つかなければ力を得られない」
知っている。僕たちの能力の、いちばん根本にある仕組みだ。
「つまり、能力を使うという行為そのものが、本人の精神を歪めやすい」
S型は、もっと力が欲しいなら攻撃する。傷つける。M型は、もっと力が必要なら攻撃を受ける。自分を傷つける。僕は思わず自分の腕を見る。全部、今まで僕たちがやってきたこと。
「研究者たちは考えた。もしSとMが共存できれば――」
Sが攻撃へ偏りすぎた時、Mが止める。Mが自己犠牲へ偏りすぎた時、Sが止める。
「互いの欠点を」
僕が言う。
「補える」
「そう」
僕の中でSは何も言わない。早乙女さんが僕を見る。
「君たちみたいにね」
心臓が跳ねる。
「じゃあ僕たちは、計画の成功例?」
早乙女さんが先に言った。
「違う」
即答だった。
「少なくとも、私たちは君を作っていない」
「……じゃあ」
「君がSM-01なのかも、私は知らない」
「でも参加してたんですよね」
「途中まで」
早乙女さんが紅茶を置く。
「私は計画から抜けた」
三枝先輩が冷たい声。
「そして管理局も辞めた」
「そう」
「なぜ」
早乙女さんが少し笑った。でも、その笑顔はさっきまでと違った。
「研究の目的が変わったから」
空気が冷える。
「能力者を救う研究から、能力者を制御する研究へ」
僕はCONTROL TESTを思い出す。
「そして最終的には、一般人を能力者へ変える研究になった」
人工覚醒とSM計画が、一本の線で繋がった。
「じゃあ、人工覚醒は管理局が作ったんですか」
三枝先輩が息を呑む。早乙女さんはすぐには答えなかった。
「原型は、管理局の前身組織が作った」
一瞬、誰も言葉を出せなかった。僕の胸が重くなる。
始めたのは政府なのか、それとも能力者解放組織なのか。
「Liberation Frontが技術を盗んだ?」
三枝先輩が問う。
「違う。持ち出した」
「誰が」
「私たち」
先輩の目が鋭くなる。
「つまりあなたたちが、人工覚醒を広めた?」
「違う」
早乙女さんが初めて強い声を上げた。
「私たちは封印するために持ち出した」
沈黙。
「でも今使われてる」
僕は言う。
「過激派に奪われた」
やっと構図が見えてきた。管理局の前身組織が人工覚醒技術の原型を作る。研究に反対した人間が離反し、Liberation Frontとなる。しかしその中でさらに分裂。穏健派と過激派。
そして過激派が技術を使って全人類強制覚醒を進めている。
「だったら、止めればいいじゃないですか」
「止めたいよ」
「じゃあ管理局と協力すれば」
早乙女さんが悲しそうに笑った。
「それができるなら、私はここにいない」
早乙女さんが三枝先輩を見る。三枝先輩は何も言わない。
「管理局は、全人類強制覚醒には反対している」
当然。
「でも、人工覚醒技術そのものを捨てる気はない」
白峰主任と、CONTROL TESTのことが頭に浮かぶ。
「使い方次第では役に立つから」
僕が呟く。
「そう」
事故対策、能力者犯罪、戦争。もし安全に能力者を作れるなら、政府がその技術を簡単に手放すだろうか。多分、手放さない。
「だから、君を渡せない。管理局にも、過激派にも」
またその言葉。
「あなたが決めるんですか」
僕は思わず言った。早乙女さんが止まる。
「僕を。管理局には渡さない、過激派にも渡さない。でも、僕にどうしたいか聞いてない」
三枝先輩が少しこちらを見る。早乙女さんは数秒、何も言わなかった。それから、
「……そうだね。ごめん」
予想外。
「私も、人を守ると言いながら選ぶ権利を奪う癖が抜けない」
その言葉は僕自身にも刺さった。誰かを助けようとして、代わりに決める。似ている。
「じゃあ聞く。真白湊君、君はどうしたい?」
突然そんなことを聞かれても、すぐに答えなんて出ない。
「……分かりません」
正直に答えた。
「僕が何なのかも分からない。管理局が全部正しいとも思わない」
僕は三枝先輩を見る。先輩は怒らなかった。
「でも、解放戦線が全部正しいとも思わない」
「うん」
「だから今は、どっちにも決めてほしくない」
早乙女さんが笑った。
「いい答えだ」
――何様だよ。
Sが少し不機嫌。
(でも)
僕も少しだけ思った。誰かが決めてくれるほうが楽。政府に従う。組織に従う。正しい側を選ぶ。
でも多分、この世界にはそんな簡単な答えはない。
「最後に一つ」
僕は聞いた。
「僕の中にSがいる理由。何か知ってますか」
早乙女さんの表情が変わった。長い沈黙。
「仮説なら」
「教えてください」
「君は、SとMに分けられたんじゃない」
「え?」
「逆?」
三枝先輩が目を細める。
「君の人格が先に分かれて、それぞれが別の適性へ覚醒した可能性がある」
僕の呼吸が止まった。僕は長い間いじめられて、我慢した。怒り、反撃したい感情、自分を守りたい感情。全部押し込めた。その結果、Sが生まれた。
「じゃあ、Sは」
――言うな。
Sが突然言った。
(え)
――それ以上。
声が珍しく強い。
(どうして)
――いいから。
早乙女さんが僕の変化に気づく。
「話している?」
「……はい」
「なら、無理に答えを出さなくていい」
その時、店内のガラスが一瞬揺れた。三枝先輩が立ち上がる。
「能力反応!」
早乙女さんも立ち上がる。けれど攻撃ではない。駅前の大型ビジョンから広告が消え、映像が突然、黒一色へ切り替わった。
そこに文字が浮かぶ。
【S/M】
広場にいる一般人たちが足を止める。
「何これ?」
「広告?」
広場がざわめき、僕の血の気が引く。能力者の存在は秘密のはずなのに、映像には見知らぬ男が現れた。顔は隠されている。
『日本に暮らす皆さん』
音声が駅前中に響く。三枝先輩が呟く。
「まさか」
『あなたたちは、知らされていない』
画面には、SとMの二文字が映る。
『人間には、二種類の力が眠っている』
広場が静かになる。誰も意味を理解していない。でも僕たちには分かる。早乙女さんの顔から初めて余裕が消えた。
「過激派……」
『政府は、その存在を隠してきた』
三枝先輩の端末が警報を鳴らす。一件、二件、十件。全国同時。駅の街頭ビジョンだけじゃない。スマートフォンも、ネット配信も、次々に乗っ取られている。
『だが、隠す時代は終わる』
僕は画面から目を離せなかった。
『すべての人間には、力を得る権利がある』
そして最後。
『我々は、その権利を全人類へ与える』
映像が消える。駅前ではスマホの通知音が重なり、ニュースもSNSも動画も一斉に動き出した。もう、能力者の存在を何もなかったことにはできない。
まだ全貌が知られたわけじゃない。それでも、秘密を囲っていた壁には確実に穴が開いた。三枝先輩が低い声で言った。
「始まった」
僕も分かった。今までの戦いは、誰にも知られない場所で行われていた。でもこれからは違う。全人類強制覚醒計画は、単に人間を能力者へ変える計画じゃない。その前に、世界そのものをSとMの存在から逃げられなくするつもりなんだ。




